「赤ずきん」

 

 

 

「おおい、赤ずきん。そっちに行ったらまた道に迷うぞ」


既に肉眼では豆粒のような赤い点にしか見えないが、呼び掛けられた赤い点は確かに赤ずきんだったようで、はっとしたようにこちらを向いた。
と、思ったら脱兎のように駆けてきて、あっという間に目の前にいた。
上下する肩、荒い息。

「走るの速いな、赤ずきん」
「うるさい、わ、よ。私は迷ってたんじゃ…なくて、近道を」
「あっ、そう。ふうん。そしてまた狼に喰われたいんだ?」
「そんなの、決まってないでしょ」

やっと息が整ったのか、赤ずきんがつんと顔をあげてまっすぐに相手を見た。
蒼い瞳に紅い唇。薔薇色の頬。

「ふうん。近道。なるほどね。最近では狼の通り道をそう呼ぶんだ?」
「え。通り道…」
「あれあれ、まさか知らなかったのかい?」
「え。まさかよ、知ってたわよ。わざとよ、近道だったから」

もちろん強がりである。知らずに危険な道を行くところだった…と、この狩人に知られるのは口惜しい。
なにしろいつも絡んできて、森のことならなんでもわかっているという顔をするのだ。
自分だって森の住人である。狩人とは違う秘密の道だって知っているのだ。彼ばかり大きな顔をされるのは納得がいかない。

しかし。

以前、窮地を救ってもらったのも事実だったから、赤ずきんはどうにも分が悪いのであった。

「で、どこに行くところだったんだい?赤ずきん」
「あなたに関係ないでしょう」

構わず行こうとしたが、狩人に腕を掴まれた。

「離して」
「離したら行ってしまうんだろう?」
「当たり前でしょ」
「せっかく会ったんだ。もう少し時間をくれないか…フランソワーズ」
「殊勝なことを言っても駄目よ、ジョー。待ち伏せしてたくせに」

目と目が合った。

「待ち伏せ?人聞きの悪い。僕はたまたま狩りにきていただけだ」
「あらそう。そのわりに戦利品がないようだけど?」

ジョーの腰には獲物はひとつも吊るされていなかった。

「戦利品…か」
「そうよ。ウサギくらい捕ったらどうなの」
「僕の目的はウサギじゃない」
「じゃあ、何?鹿や猪?」

その瞬間、狩人ジョーの顔がぐっと近づいた。

「なんだと思う?」

森の中で二人きり。聞こえるのは風が揺らす葉の音だけ。

「なに、って…」

赤ずきんフランソワーズはいま、狩られようとしているのは自分かもしれないと胸が震えるのだった。

 


 

 

「遅いなあ、赤ずきん。ワインとクッキーを持ってくると言っていたのに」

テラスを行ったり来たりする彼に、部屋の奥から呆れたような声がかかった。

「別にアンタと約束しているわけじゃなかろう。赤ずきんに意地悪しといて、またここに来るなどいい度胸だ、狼よ」
「るせーな、バーサン。死に損ないは黙ってろ…アイタタタ」

思いきり尻をつねられ、狼は黙った。
ここは赤ずきんの祖母の家。
祖母は一人住まいなのだが、いつの頃からか狼が頻繁にやって来るようになっていた。

「全く。赤ずきんに言い寄るなんていい度胸だよ。そのうち狩人に殺されるよ」
「ふん。あんなヘナチョコな矢が当たるもんか」
「ジョーを甘くみるんじゃないよ、狼。ヤツはね、フランソワーズの事となると格段に腕があがるんだ」
「けっ、なんだよソレ」
「腕があがるというより…あるいは」

普段は手を抜いていて、赤ずきんフランソワーズが絡んだ時だけ本気になるのかもしれない。
そんな気がする祖母であった。が、そんなことは狼に通じるはずもない。狼は、ただイライラと赤ずきんの到着を待っている。

さて、どうしたもんかね…。

祖母は知らずため息をついた。
狼がここに来るのはいい。一人住まいの身ゆえ、話し相手ができるのはむしろ歓迎すべきことである。
が、しかし。孫娘に執心なのはいただけない。彼女は何も知らずやってきて、ばったり狼に会ってしまった。怯える彼女に迫り、味見をするように彼女の唇を…

これをジョーが知ったらどうなるだろうか。

狼がフランソワーズを押し倒したところへジョーが躍り込み、思いきりパンチを食らわせ追い払った。フランソワーズは怯え、ジョーは激怒した。以来、フランソワーズはここへ来なくなり、狼もしばらくは来なくなったのだが。
どうやら森で赤ずきんをつけ回していたらしい。そして、今日ここへやって来ることを嗅ぎ付けいまこうして彼女の到着を待っているのである。

「全く…アンタ、ジョーに殺されるよ」

 


 

 

「知らないわ。離して」


赤ずきんの訴えに狩人はあっさりと掴んでいた手を離した。
しかし、見つめる目は逸らさない。

「な。なによ、ジョー」
「別に」
「わたし、おばあさんの所へ行かなくちゃ」
「行けばいい」
「引き留めたのはあなたじゃない」
「もう、引き留めてはいない」

狩人ジョーは両手を掲げて見せ、武器も構えていないことを証明した。赤ずきんフランソワーズはいつでもここから立ち去れるのだ。

「久しぶりに会いに行くんだろう?早く行けばいい」
「あなた、さっきと言ってることが違うわ」
「そうか?僕は狼の通り道はやめておけと注意しただけだ」

狼。

赤ずきんの胸に嫌な記憶が甦った。誰も知らないが、自分を襲ったあの狼はただの狼ではない。
人狼。満月の晩だけ人間の姿になる。
たまたま満月の夜に見てしまった。そして、それを口止めするかのように口づけを…


「フランソワーズ」


ジョーの声にはっと我に返った。

「何を思い出していた?」
「別に何も」
「ちゃんとこっちを向いて言ってみろ」

しかし赤ずきんは顔を上げられない。
あの時。狩人ジョーが来なかったらどうなっていたか。いま考えても恐ろしくて気が遠くなる。
狼はジョーが飛び込んできた瞬間、人の姿から狼に戻った。だからジョーは見ていないのだ。あの狼の真の姿を。ただの獣としか思っていない。そして、獣にすんでのところで喰われそうになった赤ずきん…と、思っている。

しかし、実際は違う。

あれは喰われそうになったのではなく求愛されていたのだ。
だから、ジョーが来たときは助かったと心から安堵したし、こんなピンチを救ってくれるなんてもしかしたらジョーはずっと自分のことを気にしていてくれたのかもと期待した。
しかし。
あれは、狩人としての本能が獲物を感じただけにすぎなかったのだとすぐに思い知らされた。
別に赤ずきんには何の感情も抱いていないのだ。今日のように、森に入った自分を心配して見守ってくれていただけ。特別じゃない。誰に対しても同じことをするだろう。

赤ずきんフランソワーズには何も確信が持てなかったのである。
自分ばかり狩人ジョーに気持ちを寄せるわけにはいかない。

大体、彼が独り身なのかどうかすら知らないのだから。