「好きなひとは?」


 

 

「好きなひとはいるの?」


フランソワーズを迎えに張々湖飯店に行った時だった。
もう閉店していて、後片付けも終わり、あとは帰るだけという時間帯。
いつものことだったから、僕は特に声も掛けず通用口から中に入って来たのだけど、まだ客がいたようだ。
従業員控室に向かった僕の背に今の問いがぶつかった。

男の声。

ということは、問われている相手は一般的常識の範囲で答えるならば、女。
そして、この時間この場所にいる女性といえば。


「・・・フランソワーズ」


なんということか、僕は誰かの告白場面に行きあってしまったのだ。

 

 

***

 

 

別に隠れる必要もなかったけれど、僕は、第三者がいるのはまずいだろうと壁に張り付いた。
動けば気付かれてしまう。そうしたら、さぞやきまりの悪い思いをするだろう。お互いに。

僕は気配を消した。


「好きな・・・ひと?」


フランソワーズが戸惑ったように答える。

「・・・」


なに?聞こえない。
僕は思わず身を乗り出した。

だって。

フランソワーズ、いったい君は何て答えたんだい?
そりゃ、僕にはそんなこと尋ねる資格なんかないけれど、でも・・・これだけ一緒にいるんだ。

君の好きなひとって・・・

僕。

だよね?


フランソワーズがどうしてすぐにそう言ってくれないのかわからなかった。
僕の気持ちは知ってるくせに。それをはねのけないのだから、たぶん君も僕を好きなんだよね?

そうだよね?


「・・・あの、」


聞こえない。
いったいいま、フランソワーズはどんな顔をしているのだろう。
向こうを向いているから見えないし、うつむうているから声もよく聞こえない。

僕はそうっと顔を覗かせた。
覗かせて、・・・肩越しに振り返ったフランソワーズと目があって、バランスを崩し派手に転んでしまった。


「きゃっ、ジョー?」


チャイナドレスの裾をはためかせ、フランソワーズが駆け寄る。


「大丈夫?」
「あ、うん。大丈夫」
「ジョー、もしかして今の・・・聞いてた?」
「あ、うん・・・ごめん。でも、偶然なんだ、たまたまっ・・・」
「いいの、怒ってないわ。なんていうかその・・・恥ずかしい」

微かに頬を赤らめ目を伏せるフランソワーズ。

「あの、ジョーは・・・どのへんから聞いてたの」
「聞くつもりはなかったんだ、本当だよ?」

でも、たった今まで壁に張り付いていたのだから、説得力はない。しかもそれを見られているわけだし。

「その、・・・きみが告白されたとこから」

なんともきまりが悪い。
フランソワーズは頬を更に染めた。

「いやだわ。・・・どう、思った?」
「え?」


どう思った、って、それは。


「ジョー?」
「あっ、ええと」


――それは。


「きみは――なんて答えたんだい?」
「えっ?」
「その。・・・訊かれていただろう、」


好きなひとはいるのか、って。


「・・・なんて答えたと思う?」


僕はフランソワーズを見た。
フランソワーズも僕を見る。頬が赤い。

 

――僕は。

 

「そ」

それは、と言おうとしたら第三者の声が被った。そういえば、ここには僕ら以外にもうひとりいたんだった。
フランソワーズに告白していた男が。

「これがきみの言っていた男か、フランソワーズ。――ふうん」

冷たい緑色の瞳で値踏みするように僕を上から下まで眺め回す。気分のいいものではない。

「悪いが、まだ途中なんだ。――フランソワーズ、こっちに来てくれないか」

そうしてフランソワーズの肩に腕を回して立ち上がらせ、そのまま続きをするように向こうの部屋へ誘おうとした。
でもそうはさせない。

行っちゃだめだフランソワーズ。

僕は咄嗟にフランソワーズの手首を掴んだ。


「――駄目だ」
「ジョー?」
「行くな」
「でも」


他の男がきみを口説こうというのにみすみす行かせるわけがない。

そんなの、――こっちが先だ。


「僕が先だ」
「えっ?」


蒼い瞳が揺れる。


「僕の答えを聞くんだろう?」