「二人の愛は壊れない」

邸内に充満する甘い香り。
これが朝からずっと・・・もうすぐ日付が変わる時間になっても続いている。
最前からずっと、ジョーはキッチンに佇んでいた。
最初は説得するつもりが、今では哀願に変わっている。

「・・・フランソワーズ。僕は別にどんなチョコでもいいからさ」
君が作ったものなら。
と、続けて言おうとしたのに。

「ジョーったら。そんな優しいコトを言っても駄目よ?
今年はトクベツにスペシャルなのを作るんだから!」
言いながら真剣な顔でチョコレートを湯せんしている。

今年はトクベツでスペシャルなの、って・・・毎年同じ事を言ってるじゃないか。

「あら、年々パワーアップしていくんですもの。毎年トクベツでスペシャルなのよ」

はぁ、そうですか・・・
でも食うのは僕ひとりなんだよね?

既にフランソワーズの居るキッチンの中はチョコレートでいっぱいだった。
それも、全て「僕用」だと言う。
・・・嘘だろ?

「本当よ?」
「いや・・・どれかは博士のだったり、他のメンバーのだったりするんじゃないのかい?」
「違うわよ」

くすりと笑って冷蔵庫を開ける。
と、その中にはチョコレートケーキが詰まっていた。(在った、ではなくて、詰まっていた、なのだ)
そうしてひとつひとつ指差して説明を始めた。

「これはピュンマので、これはアルベルト。アルベルトはチョコが好きだから、多めなのよ。
ジェットは甘いのが苦手だからビターにしてあるし、それから博士は糖尿が心配だから一口サイズでちょっとだけ」
「ひとつひとつ味が違うのかい?」
「ええそうよ?・・・ジョーったら。そんなびっくりした顔しなくてもいいじゃない」
「いや、だって・・・凄いな」
だから朝からずっとここにいたのか。

「・・・僕もケーキがいいな」
「もちろん、あるわよ?」
だったら、それで十分なんだけど。
と、小さい声で言ってみるけれど聞こえてないふりをするフランソワーズ。
こういう時ばっかり聞こえないんだからずるいよ。

「明日までには完成させるから、待っててね」

・・・と、いう訳で。
2月14日の朝なのだった。

朝食後に「デザート」と称して全員にフランソワーズからチョコレートケーキが振舞われた。
当然、僕の分も。
甘さ控えめで美味しかった。
チョコレートケーキは温めてあり、フォークを入れると中からチョコレートが流れて出て、それにスポンジを合わせて食べるという
なかなか凝った造りになっていた。

「凄いなー。プロ級じゃないか」
「張大人に教わって、そのまま作っただけよ」
みんなの賛辞に頬を染めて小さな声で言う。

ケーキを食べ終わった順に、それぞれ出勤して行った。
僕もそろそろ行かないと。
何しろ今日は「ファンの集い」とやらがあるのだった。
年に数回行われるこれは僕にとっては苦手中の苦手で・・・朝から気が重い。

「頑張ってきてね」
頬にキスを貰い、送り出される。
「帰ってきたら、スペシャルなチョコが待ってるわ」

昨夜完成したはずのそれは、見せてもらっていなかった。
何しろキッチン内にも立ち寄らせてくれない。

ともかく、フランソワーズのキスで頑張る気力が出た僕はギルモア邸を後にした。

 

 

両手にチョコの入った紙袋を提げてリビングに入ると、そこはさしずめチョコの品評会会場のようだった。

「お帰りなさい。・・・ほら、ジョーが一番多いわ」

フランソワーズが僕の手から紙袋を受け取る。

「紙袋が4個。勝負あったわね」
勝負って何の?
「あのさ。フランソワーズ。それって嬉しいのか?」
呆れたようにピュンマが問う。
「嬉しいわよ。どうして?」
「だってそれはジョーがこれだけの女子に告白されまくった結果ということで」
「いいじゃない。それだけ愛されてる証拠なんだもの。ね?ジョー」
ね?って言われても、僕にはどう答えればいいものやら見当もつかない。
ので、沈黙を守った。(迂闊なコトを言うと要らぬ波風が立ってしまう場合があるのだ)

「それにしても、随分貰ったもんだな」
「アルベルト。勝負っていったい何の事?」
「ジェットと賭けてたんだと。お前と奴と、どちらがたくさん貰ってくるか、ってな」
「・・・なんだそれ」
「さーな」

ジェットとフランソワーズはなんだかんだいって仲が良い。時には妬けるほど。
今も二人で仲良さそうに何かを言い合っている。
・・・面白くない。
大体、僕はまだフランソワーズからチョコを貰っていない。
朝、「みんなと同じ」チョコケーキを貰っただけで。
もちろん、昨夜はそれでいいと彼女に言ったけれど、他の女の子たちからたくさんのチョコレートを貰った今となっては
フランソワーズが言う「トクベツでスペシャルなチョコ」の存在が凄く気になっていた。

仲良しな二人に背を向けて自室に引き上げようとした。なんとなく、二人を見ているのが嫌になった。
「あ、ジョー、待って!」
軽い足音が響いて、フランソワーズがぐるっと僕の前に回り込む。
「はい。トクベツでスペシャルなチョコレート」
笑顔と共に胸元に差し出されるピンクのリボンが結ばれた箱。
「・・・あ。どうも」

背後で舌打ちの音や、ヤレヤレという声が響く。
「なー。もうちょっと言いようってもんがあるだろうが」
「告白を忘れてるぞ、フランソワーズ」
「ちゃんと言わないとジョーには通じないぞ」

