フランソワーズが出て行った。

バレリーナになる夢を僕は止めなかった。
今は平和だし、本気で夢を叶えたいならそれもいいだろうと思ったのだ。

だったら祖国であるパリに帰ればいい。そう背中を押した。
そして、時々日本に来ればいい。僕も時間の許す限りパリに行くよ。

そう伝えた。

しかし。

彼女は言った。バレエをすることだけが目的ではないと。
自分はもうサイボーグであることも、戦った過去も、全て忘れてふつうの人間として生きたいのだと。

つまり、……忘れたい過去のなかには僕の存在も含まれるというわけだ。


もう会わない。


考えただけで胸の奥が詰まって、うまく息もできないように思えた。
でも、フランソワーズがそれで幸せなら。

それが彼女の幸せなら。


僕は。


最後のキスは甘くて冷たかった。

 

僕は時々思い出す。彼女との最後のキスを。
その温もりが少しは残っていないかと、そっと唇に触れる。それがいつの間にか癖になっていた。

彼女の温もりが残っているはずもないのに。

 

 

***

 

 

翡翠は美しい女性だった。
だから、好きだといわれて悪い気はしなかったし、――今の僕には拒む理由などない。
既に最愛の女性を永遠に失ったのだ。


――パリでどうしているだろうか。もう…恋人くらい、できたかな。


そう思うと嫉妬で胸が焼けるように痛んだ。
彼女の脚の間に誰か知らない男がいるなど耐えられない。今すぐフランスに行って、そんな奴と彼女を引き剥がして――いや、ダメだ。
フランソワーズは、僕のことなど忘れたいんだ。サイボーグや戦いを思い出させるから。

会いたくないのだ。僕などには。


フランソワーズは僕を捨てたのだ。


ずっとそばにいると言ったその唇で別れの言葉を囁いた。
ずっとずっと永遠に――隣にいると信じた女性。
僕は彼女のことをずっと――恋人であり母であり、何者にも替えがたい女性だと思って来た。
大事に大切にしてきたつもりだった。

でも、そんな僕を彼女はあっさり置いて行った。

僕は邪魔なのだと。要らないのだと。そう去っていく背中が言っていた。


フランソワーズは知らない。僕はもう彼女がいないと何も――息をすることすらできないのに。

僕は、

 

俺は、


誰か――抱き締めてくれるひとがいないとダメなのだ。

それは誰でもいいというわけではない。そんなことはフランソワーズは知っているはずだ。
何度も何度も言ったのだから。
彼女を抱き締めながら。彼女の体温を感じながら。

俺にはもうフランソワーズしかいなかったのに。

 

 

「ジョー、……大丈夫?」

翡翠がひっそりと言う。

「――ごめん」
「いいの。謝らないで」

そうして俺の髪を優しく撫でた。
俺は彼女の柔らかい胸に頭をあずけ目を閉じる。

そんなことを繰り返していた。
少しは安らげるだろうと期待して。

でも、全然ダメだった。
俺は彼女と交わることすらできないのだ。
何度試しても駄目だった。幾度となく肌を合わせても――俺は男として全く役に立たなかった。


なぜ。


なぜ――駄目なのか。


くそっ。


どうして。

 

どうして――まだ忘れない?


どうしてフランソワーズじゃないと駄目なのだ。
俺は一生、彼女以外の女性を抱くことはできないのか。

翡翠はそれでもいいと言ってくれた。しかし。


――たぶん、俺自身がそれではいやなのだろう。

翡翠では。

彼女なんかでは。

 

俺が心から望んでいて、本当に抱き締めたいのは。

 

 

 end