「彼女の愛は無限大」


―1―

 

バレンタインデーにはファンの集いという名のイベントがある。
それは、ハリケーンジョーとしての仕事の一環であり、大切なファンミーティングでもあった。
だから毎年、ジョーは真面目にそれに出る。欠かさず毎年。
従って、バレンタインデーは彼にとってプライベートな意味のあるものではなくなってしまった。
もちろん、何も当日にやらなくてもいいではないか、直近の休日に開催すればいいという意見もあった。
が、他の国ならいざしらず、日本国内で行われる限り「日にちの意味」は絶対であった。
つまり、
堂々と女の子から告白してもいい日
というのは連綿と受け継がれる日本の文化でもあった。

そんなわけで、今年もジョーは「ファンの集い」に出席した。
帰りはもちろん遅くなる。
限られた人数のファンミーティングとはいえ、決して早く終わるものではないのだ。そういうイベントに限って、返って時間は押すものである。人気があればあるほど。


ギルモア邸の車庫に愛車を入れた時には、ジョーは既にクタクタだった。
両手にはチョコレートが詰まった紙袋をよっつ持っている。
これらはいつも大事に美味しくいただくのだ――概ねフランソワーズが。

「……」

ちょっとため息が出た。自分は男だから、バレンタインデーに特別な思いいれは無い。チョコレートをもらえる日と思っている程度である。
とはいえ。
フランソワーズはそうでもないだろう。
彼女は日本にいて久しいから、そういうイベントにも通暁している。だからきっと、こういう日にジョーが不在というのは何年経っても不満だろう。口にはしないけれど。
それがジョーの気分を重くしている原因のひとつでもあった。
早めに帰れれば嬉しいが、そうではないと気詰まりなのだ。またフランソワーズを悲しい気持ちにさせてしまったかもしれないと思うといたたまれない。
これが有事ならまだしも、平和な日常なのだ。平和な日常でさえ、彼女をそういう気持ちにさせてしまうなどジョーとしては本意ではない。
不可抗力とはいえ――いつかこういう職業イベントが消滅しないだろうかと願ってしまう。
が、それもドアを開けるまでだった。


「……ただいま……」

小さな声で言って玄関を開けた途端、ジョーの鼻腔に甘い香りが突き刺さった。

「……う」

これはまずい。
こんな夜になってまでこういう匂いが邸内に漂っているということは、それはつまり。

フランソワーズがずっとチョコレートを作っていたということである。

それが何を意味するのか。

意味しないのか。

過去の経験が――あれこれが――ジョーの脳裏を駆け巡る。
が、同居人は皆それぞれ「今日という日」を学習しているから、きっと自己防衛しているはずである。
つまり、早々に脱出しているはずである。
もしくは、全く気付いておらずいつものように過ごしているか――博士とイワンのように。

抜き足差し足、二階の自室に向かったところで捕まった。


「おかえりなさい、ジョー」

ゆっくり振り返ると、そこには満面の笑みのフランソワーズがいた。

「あ、うん。ただいま」
「早かったのね」
「え。そうかな」
「去年はもっと遅かったわ」

覚えてるんだ……と若干背筋が冷たくなったが、ジョーは頬に笑みを貼り付けた。
我ながら努力の賜物である。

「ね。ジョー。ちょっと来て頂戴」
「え、でもチョコレート……」

両手の紙袋を持ち上げてみる。

「それはそこに置いておいて。ね。早くぅ」
「う、うん」

早く、ではなく、早く「ぅ」である。
小さい「ぅ」がつくのは可愛いと思わないでもないが、同時に何かがあるに違いないと最大限の警戒を促す印でもあった。

 




―2―

 

フランソワーズに手を引かれ、向かったリビングでジョーが目にしたのは

「じゃーん!」
「……なに?コレ」
「あら、見たらわかるでしょう」
「いや、わからない」
「またまたジョーったら」
「いや、本当に」
「今日は何の日か知ってる?」
「……バレンタイン……」
「そうよ。バレンタインといえば?」
「ち。チョコレート……?」
「はい、そうです」

しかし。

「これって……なに?」
「だからチョコレートよ?」

嘘だ。

「いや……違う」
「違わないわよ?」
「…………」

ファンの集いで貰ったチョコレートを食べるのはフランソワーズである。
が、フランソワーズのチョコレートを食べるのはジョーなのだ。
繰り返すが、
ジョーが食べるのだ。ひとりで。残すことなく(残すとあとあとメンドクサイ事態が待っている)。
そして今年、ジョーを待っていたのは。

チョコレートでできた巨大なケーキであった。

童話のお菓子の家を参考にしたのかウエディングケーキを参考にしたのか定かではない。

「ウフ。ジョーのことを考えながら作ってたら、どんどん大きくなっちゃったの」

にこにこと言うフランソワーズ。

「最初は普通の5号ケーキのつもりだったんだけど、ホラ、ジョーへの愛がそのくらいなわけないでしょう?」
「…………」
「こんなもんじゃないわって思いながら作っていたら、どんどん大きくなっちゃったの」
「…………ふ、ふうん………」
「あ。でも、もちろん、これだってまだまだ足りないわよね?」
「いや、そんなことないよ!ちゃあんとわかってる!」
「ホント?」
「うん!わかってる、だいじょうぶだフランソワーズ!!」

ジョーはフランソワーズを抱き締めた。
うん、わかってるよ大丈夫だと繰り返しながら。

 

毎年、バレンタインデーには「ファンの集い」がある。
何もその日にやらなくてもという声があるが、案外、あってよかったのかもしれない……と思うジョーであった。