―8―

 

今日はジョーのお誕生日。
でもケーキを作る時間はなくなってしまったのでプランCに移行した。
プランC。これが成功するかどうかは、ジョーの状態に依るところが大きかった。

 

「ん。上出来」

あとはもう少し冷めてからデコレーションするだけ。
と、いっても、すでにフルーツ類でのデコレーションは済んでおり、残っていることといえば前面に「ハッピーバースデージョー」と書くことだけだった。これは冷めてからじゃないとできないので、あと数分待たなければならない。
その「あと数分」の間にできることは何かあるだろうか。
ちょっと考えて――リビングの様子を窺った。

気配は無い。

ジョー。
あなたって。

確かに今は有事ではない。だから全ての機能がオフになっていても全然構わないしどうってことはない。
ないんだけど。
だけど、でも――こんなんで大丈夫?

 

最初はいないと思った。
ああ、ジョーは落ち込むとかそういうことなく喧嘩してても全く意に介さず飲みに出ているんだわ――と。どこかのクラブで遊んでいて、きっと朝まで帰ってこない。そういうわけなのだ。
そう思って、プランCだのなんだのって意気込んでいた自分が悲しくなった。ばからしい、帰ろう。そしてもう彼のことは忘れちゃおう。そう思って、踵を返そうとしたその視界の隅に。

異形のものを見つけたのだ。

異形のもの。
リビングの片隅に、ぽつんと。
真っ暗な中に。

一瞬、背筋が凍った。
だって本当に異形な何か――妖怪か何かと思ったのだもの。けっこう本気で。

でも違った。

それは。

そこにいたのは。

部屋の主だったのだから。

部屋の主――つまり、ジョーだ。

……落ち込むにもほどがある。
何が悲しくて自分の誕生日に真っ暗な部屋の隅っこで丸くなっていなければならないのか。
しかも、気配が完全に消えているから、……まさかの事態までウッカリ考えてしまった。一瞬パニックになりかけたのだけど、近付いてよくよく見てみたら眠っているだけだった。
完全スイッチオフで眠る最強のサイボーグ。
もしここにいるのが私ではなく敵だったら、あっけなく命を奪われていたに違いない。油断するにもほどがある。

膝を抱えたまま眠るなんて器用なひと。

起こすか起こさないか迷って、結局そのままにした。私にはやることがあったから。ジョーが眠っているほうが都合がいい。プランCはサプライズ要素が主なのだ。

 

 



―9―

 

甘い香りがした。

そう認識した途端、腹が鳴った。
やはりカップ麺だけの食事というのは足りなかったらしい。

僕は目を開けて、あたりが真っ暗なのに驚いた。
今日、どうしてたんだっけ――確か夕食にカップ麺を食べて、で……そのあとインターホンを観察して過ごした。でも鳴らなかったからそのまま――記憶が無いから、きっと眠ってしまったのだろう。それにしても電気ってつけてなかったっけ?
まぁ実際に暗いのだから、つけていなかったのだろう。
立ち上がると電気をつけた。変な格好で寝ていたせいか腰が痛い。喉も渇いている。
何か飲もうとキッチンに向かった――が、改めて気付いた。そういえば、甘い香りがしたから目が覚めたんだった。
いや、腹が鳴ったんだった。

この香りはいったいなんだ。――食べ物には間違いないはずなんだけれど。

どこで嗅いだんだったかなと記憶を手繰りながらキッチンに到着した。
なぜか灯りがついていて、テーブルには魔法のように食べ物が鎮座していた。

「……ハッピーバースデー。ジョー」

おしゃれな感じのホットケーキの前面にそう書いてあった。

「フランソワーズ!?」

いっぺんに目が覚めた。
覚醒した。
からだじゅうのあちこちにスイッチが入ったみたいに。

「フランソワーズ!」

いる。

この部屋のどこかに。

来ている。

僕に会いに。

「……フランソワーズ!」

だってこうして僕をびっくりさせようなんて計画するのはフランソワーズしかいない。そしてそのびっくり計画は成功しているのだ。こういう類のミッションを完遂させることができるのは、この世にフランソワーズしか僕は知らない。
いったいどこにいる。
いるのはわかってるんだ。どうして姿を見せない?

