「カノン〜視えない想い〜

 

あれ以来、君はあの口紅ばかりつけている。
よっぽど気に入ったんだ?と言うと、頬を赤くして、別にそんなんじゃないわと答える。
いつも同じ会話。いつもと同じやりとり。
それが変わったのは・・・そう。この前、君が公演の遠征から戻ってきてから。
入れ違いに僕のレース、日本グランプリが始まってしまったため、君のただいまと僕のいってきますが慌しく交差した。

「あれ?その色・・・」

いつものように君の頬にキスをして出掛けようとした時に気がついた、唇の色。見慣れた色とは違っていた。
僕の視線に、君は一瞬目を見開いて、でもすぐに笑顔になった。

「ファンのひとからのいただきものなの」
「・・・ふぅん」
「変?」
「いや。・・・似合ってるよ」
そう言ったものの、何だか落ち着かない。
「そのファンのひとって・・・」
男?女?
と、訊こうとしてやめた。
おいおい、そこまで妬いたらどうしようもないぞ、島村ジョー。いくら何でもそれはないだろ?
例え、男からのプレゼントだったとしても深い意味がある訳じゃない。・・・たぶん。
「・・・趣味がいいね」
と、無難な言葉に置き換える。そんな事、1ミリだって思ってないのに。
すると君は少し赤くなってうつむいた。
一瞬、そんな君の反応に違和感を覚えたけれども、出発の時間が迫っていたため、僕は深く考えなかった。
そうしてそれきり忘れてしまった。
あの時、違和感の正体をつきとめていれば、今頃はおそらく違った展開になっていたであろう事には気付かずに。

 

   

 

日本グランプリが始まり、僕はフランソワーズとのささいなその一件をすっかり忘れてしまっていた。
そして、レース終了後の打ち上げパーティの時に、その連絡はきた。

フランソワーズが刺された

携帯をそのまま握り潰した事は覚えている。
けれど、その後はただ空白だ。
次に覚えているのは、ベッドに横たわる君の姿。
顔色は蒼白く、呼吸も浅くて。
急所は外れている。という博士の言葉も、何を言っているのかすぐには意味がわからなかった。
そして、再び空白。
次に思い出すのは・・・『彼』が落ちてゆく姿。
僕は・・・『彼』を見殺しにした。
加速もしなかった。
助けに走る事も、しなかった。

僕は『彼』を殺した。