「意地悪な彼女」
2月13日の夜。 夕食後の片付けも終わり部屋へ戻ろうとしたフランソワーズの背にジョーの声がかかった。 「あのさ、フランソワーズ。明日なんだけど…なんの日か知ってる?」 「ええ。もちろん」 にっこり笑ったフランソワーズにジョーはほっとしたように息をついた。 「良かった。だったら、明日はどこかに出かけないかい?」 安心して誘ったのだが。 「ジョーと?どうして?」 「どうして、って」 だって明日はなんの日か知ってる、って… 「いや、だから明日はその」 ジョーはがっくりとうなだれた。 フランソワーズは本気で言っているわけじゃない。それは絶対そうだ。確信がある。 トゲのある言い方に何か言い返そうと目をあげたら、まともに視線がぶつかった。 「…そんなによりどりみどりじゃないよ」 日本のバレンタインデーは女性が男性に贈りものをするのだ。 「いっ、要るよ、フランソワーズのしか要らないよ」 赤い顔をして、ジョーは言葉と共にフランソワーズを抱き締めていた。 …本当に、もう。 ここまで誘導しないと本音を言ってくれないんだから。 特にこんな――愛の告白、なんていうものが大手を振って横行するような日には。 ジョーは優しいから、他人からの告白ににっこり笑顔で応えるだろう。 …とはいえ。 そんな彼だからこそ、自分は―― 今だけは。 彼の優しさは自分だけに向けられていると思っても、たぶん、いい。 僕が欲しいのはフランソワーズからのプレゼントだけだ ではなく 僕が欲しいのはフランソワーズだけだ わざとなのか間違えたのか省略したのか。 聞いてもジョーは自分の宣言を実行するのに忙しく、答えてはくれなかった。
「ジョーがすごくもてる日でしょう?」
「え」
「たくさんの女の子からの熱い思いを受け取ってデレデレする日」
「でっ…デレデレなんかしないよ、ひどいなあ」
「あら、そうだったかしら?」
ではなぜ、こんな意地悪を言うのだろうか。
ジョーの反応を楽しんでいるのだろうか。
「…いいわよねぇ。よりどりみどりじゃない」
「そうかしら。たくさんプレゼントをもらうんだから、私からなんて要らないわよね?」
「いいのよ、無理しなくて」
「本当だよっ」
「……本当、に?」
「欲しいのはフランソワーズだけだよっ」
まったく手がかかる。
ジョーはみんなに優しい。
だけど時にはその優しさが嫌いになる。
それがどれほどの罪なのかまったくわからずに。
時には、きっぱり断るよりも相手を深く傷つけてしまうのに。
それでもジョーは優しいから、もしその傷の深さに気付いたらその傷さえも背負ってしまうのだろう。
そういうひとだ。
でも今は、いい。
ジョーは私からの気持ちしか要らないと言ってくれた。
それを信じよう。
少なくとも、今は。
ジョーに抱き締められながら束の間の独り占め感に浸っていたからだろうか、彼がいま正確には何て言ったのか気付くのは翌日の未明になってからだった。
と、ジョーは言ったのだった。
が、あるいはそれが答えなのかもしれなかった。
「…ずるいわ、ジョー」
日付が変わった2月14日。
確かにそれは恋人同士の日であった。
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