「誰も知らない物語」

 

 

 

「今日も姫様は目を覚まさなかったわね」

ひそやかな会話が聞こえてきて、姫の身辺を警護する警備兵たちは姿勢を正しました。姫の身の回りの世話をする女官たちが部屋から出てきたということは、自分たちと交代ということですから出番なのです。

「姫様にお変わりはなかったか」

警備兵の隊長が女官長に尋ねます。

「ええ。いつもと同じくお健やかでいらっしゃいますわ」

いつもと同じという部分で残念そうに小さく首を振って女官長は答えました。それを聞いて隊長は顎を引くと、脇に控えていた警備兵三人を目で促して姫の部屋へ続くドアを開けました。

百年間眠り続けるという呪いをかけられた姫。

既に眠り始めて五年になるという話です。その間、眠り続ける姫に面会できるのは彼女の両親である王と王妃、それから身の回りの世話をする女官と警備兵だけでした。女官は選りすぐられた口の固い者十五名。警備兵は腕の確かな者十五名。いずれも交代でこの五年間、眠り続ける姫を守ってきました。

「あと九五年も眠り続けるなんて……なんて不憫な子なのでしょう」

毎日姫の部屋を見舞っては、嘆き続ける王妃。そんな彼女を慰める王もまた、我が姫の身を案じているのは確かでした。

「しかし、誰か勇敢な若者が現れていずれは」

姫の呪いも解けるだろう。そう何度も繰り返しました。まるで自分に言い聞かせるかのように。

警備兵はみな、一日に一度はそんな光景を目にしていました。王と王妃の嘆きは我がことのように胸に突き刺さります。何故なら、みんな姫が大好きだからです。眠っている姿しか見たことがなくても、姫の美しさは誰もが認めるところでした。頬は薔薇色に染まり、唇は紅く肌は透き通るように白い。更に枕の上に綺麗に整えられた金色の髪はきらきらと煌いているのです。
そんな綺麗な姫はこの国みんなの自慢であり、大事な宝でもありました。

「姫様の瞳は何色なんだろうな」

いつものように部屋の中をくまなく捜索し、不埒な輩が潜んでいないかどうか、危険なものがないかどうかを確認してから警備兵は配置につきました。窓辺に一名、ドアに二名。交代時間まで姫を見守るのです。

「噂によると空と同じ蒼い色だというが……隊長は御存知なのでしょう」

隊長以外は起きて動いている姫を見たことがない若者ばかりです。

「そうだな。俺も遠くからお姿を見たことしかないからよくわからないが、そういう話だ」

空の蒼と同じ色の瞳。しかしそれをいま見ることはできません。だから想像するしかないのですが、若い警備兵は誰もがみな、姫は目を閉じて眠っている今でも大層美しいのだから目を開けたらそれはもう綺麗なのに違いないと思うのでした。

「呪いを解くっていったいどうすればいいんだろう」
「我々には不可能さ。王子でなければその資格はない」

そうなのです。姫は百年の間眠り続ける呪いをかけられましたが、同時に、勇敢な王子が現れれば目を覚ますという修正魔法もかけれらていたのです。

「王子であれば資格があるのか」
「しかし、この国に入ってくるような勇敢な王子などいるのだろうか」

百年眠り続ける姫。その姫の噂が広がると、最初の頃は物珍しさで各国の王子がやってきたものでしたが、どの王子も姫との面会を果たせず国境で逆戻りしてゆきました。実は、姫が呪いによって眠りに落ちると同時に、この国の国境付近の森という森が茨の森に変わってしまったのでした。入り組んだその中に入ってこようとする者はいなくなりました。同時にこの国からは誰も外に出ることができなくなり、いわば国民全員が茨に囚われたようになっておりました。
けれども、それを迷惑だと思うものはおりません。みな一様に姫を見舞った不幸に涙し、共に姫が目覚める日を待ち、祈りを捧げているのでした。
そんな茨に囲まれた国ですから、今ではみな素通りです。茨の森にはドラゴンも住み着いているといいますし、どんな王子であれドラゴンとの対決があるとなれば二の足を踏んでしまうのでした。

「しかし、腕試しの王子だってたまにはいるだろうよ」
「前はいたな。しかしいたずらに俺達の仕事を増やしただけだった」

茨の森で道に迷い遭難した者、ドラゴンと対決し瀕死の状態だった者。いずれも王子でしたので、そのまま放っておくわけにもいかず警備兵たちが捜索し救出しなければなりませんでした。

「迷惑な話だ。王子だからといってみなが勇敢とは限らない」

姫を助けたいという気持ちはわかるけれども、気持ちだけでは到底助けることなどできません。

「勇敢な王子、か……」

一番年若い警備兵のため息混じりの声を聞いて、隊長が小さく笑いました。

「なんだ、ジョー。お前、自分が王子だったらとそう思っているのか」
「えっ、いえ、そんなことは」

否定するものの、ほっぺが真っ赤です。

「あわてなくても、誰もが一度は思うことだ。恥じることはない」
「いえ。本当にそうではないんです。ただ、僕は」

ジョーは顎を引くと、眠り続ける姫を見ました。

「僕は、いつかやってくる王子のためにも姫様をお守りしなければならないとそう思っています」

 


 

 

