ジョーのお誕生日2010
ジョーとずっと一緒にいる。 それの意味することを考えると、頬がどうにも熱くて仕方なかったけれど、スリーは頑張った。 と、なると。 あとは――あとの手段は。 落ち着かない。 さっさとこんなところ出なくては。 そう心に決めて、えいやっと目の前にあったDVDを掴んだ。 *** しばらくずんずん歩いて、そして――やっと大きく息を吐き出した。 スリーは考えた。 そうじゃないのだ。 なにしろ、……ナインの誕生日なのだから。 それにしても、何故なのだろう? ――馬鹿らしい。 いい加減に眩しくなった目を瞬き、フランソワーズは窓のシェードを下ろした。 日本を発ってからどのくらい経つだろうか。 フランソワーズはずっと考えていた。 ジョーは今まで自分の誕生日は大嫌いだった。 けれど。 とはいえ。 フランソワーズにとって、それらは関係ないものだといえばその通りでもあった。 自分がいま一番大切に思っているただひとりのひとが生まれた大事な日であるということ。 その日が来なければ、ジョーが生まれることもなかっただろうし、こうして会うこともなかった。 けれど、いくらそう説いてもジョー自身が納得しなければ軽んじられてしまうのも事実である。 それがここ数年はそうではなくなってきたように見えた。 否。 なくなってきた。 それは確かだった。 それは、フランソワーズが友人にそそのかされて「プレゼントは私よ」と言った時から始まった。 だから。 今年も楽しみにしているジョーが嬉しくて、フランソワーズもそれに応えようとあれこれ考え、そして悩んでいたのだ。もちろん、その悩みは辛いものではなく嬉しい悩みであり、悩むほどに自分はなんてジョーが好きなんだろうと自覚させられたものだった。 が、しかし。 そんな嬉しい悩みが全て水泡に帰そうとしている。 不思議だった。 なぜ自らそんなことをしたのか。 ――それはない。 それだけは確信できる。 では――なぜ? フランソワーズは小さく呟いて、シートを倒し毛布を被った。 ひとり考え込んでいても仕方がない。 「もう……勝利の女神っていうの、やめて頂戴」 軽く唇を尖らせて言って、ジョーの顔を見上げる。 「そう思っているのはきみだけさ」 フランソワーズの鼻をつんとつつくと、ジョーは重ねて言った。 「本当だよ。わかってないのはきみのほう」 彼が自分のことをそう言い出したのはいつからだったのか、フランソワーズは思い出せない。が、どうやら彼のチームではそんな名称で定着してしまっているようだった。
彼の腕のなかで。
なにしろ自分には絶対的に足りないものがある。
それは知識と経験。
どちらもナインと比べたら天地の差がある。
が、とはいえ、それを埋めるために他の相手で経験を積むなど絶対にできないし、したくない。
だから、互いの差は永遠に埋まらない。
「……DVDと、……本。……かしら」
そんなわけで、いま――レンタルショップのAVコーナーにいるのであった。
今まで足を踏み入れたことのない領域。
そこにいるだけでも落ち着かないのに、先刻から隣にいる男性が遠慮なく自分に這わせてくる視線。
悩むことなんかない、どうせわからないのだからどれでもいいではないか。
――ひっ。
手に取ったDVDの表紙が目に入り、危うく取り落とすところだった。
やっぱり無理っ。
あられもない姿の女性を目にして、スリーは電光石火の早業でそれを戻すと脱兎のように逃げ出した。
普通のコーナーに出ても、瞼の裏に刻まれた女性の姿がちかちか瞬いて、スリーはそのまま外に出た。
結局、何も借りずに。
――こんなんじゃ、駄目だわ。
けれど、先刻の場所に戻るのは無理な相談だった。
とはいえ。
だったら、絶対的に足りない知識をどこでどう補えばいいのだろう?
悩んだ。
そして。
そんなことは――結局、ナインに任せるしかないのではないだろうか。という結論に達した。
が。
「ううん、駄目よ!」
頭を振ると、ともすれば頼ってしまうナインの姿を脳裏から消した。
スリーが考えているのは、そういうことではない。
自分から、何か。
何か、彼が喜ぶようなことを――
フランソワーズは頬杖をついて窓の外を眺めていた。
眼下に広がる雲海。
どんな速度でどんな距離を行っても変わらない景色。もしかしたら、永遠にこのままなのかもしれない。
地上に戻ることもなく。ただずっと同じところを周り続ける。
途端に暗くなる視界。
フランソワーズの座席以外は全てシェードが下りており、機内は既に消灯されていた。
その理由は幾つもあって、どれもフランソワーズにとっても納得できるものだった。
彼女にとって大事なことはただひとつ。
巡り会えた奇跡というけれど、そもそも同じ時代に生を受けなければ会うことなど叶わない。
だから、その経緯がどうであれ、フランソワーズにとってジョーが生まれたという事実は大切なものであり、彼が誕生したその日はとても大切な日であった。
実際、その通りで、彼は誕生日などどうでもいい――そう過ごしてきた。
大喜びしたジョーは、あまつさえ「こういうプレゼントをもらえるなら、誕生日ってやつも悪くない」などと言ったのだ。そしてその通り、翌年もジョーはよく憶えていて――本当に嬉しそうだったのだ。
自分を欲しいと言ったくせに、当の誕生日に第三者を呼んだのだ。そんなことをしたら、せっかくの――彼自身のリクエストにどうあっても応えられないではないか。
あるいは、ジョーにとってフランソワーズを欲しいというのはただのジョークの域でしかなかったのか。
「直接訊くしかない……か」
「なぜさ」
「大袈裟だわ。私にそんなちからはないもの」
目が合った。
ジョーは少し笑うと、そんなことはないさと口のなかで呟いてフランソワーズを抱き寄せた。
「またそんなこと言って」
勝利の女神。
――私にそんなちからはないのに。