「紫陽花が見てる」

 

 

 

そこは穴場と言っていいくらいひとけがない場所だった。

長い長い坂道に作られた幅の狭い階段。

その両脇に咲いている紫陽花。
延々と連なっているそれは、どれも色がばらばらである。


――土壌の成分が安定していないのかな。


ジョーはそんな事を考えながら、大きな欠伸をした。
フランソワーズのほうを見ないでこっそりしたはずだったのにあっけなく見つかった。

「ジョー。まだ眠いの?」
「――ん・・・まあ、ね」

ついでに言うと腹も減っている。
が、それはやはり言わないほうがいいだろう。まだしばらくは。
何故なら、フランソワーズは嬉しそうに紫陽花を愛でており、当分、食事などという人間の生理的な分野にまで彼女の世界は広がりそうになかったから。
ジョーとしては、朝早く起こされ、無理矢理詰め込んだ朝食もいつもよりずいぶん早い時間だったから、そのぶんお腹が空いても仕方ないだろうと思う。が、せっかくオトメチックに紫陽花を愛でているフランソワーズの邪魔をするのは本意ではなかった。

それに、目を輝かせあれも綺麗これも綺麗ねと指差し微笑む姿は可愛くて、なんだかそれだけでお腹がいっぱいになるかもしれないという錯覚もあった。
もちろん、そんなことで腹がふくれるはずもないのだが。


――なんだか僕もずいぶんオトメチックだな。


君の笑顔で胸いっぱい腹いっぱいだよ――なんて、そんな歯の浮くようなことは言えない。
いまそう思った自分自身でさえ、オノレのセリフに総毛立ったのだから。


「なあに?何か言った?ジョー」

「別にっ」


ジョーよりも4段ほど上にいたフランソワーズは、弾んだ足取りで下ってきた。
そしてジョーの顔を覗きこむ。


「怒りんぼさん。ご機嫌斜めなのは雨のせいかしら?」


そうして持っている傘をくるりと回した。


「別に雨は関係ないさ」


静かに降っている雨。
その雨に打たれて、紫陽花はいっそうみずみずしく咲き誇っていた。


「そう?」
「そうさ」
「じゃあ――お腹がすいているのかしら」
「えっ?」
「だって子供って、お腹が空くと機嫌が悪くなるもの」
「僕は子供じゃないんですケド」


フランソワーズは答えず、ただ笑った。
ジョーはむっつりと唇を結んだ。


「ジョーったら」

フランソワーズがジョーの頬をひとさしゆびでつつく。

「やめろよ」
「ふふ。だって拗ねてるジョーってカワイイ」
「うるさいな。子供じゃないって言ってるだろっ」

顔を除けるがフランソワーズの指はジョーの頬をつつくのをやめない。

「やめろって」
「いやよ」

嫌がるジョーが面白いのか、フランソワーズは執拗に彼に構った。

「いい加減に――」

ジョーが本気で怒る刹那、フランソワーズは指先で彼の唇を封じていた。

「怒りんぼね、本当に」

そうして片手に持っていた傘を手放すと、ジョーの首筋に両手を投げかけ彼の唇にふんわりとくちづけていた。


転がってゆく傘。


ジョーの手からも傘が離れた。

 

 

 

 
(C)みなっち様

 

 

キスが深くなろうかという手前、突然雨脚が強くなってふたりそろって天を仰いだ。

お互いの手に傘は無い。


「駄目ね」

「駄目だな」


そうして笑い合うと、傘を拾いに階段を下った。手を繋いで。

一番下で捕まえた傘は、綺麗に並んで鎮座していた。


「ま。傘も仲良しね」
「ふん。僕たちのほうが仲良しだ」
「ジョーったら。張り合ってどうするの」


フランソワーズが傘を手渡す。
ジョーはそれを受け取らず、フランソワーズの手首を掴んで引き寄せた。


「ジョー?」
「続き」
「続きって、駄目よジョー」
「どうして」

「だって――紫陽花が見てる」


ジョーはちらりと紫陽花に目を遣ると、構わずフランソワーズに唇を近づけた。


「紫陽花だって――」

僕たちに遠慮してくれるさ。


なんて思ってしまったジョーは、やっぱりずいぶんとオトメチックだった。

 

 



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