ジョーは姫が好きでした。

もちろん、姫は国民のみんなから愛されています。けれどもジョーはそんなみんなに負けないくらい、誰よりも姫を愛し守りたいと思っておりました。

僕が姫を守る。

そう固く心に決めているのでした。

 

ジョーが警備兵になったのは今から約五年前。まだ十五歳の頃でした。
入隊を許されるのが十五歳だったので、ジョーは誕生日を迎えるとすぐに入隊届けを提出し、その日のうちに城に移り住みました。
警備兵になろうと思ったのは、姫が眠り始めて少ししてからでした。別に姫がきっかけだったわけではありません。
けれども時期がそうなってしまったのは,、もしかしたら運命だったのかもしれない。ジョーは秘かにそう思い、ますます姫を守るのは自分しかいないと思うようになりました。
ですから、みんなが嫌う夜勤も苦になりませんし、ずうっとただ立っているだけの歩哨をしても辛くありません。凍える寒さが襲う冬も、冷たい雨が降る日も、暑さに眩暈がするような夏も、決して文句を言ったりしませんでした。そのくらい、姫を守ることに一生懸命でした。

近所に住んでいた兄貴分のジェットが剣の達人だったので、彼から剣の遣い方を習い、そしていつしか彼を凌駕する腕前になっていました。そのジェットが入隊をすすめたのでした。
ジェットは昔、警備兵だったそうです。そして、実際に姫と話したこともあるというのです。

「本当にお綺麗で可愛くて、そしてとてもお優しかった」

この話をする時、ジェットは少し遠い目をしました。何か大事なものを思い出すような、そんな顔でした。

「姫様を守って怪我をした時、真っ先に駆けつけて手当てしてくれたんだ。姫様がだぜ。普通そんなことをする姫はいない。姫様は俺達みたいな者も区別なく平等に扱ってくれたんだ」

ジョーにとってはその話だけでじゅうぶんでした。
高貴なひとがそんな行動に出るというだけでとても興味が湧いたのです。そして、それと同時に、尊敬しているジェット兄をこんなに穏やかな優しい顔にさせるひとはどんなひとだろうと思いました。

 

「姫様がどんなにお綺麗でも、俺達は会えないんだよなぁ」

警備しながら年嵩の警備兵、ピュンマが言います。

「あと九五年待たなければ起きないんだからな。その前に俺達の寿命は尽きるだろうさ」
「でも王子が来れば、目が覚めるわけですよね」
「うん?ジョー。お前、随分楽観的だな。今までやってきた王子がどうなったか、知らないわけではないだろう」
「そうですが。でもきっと、いつか勇敢な王子がやってくるに決まってます」
「まあな。みんなそれを望んでいるが」

さてどうだろうな、とピュンマは言って、それきり唇を結びました。

ジョーは、自分が王子だったらなどと大それたことは思ったことがありません。ただ、いつか勇敢な王子がやってきて姫を無事に助け出すその日まで姫をお守りしなければと、それだけしか考えておりませんでした。

 


 

 

そんなある日のことでした。


「あの……警備兵さん」

ジョーは廊下で声を掛けられて振り返りました。目の前には時々見かける姫付きの女官が立っています。

「なんでしょう」

ジョーは少し警戒して固い声で答えました。女官が苦手なのです。だからあまり話したくはなかったし、実際、話すような用事もないはずなのでした。

「その……」

目の前の女官はなんだかもじもじしていて、要領を得ません。ジョーはいらいらしてきましたが、何か必死な様子を見て、じっと我慢しました。

「あの、私」

しばらくの逡巡のあと、女官は意を決したように顔をあげました。そうしてジョーの瞳をじっと見て言いました。

「ずっと前から、あなたの事が気になっていて……」

ジョーは胸の中でそっとため息をつきました。今年に入って何人目でしょう。数える気もおきません。

「……ごめん。気持ちは嬉しいけど、僕には決めたひとがいるから」

決めたひととは、もちろん姫のことです。叶わぬ思いだとわかっていても、それでも、姫をいつかやってくる王子にちゃんと託すまでは自分がしっかりお守りせねばとそれしか考えておりません。ですから、どんなに見目麗しい女官でも彼にとっては心が動くわけがないのでした。

「あ……ご、ごめんなさい、私っ……」

女官は真っ赤になると、駆けて行ってしまいました。

ジョーは、今度ははっきりとため息をつきました。駆け去ってゆく後ろ姿を見るともなく見遣り、彼女は誰だったかなとぼんやりと考えました。
実はジョーはもてるのです。それに気付いたのは数ヶ月前でした。年嵩兵のピュンマに「今年になってから女官に胸のうちを告白される」と相談したところ、それは愛の告白であって、みんなお前に気があるんだと言われたのでした。
ジョーにとってそれは、信じられないことでした。なにしろ、自分はまだまだ経験も浅い警備兵ですし、女性と付き合うなど考えたこともないのです。彼の気持ちは姫にしか向いていないことも、みんなちゃんとわかっていると思っていました。

「お前は自分のことを知らなさ過ぎる」

以前、隊長にも言われたことがありました。女性達は、お前のその憂いを帯びた瞳を見ると放っておけなくて構いたくなるらしいぞ、と。
憂いを帯びた瞳。
そんなことを言われたのも初めてでしたから、たいそう驚きました。ジョーは自分の外観にも全く興味がありません。彼の頭のなかを占めるのは、剣の稽古と姫の警護、それだけでした。