ジョーのお誕生日2010
一日ずうっと一緒にいる。 ともかく、ずうっと一緒にいた。 同じようになるはずだ。 落ち着かない。 朝も昼も夜もその次の朝も。もしかするとお昼まで。 本当に、DVDを観たりお茶を飲んだりお喋りしたり、あるいは外へデートに出かけたり、もしくはナインのキッチンで一緒にケーキを作ったり。 ――そんなことを指すのだろうか。 ………………。 それは彼の誕生日だからというよりも、本当は――スリー自身も望んでいることだった。 ずうっとずうっとジョーと一緒にいる。 ジョーの――腕のなかで。 「お兄ちゃんが来るの!?どうして!?」 「どうして、って、モナコグランプリだし。近いし」 兄であるジャンも来るというのだ。モナコに。 どうやらジョーがチケットを送って招待したらしい。 嬉しいわ。 「部屋のことなら心配ないよ。ホラ、僕達が毎年予約してあるスイートって部屋が余ってるくらいだろう?全然ヨユウだよ」 なぜかジョーの声が弾んでいて、フランソワーズの心は重く沈んだ。 いや、わかっていない。 フランソワーズはそう判断した。 「なんか……気持ち悪くないですか?」 そうしてスタッフ二名は揃って同じほうを向いた。 「……気のせいじゃないよな?」 そんな恐ろしいことを言えるもんならとっくに言っている。なにしろ、雌雄を決するといっても過言ではないモナコグランプリを控えているというのに何を浮かれているのか、我がチームのパイロットはニヤニヤ笑いを浮かべているのだ。 だったら――仕方がない。 そんなわけで、誰も何も言えないまま、ハリケーンジョーは周囲に謎の笑顔を振り撒いていたのだけれど。 *** 「まあ、ジョー!なあに、そのだらしない顔っ!しっかりしなさい」 小さく言って周囲を見ると、周りのスタッフは揃って頷き返してくれた。 「ジョー?」 衆人環視の状況にもかかわらず、ハリケーンジョーは自分の勝利の女神に甘えることを厭わなかった。 「ずっと浮かれてたのね。いけないひと」 ジョーの瞳が丸くなる。 「楽しみにしていたのは私だけなのね。……残念だわ」 そう一息に言うと、ジョーはフランソワーズを抱き上げていた。 「みんな!勝利の女神が来たんだ!モナコはもらったぞ!」 スタッフ一同が拳を天に突き上げた。
それは、去年の誕生日に実行したことだった。当日の朝8時から翌日の朝8時までの24時間限定で。
もっとも、翌日は朝8時よりも随分延長してしまったけれど。
だから、今年もそうしたいとナインが望むのなら、同じようにするしかない。
なるはずなのだけれど。
どうも何だか意味が違うような気がして仕方がない。
ずうっとずうっと一緒にいる。
ずうっと。
ずうーーーーーーっと。
それは――
違うような気がする。
違うだろう、きっと。
違わなくてはいけない。
違うべきである。
スリーは大きく大きく息をついた。
それはため息ではなく、あるいは決心の深呼吸なのかもしれなかった。
私はずうっとジョーと一緒にいることに決めた。
それも――ジョーが望むように。
一緒に過ごす。
電話の向こうの能天気なジョーの声にフランソワーズはいらいらと返した。
けれども返ってくるのは、やはりどこかのほほんとしている声だった。
「ぜんっぜん、近くないわよ、モナコとパリなんて!」
「近いだろう、日本よりはさ」
「遠いわよっ」
「やだなフランソワーズ。何か怒ってる?」
「怒ってないわ。驚いてるの!」
モナコグランプリ。
むこうの状況はどうなのか、ジョーに電話をかけたフランソワーズだったが思いもかけないことを言われ抱いていた甘い思いは粉砕された。
もちろん、それだけならどうってことはない。が、ホテルの部屋も一緒なのだというから、フランソワーズの怒髪は天を突いた。
誕生日なのに!
私を欲しいって言ってるのはジョーなのに!
悩んだのに!
兄がいたら何も――できないではないか。
できないだけならまだしも、サイアクの事態が待っている。たぶん。
「君も久しぶりに会えるの、嬉しいだろう?」
「……そうね」
でも今、君「も」って言ったわよね?
「そうね」
兄に会えるのはもちろん嬉しい。でも――その日はジョーの誕生日なのだ。
彼の誕生日の重要性を兄はわかっているだろうか。
わかっていたら、いくらジョーがお願いしたって来るのを断るはずである。
妹の邪魔をするのは目に見えているのだから。
そして邪魔をしたら、彼の妹は大暴れするのだから。
「ああ。やっぱりお前もそう思うか」
「ええ。見間違いじゃありません」
「そうだよな」
「そうですよ」
…………。
ふたりの視界には、頬が緩みに緩んでいるハリケーンジョーの姿があった。
先日からずっとこうだ。
もちろん、頬が緩みっぱなしだからといってふざけているわけでもフマジメなわけでもなく仕事はいつもと変わらぬ厳しさである。
だから、彼らだけではなくほかのスタッフも、ドライバーの表情に関しては何も言わなかった。
「……裸の王様」
「えっ?」
「いやな、そういう御伽噺があるだろう?」
「ええ、ありますけど?」
「それだよ。様子がおかしくても、見えないふりをするというか……」
「でもそれだと、誰かが最後に指摘することになりませんか?」
そのニヤニヤ笑いをどうにかしろ、って。
スタッフ二名は黙ってお互いの目をみて、そうして静かに視線を逸らせた。
それもずっと。
頬の筋肉がどうにかなってしまったとしか思えない。
いや、本当にどうにかなっているのかもしれない。
だから、元のきりっとした顔ができないのだ。
真実を告げる役は、やはり――ジョー自身の勝利の女神様しかいなかった。
「やあ、フランソワーズ」
「やあじゃないでしょ。もうっ、……なにニヤニヤしてるのよ」
「ニヤニヤ?してないよ。変な言い掛かりはよしてくれ」
「……気付いてないのね……?」
「うん?なんだい?」
べたべたと腕を絡みつけ、髪に頬を摺り寄せて。
「浮かれてないよ。僕はいつもと同じさ」
「あら、それは残念ね。私と一緒だと思ってたのに」
フランソワーズの瞳には、戸惑ったような驚いたようなジョーの顔が映る。
「いや、……違うよ」
「そう?」
「うん。……浮かれてたさ。僕だって!」