僕には誕生日が無い。

いつ生まれたのか、誰も知らない。

孤児院の前に置かれていたらしい。生後数日の僕が。
だから、一応の誕生日はその日になっている。
ヒトとして扱われたその日。孤児院に拾われ、そこの一員になった日。
でも。
あくまでも「仮の」誕生日だ。

だったら、別にいつでも同じじゃないか。
日付自体に意味がないのに、その日を祝う必要がどこにある?

 

孤児院で誕生日がはっきりしないのは僕だけだった。

誕生日会をすると言われたら、いつも逃げた。
そんな嘘の会に出て、嘘でも嬉しそうな顔をするのなんかごめんだった。
嘘の上に嘘を重ねて何になる?
真実になるとでも言いたいのか。

もの心ついてからはもっと酷かった。
誕生日が来る度に僕は具合が悪くなった。嫌で嫌で仕方なかった。
僕が孤児院の一員になった日。つきつめて考えれば――僕が、「お前は要らない」と捨てられた日に違いなかったのだから。
捨てられたその日が誕生日?
その日を祝う?
何がめでたいんだ?

捨てられた事か。

お前は要らないと言われた事か。

 

誕生日。
世間では、家族や友人と祝う、楽しい日らしい。

僕には、どちらも無かった。

だから、どうでも良かった。