「私を捜さないで」

 

 

 

私を捜さないで

 

そのひとことだけが耳に残った。

 

 

 

***

 

 

苦い任務となった宇宙から戻って数日たったある日のことだった。

「――お願い、わかって、ジョー」

無理なのよ――と、フランソワーズは続けた。

「無理って何が」
「・・・ごめんなさい。私が無理なの」
「だからいったい、何が」

フライトチケットのことでフランソワーズの居室を訪れた僕は、入れ違いに出て行こうとしていた彼女と行き会った。部屋のドアの前での問答だった。

いったい彼女が何を言っているのかわからない。

「フランソワーズ」

腕を掴み、顔を覗きこむとさっと目を逸らした――が、見えてしまった。目の縁が赤く染まっているのを。

「――泣いてたのか」
「泣いてないわ」

なんでもないの。と小さく口の中で言って、フランソワーズはそっと僕の手を自分の腕から離した。

「なんでもないって顔じゃ」
「いいの。ともかく無理なのよ」
「だから無理っていったい何が」

わけがわからなかった。

地球に帰ってからすぐ、僕は彼女とともにフランスへ行くことにした。
次のレースがそこだったことと、もちろん――フランソワーズがパリに帰るというからそうしたのだ。

・・・いや。

本当は違う。

フランソワーズがパリに帰るというから、だから僕は「偶然にも」次のレースはフランスであることを思い出したのだ――ということにしたのだ。
フランソワーズがこのまま日本にいると言ったら、僕はフランスのレースになど出ない。
もちろんレースは僕にとってとても大事なものには変わりない。
でも、レースは今この時でなくてもできる。消えてなくなるわけでもないし、終わってしまうわけでもない。

けれどフランソワーズとは。

いまこの時、一緒にいなければ――もう、次はないようなそんな気がしていたのだ。

レースとフランソワーズを天秤にかけるつもりはないけれど、ともかく僕はレースなんかよりずっとフランソワーズと一緒にいたかった。
そうしなければ、もう二度とチャンスはないような気がして仕方なかったのだ。

「ジョー。お願い、わかって」

震える声で言われる。

「・・・わかれといわれてもいったい何がなんだかわからないよ、フランソワーズ」

お手上げだ。
するとそんな僕を少し笑ったのか、フランソワーズが小さく息を吐いてこちらを向いた。

「――ごめんね。無理なの。・・・一緒にいるのはできない」

笑っているのか、泣いているのか。そのどちらでもありそうでどちらでもないようなフランソワーズの顔。
僕はばかみたいにただその蒼い瞳を見ていた。
だって、フランソワーズがいったい何を言っているのかわからない。
わかるのは、いま立っているこの足元の床が急に心もとなく感じてきたことだけだった。

「・・・ジョー。あなたのことは好きよ。前から全然変わってない。でも――」

蒼い瞳が揺れる。

「――でも、今度のことでわかったの。・・・わからないふりをして過ごしてきたけれど、やっぱり駄目だった。ごめんなさい」

私が弱いせいね――と薄く笑った。

「あなたは優しい。でも、その優しさはあなた自身の特性であって、特別な感情はないのよね。もっとずっと前にわかっていていいはずだったのに、わからなかった私がいけないの。でも、今回の任務ではっきりわかった。あなたはただ、困っているひとを見過ごせないだけ。頼ってくるひとを見捨てることができないだけ。だから、――私も同じなんだ、ってこと」
「ちが」
「違わない。――わからないの?」

わからない。

わからないけれど、それ以上にフランソワーズの気持ちもわからなかった。
僕のことを好きだといったその同じ唇で、いったい何を言おうとしているのか。

「だから、もう無理なの。――あなたと一緒にいると辛くなるの。だから」
「わからないよフランソワーズ」
「でしょうね。あなたにはきっと何にもわからない。でも私にはわかってしまった。だからもう・・・」

意を決したように一瞬黙ると、まっすぐ僕の目を捉えた。

「さようなら。――私を捜さないで」