「何してるの、ジョー!?」

何って・・・歩いているだけだ。

「――もうっ。ダメって言ってるでしょう?」

え?

003がつかつか歩いて来て、そして――俺の手から鉄アレイをひったくった。

「負荷をかけていいなんて、誰が言ったの!?」

睨みつけてくる。

「まだ微調整だと何度言ったらわかるんで・す・か!あなたの頭は飾り物?――まったく博士に言って脳波検査もしてもらわなくちゃだめだわ。――中身がすっかりイカレているから、って!」
「あの――003?」

昨日までの003と別人?

「なあに?言い訳ならききません」
「違うよ」
「だったら何かしら?」
「――君、意外と力持ちなんだね」
「え?」

その鉄アレイ、50キロあるんだけど。

「ヤダ。――ジョーのバカ!」

風を切って飛んでくる鉄アレイ。――嘘だろ?投げるかよ、普通。

「ヘンなコト言ってないで、――わかった?ちゃんという事をきかないと今日の晩御飯は抜きよ?」
「――わかったよ」

頭にヒットする寸前にかろうじて受け止めた鉄アレイを弄びながら答える。
コイツ・・・本当に003なんだろうか?

ブラックゴーストが作ったニセモノ・・・ってことは――

「――何よ。不満?」

片目を細めて睨みつけてくる。――ホンモノのようだ。どうやら。

「いや・・・別に」
「そう?――いい?もう調整は殆ど終わっているけれど、まだ負荷はだめよ。それは明日の予定なんだから」
「ああ」
小さく、つまんねーの、と言うと、それも聞き取ったのか
「ジョー!?」
怒鳴られた。
「ちゃんという事をききなさい。――全く。無理して倒れても知らないから」

 

その日を境に、彼女――003は、僕を叱るようになった。

 

 

***

 

 

月日は流れ、最終チェックの日がやってきた。

「――大丈夫よ。今まで、焦らずじっくりと調整してきたんだもの。絶対、大丈夫」

さすがに緊張している僕の背に手をかけて、003が言った。

「終わったら、あなたは――あなたには、新しい毎日が待っているわ。・・・人間として暮らせる毎日が」

長かったメンテナンスの日々は終わり、やっと・・・レーサーとして復帰することができる。
そして。

「003もパリに帰ってバレエを続けられる」
「ええ。そうよ」
「――今日が最後だ」
「明日になったらお別れね」

一瞬、見つめ合って。

「その、・・・今まですまなかった。・・・色々」

003に当たってばかりいたから。
何しろ、最初の頃は――その蒼い瞳を見るといらいらして、偽善的なその行動も酷く憎くて――嫌いだった。

「あら。随分殊勝なセリフですこと?」

それが今はどうだ?既に同じ人物とは思えないくらいの変わりようだった。
だけど。
彼女は偽善者ではなく、上滑りな言葉も吐かず――

「いいわ。受け取っておきます。一応、ね」

僕に気を遣ったりなんかしない、そのストレートな物言いは・・・気持ちが良かった。

「あ、博士がいらしたわ。――じゃあね、ジョー・・・009。あとでね」

 

***

 

翌日。

彼女はパリへ帰って行った。

 

僕はひとり日本に残った。

新しい日々が待っている。新しい日々が――始まる。

 

空が蒼い。

海も蒼い。

風が吹いていて――

 

ギルモア邸の玄関を出て、一歩踏み出したその先に広がる蒼い海と蒼い空。

部屋の窓から見たのと同じ景色だった。

 

今朝、同じ蒼い瞳で彼女はこう言った。

「――今日があなたのお誕生日かもしれないわね」

僕の視線に気付いたのか、少し照れたように笑って。

「ずっと前に、ジョーにお誕生日をきいた事があったでしょう?」
「――あったな。そんなことも」
「あの時、何て答えたか憶えてる?」
「僕が?」
「ええ」
「・・・さあ。知らないな。憶えてないよ」

すると彼女は僕の顔をじっと見つめて――

「――そう。憶えてないの。・・・うん。だったら・・・」

 

「今日をあなたのお誕生日にしちゃいましょう」

 

「――は?何言って」
「それでね。私のお誕生日も今日にしちゃうの」
「003の誕生日はちゃんとあるだろ?」
いつなのかは憶えてないが。

「いいじゃない。・・・生まれ変わった009のお誕生日に立ち会ったんだから」
「生まれ変わった、ってなんだよ?」
「あら。――ふふっ」
気付いてないのね――と小さく呟く。

気付いてない、って――何に?

「いいから。――ね?そうしましょう?」

――まぁ、いいか。どうせ僕には誕生日なんて元々ないんだし。

「――あ。またそんな顔して・・・ダメよ?『どうせ』なんて言ったら」
「言ってないよ」
「聞こえたもの」
「・・・地獄耳」

ばし、と背中をひっぱたかれた。

「手加減しろよな――鉄アレイを軽々持てる力を持ってるんだから。背骨が折れる」
「ま。しんっじられない!よくもそんな事が言えたもんだわ」

ジョーのばか、知らないっ――拗ねたようにそっぽを向く。

「――わかったよ。年に2回年を取りたいっていうなら止めないよ?」
「もうっ、どうしてそういう言い方するのよっ」

こんな――他愛もない会話をするのも、今日が最後だった。

「――いい?今日が009の――ううん。島村ジョーの、本当のお誕生日なのよ?」
「う・・・ん」
「誰かに訊かれたらそう答えるのよ?」
「・・・わかった」
「ちゃんと憶えてね?」
「ああ。――今日っていつだっけ?」
「5月16日。・・・忘れないで」
「努力するよ」
「私は覚えているから。・・・ずっと」

 

ギルモア邸を後にして、だらだら続く坂道を歩いて下る。

 

今日が僕の誕生日になった。

 

不思議と、いつものような負の感情は湧いてこなかった。

嘘の誕生日。
どうせ僕には誕生日なんかない。
誰も祝ってなんかくれない――

心が真っ黒に塗りつぶされてゆく感覚は忘れてはいなかったけれど、平気だった。
気分が悪くなったりもしない。
手が震えたり――眩暈がしたり――吐き気がしたり――しなかった。

 

僕の、誕生日。

 

――誕生日か。

 

まるでその言葉を初めて知ったかのように、僕はそれを何度も言ってみた。
心の中で転がしてみる。何度も何度も。珍しいものを見るかのように。

何度も転がして、確かめて――でもそれは消えなくて。
そうして、やっと自分のものなんだとわかった。

今まで持っていなかったものを持つのは、おっかなびっくりでどう扱ったらいいのかわからないけれど、だけど、それは苦痛ではなくて・・・ほわんと心が温かくなるような、泣きたくなるような不思議な感覚だった。

今日、やっと僕は生まれたのかもしれない。
この感覚が――ヒトとして最初から与えられているものだとすれば、僕は今日初めてそれを知ったのだから。

僕の、誕生日。
その日を覚えていてくれるひともいる。
くすぐったくて、落ち着かない。

 

――そうだな、あるいはもしかしたら・・・・

 

 

本当に、今日が僕の生まれた日だったのかもしれない。

 

 

 

HAPPY BIRTHDAY,JOE!!