―4―

 

「ただいま」


ジョーが帰ってきた。
いつもなら明るくおかえりなさいと言うのだが、今日はそんな元気は無い。が、ジョーもそんなフランソワーズに気付く心の余裕もないようだった。

「今日、どうしたんだよ」
「どうって、何が」

訊くまでもない。お弁当のことに決まってる。

「待ってたのにさあ」

だからハラペコだよとジョーはすねたように言った。

嘘ばっかり。食べたくせに。

どうしてそんな嘘を吐くのだろう。

悲しいのか怒っているのか、どちらでもないのか両方なのか、フランソワーズは自分で自分の気持ちがわからなくなった。

その時、ジョーの腹が鳴った。それはもう豪快な、尋常ではない鳴り方である。ただの「夕御飯が待ち遠しくて」な腹具合とは違う。例えば、半日以上何も食べてないかのような。

「本当に…何も食べてないの」
「いや。朝、社長がおにぎりをくれた」

それは知っている。

「……それだけ?」

じゃないでしょ?

「うん」
「だってお昼は」
「だから。フランソワーズの弁当を待ってたんだって」

嘘よ。

お腹空いたよフランソワーズ、と、ごはんを催促するように体をすりよせるジョー。
フランソワーズはぼんやりとその頭を撫でた。

でも。だって。

じゃあ、社長の娘さんのお弁当は?

 


―5―

 

こうして二人で普通の生活をしていると忘れがちだが、二人とも実はサイボーグである。
そしてジョーは科学の粋を集めた最新型のサイボーグだ。フランソワーズには無い機能があってもおかしくはない。心肺機能の強化はもちろんのこと、筋肉や皮膚だって強化されているし、他の内臓だってそうだろう。
故に、消化機能だってすばらしく効率が良いに違いない。
フランソワーズのようにいつまでも胃が重いなんてことはないのだ。食べたものはさっさと消化し養分として吸収し己のちからに替えてゆく。そんなちからが備わっているに違いない。
だから昼に素敵なお弁当を食べても今は胃が空なのだ。豪快な腹の音をさせてみたりするのなんて簡単だ。

従って、いま本当に腹が空いているには違いないが、それがイコール昼に何も食べなかった証明にはならない。

故に。

ジョーは嘘を吐いた。

社長の娘が作ったお弁当を無下に拒否できるわけがない。それも一度はありがとうなんて言ったのだから。ジョーはまさかフランソワーズがその一部始終を見て知っているとは夢にも思っていないだろう。
だからこんな嘘を平気で吐き、しかも弁当を届けなかったフランソワーズを責めているのだ。

もちろん、ジョーにしてみれば思いやりの嘘に違いない。彼が吐く嘘は全てにちゃんとした理由があって、それは大抵フランソワーズを傷つけないためのものであった。
弁当を届けるとフランソワーズが言った手前、昼は食べたから大丈夫だったよとは言えないのだろう。
そして何故フランソワーズが弁当を届けてくれなかったのかを知りたがっている。
少し怒ったふりをして。

ふりだろう。

実際には昼御飯を食いはぐれることはなかったのだから。
むしろ更に弁当を食べる羽目にならず良かったと思っているかもしれない。

さて、では自分はどうしたらいいのだろう。

腹減ったごはんごはんと甘えてくるジョーの頭を撫でながら、フランソワーズは思案した。自分が朝に見た光景のことは言えない。となると、ジョーになぜお弁当を届けなかったのかを伝えなくてはならない。
起こった事象だけを見るならば、悪いのはフランソワーズなのだ。約束を守らなかったのだから。
そしてジョーはそんな彼女をもっと怒ってもいいのにそうはしない寛容な男ということになる。

なんだか納得がいかなかった。

が、これは厳然たる事実であった。いまここに第三者がいたなら皆がそう思うだろう。


「……失敗しちゃったのよ。お弁当」
「えっ?」
「朝、急いで作ったからかしら。卵焼きも焦がしちゃったし」
「……そうなんだ」
「ごめんね、ジョー」

焦がしても食べたのにと唸るジョーを一瞬抱き締め、夕御飯の支度をするわねとキッチンに向かった。

「フランソワーズ」
「なあに」
「その、…簡単なものでいいよ」
「え。でも」
「本当に腹ペコなんだ」

おにぎりか何か作ってくれると照れたように笑った。

「……わかったわ」

ジョーの嘘は完璧だ。これが「お腹が空いた」演技だなどと誰が思うだろう。

 


―6―

 

