平ゼロ
2016 バレンタインデー

 

 

それは、スローモーション再生を観るかのようにゆっくりと落下していった。
音もなく床に激突する。
否。音はしたのだろう。
けれど、二人の耳にはおそらく何も届かなかったに違いない。
彼女のほうは強化された聴力を持つにも拘らず。

「――っ!」

息を呑んだのは彼のほうだった。
そして、それを合図にしたかのように全ての事象が現実味を帯びてゆく。
音が戻る。
スローモーション再生が終わる。

目の前にあるのは残酷な現実だった。

「――も、何やってるのよ、ジョー」
「えっ、僕のせい?」
「だってジョーが」
「いや違うよ、フランソワーズが」

そして互いの視線が絡み合う。

「あなたが」
「きみが」

「「手を放したからっ」」

同時に言い放ち、同時に足元を見た。
床にはへこんだ箱が転がっている。

「――もうっ!!」

フランソワーズがしゃがみ込み、箱を拾い上げる。
拾い上げようと、した。が、寸前で別の手がそれをさらっていった。

「もうっ、なんなのジョー」
「これは僕のだから」
「駄目、返してっ」
「いやだ」
「だって落としちゃったのよ、中身はきっと」

ぐちゃぐちゃよ…と力なく言う。
ジョーはそんなフランソワーズに構わずリボンを解いて箱を開けた。

「わ」

思わず声が出た。途端、フランソワーズが勢いよく立ち上がる。

「返してっ」
「やだってば」
「返してよっ」
「い・や・だ」
「もうっ。どうして意地悪するのよ、ジョーのばか」

フランソワーズが泣きそうになったけれどジョーは箱を返さない。そのまま中身を摘んで口に入れる。

「うん。美味しい」
「嘘よ」
「本当だって」
「だって落としたのよ」
「味は関係ないよ」
「……ケーキなのに」
「だいじょうぶ、形は関係ないよ」
「関係あるの!デコレーション頑張ったんだもの」
「うん。そうだね」
「見てないのに」
「う、うん」

実は見た。昨夜、冷蔵庫の中で冷えているのを。
そして思ったのだ。いいなあ、これを貰うのは誰だろう?――あっ、自分かと。
それが入っていると思しき箱が自分に向かって差し出された時、嬉しくて仕方なかった。
受け取るときに互いの指が触れ合って互いにちょっと遠慮した。その刹那。箱は宙に浮いて――浮くわけが無い――落下した。
たぶん、フランソワーズが言う通りジョーが手を放したせいなのだろう。
嬉しくて浮かれていなかったかというと自信がない。

「ジョー?」

フランソワーズが不思議そうにこちらを見ている。見てないのにどうしてわかるのと今にも言いそうだ。

「ほら、フランソワーズも食べてごらんよ。美味しいから」
「え?」

だから何も言われないようにフランソワーズの唇を塞ぐことにした。

自分の唇で。

「ね?甘くて美味しい……」

 


   平ゼロページはコチラ