僕はそこに立ったまま、神経を研ぎ澄ませた。
左右に目を遣る。

どこだ。

どこに隠れている。フランソワーズ。
否、なぜ隠れる必要がある?

それは――まさか、僕の誕生日を祝いたいけれど僕には会いたくはないとか、……そういう意味なのか?

まさか。

いや、でも。
実際、喧嘩の真っ最中だ。

ありえる。

いや、いくらなんでもそれはない。

いやいや、そうでもないかもしれない。フランソワーズはもう僕なんかには会いたくないのかもしれない。あんな酷いことを言ったから。

いや待て。だったらどうしてこんなことをする?
会いたくない相手のところにわざわざやって来て、好物のひとつのホットケーキを焼いたりするだろうか。そんな手間をかけるだろうか。嫌いな相手に。

嫌い――じゃ、ないだろう。

自分で言って悲しくなってしまった。だって僕はさっきから「会いたくない相手」とは言っていたが、「嫌いな相手」などとは言っていない。そこまでは言っていないんだ。なのになぜいきなり「嫌いな相手」などと言ってしまったのだろう。
僕はフランソワーズに嫌いなんて言われてないし、嫌われてもいないはずだ。

たぶん。

……きっと。

………だよな……?

自信がなくなった。

嫌いな相手にこんな手の込んだことをしないだろうと思ってはいるものの、いや、彼女は意外と物好きだから普通に予測できる範囲を簡単に凌駕する。だから、嫌いなひとを相手にしてもこのくらいのことはやってのけるかもしれないのだ。
何しろモノは誕生日だし、それに――フランソワーズは優しいんだ。ものすごく。たぶん宇宙で一番。

そんな優しい彼女に嫌われる僕ってそれはもう酷い奴なんだろう。
きっともう会えないのに違いない。
だって僕は嫌われていて、フランソワーズはものすごく優しくて、なのに僕は酷い奴なのだから……

 

 



―10―

 

「もうっ。捜してくれるの、くれないの?」

どっちなのよ――という声とともに背中にフランソワーズが出現した。忽然と。

「……フランソワーズ」
「ちっとも捜してくれないんだもの」

待ちくたびれちゃうでしょうとぎゅっと腹を締められた。両腕で。

「――うん。……ごめん」
「遅いわよ。それを言うの」
「そうだよな。……ごめん」
「お誕生日なのに、日付が変わっちゃったでしょ」
「うん」
「お誕生日おめでとうって言いたかったのに」
「……」
「ジョー?」
「…………」

腹を締めていた腕が緩んで、背中にいたフランソワーズが前から僕を覗き込んだ。

「ヤダもう。泣き虫なんだから」

 

 

 

そのあと僕は、たくさんのホットケーキとたくさんのキスをもらった。

日付はもう変わってしまったけれど、そんなことはどうでもいいのだとフランソワーズは言った。こうして「誕生日を祝う」という事実は変わらないし、祝いたいと思う気持ちも変わらないのだからと。

そういうものなのだろうか。
よくわからない。
僕は「誕生日」にまつわるあれこれをまだまだ知らないらしい。なかなか奥が深いようだ。きっと、こうして毎年少しずつわかってゆくのだろう。
来年はどんな誕生日になるのだろう。

「あら、もう来年のお誕生日の話?」

フランソワーズが笑う。なんだか嬉しそうだ。

「うん――来年は」

喧嘩はやめようとか、ちゃんときみの言う通りにするよとか、あれこれ頭をよぎったけれど。

「――もっと、笑おうかな」

反省の意味もこめてそう言ったら。
途端、今の今まで笑っていたフランソワーズが泣き出したから驚いた。
僕が慌てると、ぷいっと横を向いて小さく言った。

「これは来年のジョーのぶんよ」

 

来年の今頃、僕はうんと笑っていることだろう。

 

 

 


end