「ジョーったら、そんなに急いで食べると喉に詰まるわよ」
「だって本当に腹減ってるんだよ」

おにぎりを嬉しそうにぱくつくジョーにフランソワーズはお茶を差し出した。

「いいからちょっと飲んで落ち着いて」

落ち着いたジョーは、少し食べる速度を落とした。

「今朝、ひと段落した時に社長がおにぎりをくれたんだ」
「社長が作ったの?」
「いや。社長の娘さん。時々手伝いに来てくれるんだ。前に話したよね?」
「……ええ」
「それで、お昼御飯も差し入れてくれたんだよ」


まさかのカミングアウト?
腹が満たされて気が緩んだのだろうか。

あまりに迂闊なジョーにフランソワーズは何も言えなかった。
さっきまで散々嘘を吐いていたのに。

しかしジョーは気付かず、話を続けた。

「でもさ、ほら、僕にはフランソワーズの御飯が届く予定だっただろ?だから困ったなあって思っていたんだ」

だったらそう言えばいいんじゃないの。

と、思ったけれど口にしなかった。

「で、お昼になって出してきたお弁当を見たら社長がびっくりしてさ。お前何があったんだって凄い剣幕で」
「え?」
「社長の分ともうひとつお弁当があったんだけど、誰がどう見ても愛妻弁当って感じの豪華なやつだったんだ」

それは。
社長のお弁当を作るついでではなく、気合のはいったお弁当に違いない。ということはつまり――その女性はジョーに気がある。

「ふうん……もてるのね。ジョー」

なんだかもう聞く気力も失せてしまった。が、ジョーはびっくりしたようにこちらを見たのだ。

「え。違うよ、いやだなあフランソワーズ」
「だって、ジョーに渡そうと思って作ってきたんでしょう」
「そうじゃないって。だってそのお弁当って旦那さんに作ったやつなんだから」

社長も、なんだ朝から夫婦喧嘩かって驚いちゃってさ――というジョーの声が遠くに聞こえた。

「え。結婚してるひとなの?」
「うん。言ってなかったっけ?子供もいるよ。ふたり」
「そ――」

そんなの、知らないわ。

「で、ひと悶着あって、お前は弁当持って謝ってこいって彼女を追い返してさ。大変だったよ」

社長の弁当と愛妻弁当の差が大きくて、社長がちょっと可哀相だったよと笑った。

「じゃあ、……お昼御飯は」
「だから食べてないって言ってるだろ。さっきから。社長がさ、弁当半分食べるかって言ってくれたんだけどフランソワーズが届けてくれることになってるから大丈夫ですって断って」

なのに来ないんだもんなあと悲しげにため息をついた。


――本当だったんだ。


ジョーは本当に昼から何も食べていなかった。嘘など吐いてはいなかったのだ。

「……何か買って食べようって思わなかったの」

するとジョーはびっくりしたように目を瞠った。

「なんでフランソワーズのごはんが届くのに買うんだよ」

フランソワーズのごはんだったら買ったけどねと笑う。
そんな彼に何も言えず、本当のことを言うべきかどうか迷った。あの光景を見て、経緯を聞いて、――誤解してお弁当を届けなかった、なんて言ったらジョーはどう思うだろう。

嫌いになるだろうか。

怒るだろうか。

でも、勝手に誤解した自分が悪いんだしと迷っていたら、ジョーの頬に白い粒を見つけた。

「ジョー、ごはん粒ついてる」
「え。どこ?」
「ここ――まったくもう、急いで食べるからよ」

しょうがないひとね――と言おうとして、それでは今朝見た彼女と同じセリフだと思い出した。それを言うのはイヤだったから、身を乗り出すとジョーの頬にくちづけた。

「え。何?」
「――ごはん粒、ついてたから」
「ええっ。だからって直接食うかなぁ」

自分が食われるかと思ったよと微かに頬を赤らめた。

「――社長の娘さんにもいつも子供扱いされるんだよなあ。いくら子供が二人いるからってそれはないよね。年だって同じくらいなのに」

だから、ジョーの頬についたごはん粒を躊躇なく口に入れたのだろう。子供にするのと同じように。
つまりは、彼女にとってジョーは手のかかる子供と何にも変わりがない立ち位置なのだ。

「……ウフフ。ジョーってもてないのね」
「もてないよ。もてたことなんかないよ」
「私以外に?」
「うん。フランソワーズ以外に」

 

ジョーはもてる。
と思っていたのは、贔屓目だったのかもしれない。

無口で無愛想で車オタクの彼氏である。
案外、気に入っているのはフランソワーズだけなのかもしれない。

私、心配しすぎなのかも。

ごめんねジョー、と心のなかで謝った。
もっとジョーを信じて、そして自分に自信を持たなくては。


「がんばるね」
「うん?何を?」


自分の気持ち。


「明日のお弁当っ!」


やったあと嬉しそうに笑うジョーをぎゅっと抱き締めた。