すると、僕の背後に向かって彼女は堂々と言い放つのだった。
「いいんです。普段たくさん言ってるから、ジョーはちゃーんとわかってるもん。
そうよね、ジョー?」
「え、あ、・・・・・・ウン」
普段たくさん言ってる。・・・って何を?
返答に困り、とりあえず渡された箱に目を落とす。ずっしりと重い。
・・・これ、チョコだよな?
「開けてみて」
「ウン・・・なんだか重いね」
ピンクのリボンを外して蓋を開けると、その中には。
・・・板チョコ??
「・・・フランソワーズ?」
えっと、よく知らないけれど・・・こういうのってしかるべき型になってるもんじゃないのだろうか。
例えばハート型とか。
「これ・・・」
「トクベツでスペシャルなチョコよ?」
・・・君がそういうなら、そうなんだろう。見てくれは普通の板チョコでも。

「ね。食べてみて?」
「・・・ウン」
改めて手に取ると、それはずっしりと重くて・・・厚さもけっこうあって・・・
厚さ??
思わずチョコとフランソワーズの顔を交互に見る。
「フランソワーズ、これ」
「トクベツでスペシャルなチョコよ?」
・・・そうなんだろうな。君がそう言うなら。例え厚さが3センチくらいあったとしても。

でも、これって食べるのは難しいと思うんだけど。
チョコを見つめ、しばし悩んでいると横からジェットが顔を出した。
「スゲーな。これ食えるのか?」
「失礼ね。食べられるわよ」
「だってこの非常識な厚さは何なんだよ。割れないだろうが」
「私たちの愛は壊れないのよ。ね?ジョー」
トクベツでスペシャルなチョコという意味はソレなのか?
軽い眩暈を覚えつつ手の中のそれをどうしたものかと悩む。

フランソワーズの言葉を受けて、ジェットは喉の奥で「けっ」と言うと、やってらんねーぜと言い残し部屋を出て行った。
「だけど本当に凄いね。初めて見るよ、こういうの」
ピュンマがしみじみと言う。
やめてくれよ。嬉しがるから。
「でしょでしょ?あのねあのね」
ほーら。ぴょんぴょん飛んで嬉しそうだ。
「これね、板チョコ5枚分あるのよ」
「5枚?・・・それは凄いな」
「えっとね、5層になっててね、ミルクチョコとストロベリーとホワイトとキャラメルとラム酒味なのっ」
「5種類作るのは大変だったね」
「ウン。でも平気。だって愛があるから」
・・・フランソワーズ。
いくら今日はそういう日だといっても、連呼されると困るよ。どうしたらいいのか、わからない。

ピュンマが作る工程を尋ね、嬉しそうに答えているフランソワーズ。
この二人も仲がいいんだよな・・・
すっかり話の輪から外れてしまっている僕はちょっと面白くない。
するとそんな気配を敏感に察知したのか、フランソワーズが再び僕をじっと見上げていた。
「ね、食べてみて?」
期待に満ちたマナザシで見つめられる。
「・・・割っていいの?」
じゃないと、とてもじゃないけど噛み切れないと思う。
「うん」
「だけど、その・・・いいのかい?」
フランソワーズの言葉で言えば、愛が壊れることになるわけだけど。
「ジョーはいいの」
「でもこれ割れるかなぁ」
「大丈夫よ。だってジョーは鉄アレイも指一本でぺきっと折れるんだから」
それとこれとは訳が違うと思うんだけど。
何故なら、このチョコはいっけん頑丈そうに見えるけれど僕が本気を出して割ったら、あっけなく粉々になりそうな気がする。
果たして「トクベツでスペシャルなチョコ」を粉々にしても、フランソワーズは構わないだろうか?

「・・・やっぱりやめとくよ」
「食べてくれないの?」
泣きそうな顔になる。
えーい、仕方ない。
「・・・割ってしまったら、僕たちの愛も壊れちゃうかもしれないよ?」
「ええっ!?」
途端に必死な顔になるフランソワーズ。
「そんなの駄目よっ」
「・・・ね?だからこれは大事にとっておこうよ?」
「うーん・・・でも」
食べてみてほしいのに。と小さく呟くフランソワーズをそうっと抱き寄せる。
「もう気持ちは貰ったから、僕はそれで十分だよ」
「もう。ジョーったら・・・」
頬を染めて、ジョーのばかと呟くフランソワーズ。

・・・途中で舌を噛むかと思った。
こんなセリフ、きっと二度と言えやしない。
でも、フランソワーズを泣かせるよりはマシなはずだ。
大体、食べるために割っても、粉々に砕けたチョコを前に絶対に泣くだろうし。
食べても食べなくても泣くなら、僕のとるべき行動はただひとつ。

君を泣かせないこと。

そのためなら、歯の浮くようなセリフのひとつやふたつ、どうってことない。
本当だよ、フランソワーズ。

・・・でも、これはやっぱり今日だから言えたことかもしれない。
だから、もう二度と言わないけれど。

結局、「トクベツでスペシャルなチョコ」は後日、ココアに変身した。
が、その時僕は居なかったので飲めなかったけれど、ジェットいわく
「お前、アレ食わなくて正解。味はかなり微妙」
だったそうだ。

「ジェットにはわからなくていいの。だってこれはジョーのために作ったんだもん」
「でもジョーには飲ませないってどういうことだよ?」
「・・・おなか壊したら困るから」
俺はいいのかよ?と拗ねるジェットを前に
「僕も飲んでみたいな」
と言ってみたけれど、結局飲ませて貰えなかった。
フランソワーズの舌に残る、チョコの残り香だけしか。