「9月の午後」
あの夜以来、ふたりで分けて食べる仕様のアイスは暗号のようになっていた。 フランソワーズはバレエのレッスンで不在である。 ジョーは特にすることもなかったから、一日部屋で過ごしていた。 「あ」 まるで互いに打ち合わせていたかのように、フランソワーズの姿が見えた。まだ通りのずっと先だったが、ジョーにはすぐわかった。かといって、待ちかねた子供のように窓から手を振るつもりはない。 もうすぐフランソワーズが帰ってくる。いま自分がいるこの部屋に。 そう思うだけで嬉しくなる。 しかし。 次に彼が目にした光景は、そんな彼の甘さを打ち砕くものだった。
―1―
どちらかがそうと言い出したわけではない。
ただなんとなくそんな風になっていた。
とはいえ、あの夜以来、そういうきっかけに使われた事が実は無かったから、果たしていまでも暗号なのかどうかは大きな謎である。
もうすっかり秋の気配を漂わせた空の色。
9月の日曜日、ジョーはそんな空を部屋からぼんやり眺めていた。静かで平和な午後だった。
フランソワーズがそろそろ帰ってくるかなと窓から外を眺め、ついでに空を見上げていたところである。
だからじっと彼女の姿を目で追った。
フランソワーズには連れがいた。 男だった。 いや、あれはバレエ教室の友人だろう。前にそう話していた。 が、しかし。 そうはいかなかった。 フランソワーズは勝手に他の男とアイスを分けて食べている。 踏みにじられたような気持ちになった。だから、心のなかに一陣の風が舞った。 「いや、あれは……」 あれは、例のアイスではない。 ジョーは目を凝らした。 そう、確かにアイスキャンデーバーであった。それをフランソワーズは美味しそうに食べている。 ジョーは更に目を凝らした。 そして、ぎゅっと手を握り締めた。
―2―
だからジョーは心穏やかでいてもいいはずだった。きっと、彼女たちが普通に談笑しながら帰途についているのであれば確かに穏やかなジョーであっただろう。
フランソワーズの手にはアイスが握られていたのだった。
もちろん、まだ残暑厳しい9月の午後であるからレッスンの帰りに冷たいものが欲しくなってもおかしくはない。歩きながら食べたっていいだろう。そして、一緒に帰る相手も同じようにしていたってどうってことはない。
――ふたりがアイスを半分こしているのでなければ。
ジョーにとって「アイスを半分こする」ということはあの夜以来、別の意味を持っていた。単純にそれにまつわる行為を示すだけではなく、ふたりの親密度が少し増したその象徴としての意味合いもあったのだ。
それは二人だけの大切な思い出のはずだった。
なのに。
吹き荒れた。
待て。
違う。
だってアイスキャンデーなのだ。
ちょっと安心した。
がしかし、隣の男もフランソワーズと全く同じものを食べている。それが気になった。
そのアイスキャンデーは、ふたつに割って分けて食べる仕様のものだった。
それは。
その仕様のものは。
自分とフランソワーズが分けるべきであって、他の男とするべきではないはずである。特に――ふたりの間で暗号と化している例の行為を想起させるものであるなら。
ジョーの心は波立った。
深く考えすぎだ。 ばかだなぁ。フランソワーズはそこまで考えてないよ。 笑ってみた。 が、しかし。 いま一度、相手の男を見てみると――やはり、自分の考えすぎのようには思えなかった。 彼は。 奴は。 ジョーがそうしてしまったようにフランソワーズの口元に釘付けである。 カーテンも引いた。
―3―
ジョーはそう思って自分を笑った。
いや、そう見えてしまうだけなのかもしれない。が、今のジョーには世界中全ての男性が敵のようにみえていた。フランソワーズのそばにいるもの全てが。
自分の敵なのだ。
ジョーは部屋の窓を全て閉めた。
そして、フランソワーズが帰るのを待った。