「嫌われている」

 

 

「――ホラ。フランソワーズ」


……えっ?


私がきょとんとしていたのがかなり予想外だったのか、ジョーの眉間に皺が寄った。

「ほら、」

ってもう一度言う。でも。

「……って言われても……」
「何遠慮してるんだい?」

眉間に寄った皺が消えて、怪訝そうな色の瞳になった。この瞳は好き。でも。

「あのぅ……」
「フランソワーズ。きみ一人で登れるわけないだろう?いいから、手を貸せって」

そういう言い方って失礼だと思うわ。
胸の奥でそう言ってから、渋々ジョーの手を握った。
ジョーはほっとしたように少し笑うと、それはもう軽々と――さすがサイボーグ009――ひょいっと私を引っ張り挙げた。
あんなに苦労して登っていた断崖だったのに、差し出されたジョーの手を取っただけであっという間に頂上。
なんだか腑に落ちない。

「最初からこうすればよかったのに」

何を意地張ってるのさとジョーが笑う。
だって、そんなこと言ったって。女の子は色々と複雑なのよ。
ジョーと二人きりのミッションなんて、緊張するな意識するなっていうほうが無理な話。
このドキドキしている心臓の音をどうしてくれよう。案外耳聡いジョーに聞こえてしまったらかなり……恥ずかしい。
ううん。恥ずかしいっていう前にきっと――気まずくなるわ。だって、ジョーは。

ジョーは、私のことなんてなんとも思っていないのだから。

私の片思いは決定的なのだから、絶対に悟られてはいけない。

――お前はすぐ顔に出るからな。
子供の頃、兄によく言われていた。きっと今でもそれは変わっていないだろう。
だから嫌だったのよ。ジョーと二人きりのミッションなんて。うっかり気を抜いたら――抜いたら、きっと顔に出てしまう。

ジョーと一緒なのが嬉しい、って。

ジョーが大好きなの、って。

ああもう。
そう思っただけで危ないわ。だってホラ、手のひらに汗が滲んで困ってしまう。ジョーに気付かれる。ああ、頬も熱い。
なんで急にこんなにドキドキしてるんだろう私。さっきまで平気だったのに。ちょっと落ち着かなくちゃ。

平常心。

平常心、へいじょうしん……

……

 

……手っ!!

 

なんでまだ手を繋いでるの、私たちっ。
イヤイヤ、私「たち」って私ったら!

これって私が勝手にジョーの手をいつまでも握り締めてるせいよね?

いやだもう!
何やってるのよ私っ。


「あ、ご、ごめんなさい、ジョー」

って、手をひっこめようとしたのに。

「ん。何が?」

ジョーは爽やかに笑って首を傾げ――ああもう、くらくらしちゃうからやめてくれないかしらその顔――手を離してはくれない。
なんで。
ねえ、なんで離してくれないの?
離さないの?
だってもう頂上にいるんだし。危ない場所でもなんでもないのよ?

「あ、あの、ジョー」
「うん?」
「その、手が」

汗かいちゃってるし。なんだかもう落ち着かないの。
だったら振り解いてしまえばいいのに、何故か私は石になったみたいに固まったままだった。

「手が、なに?」
「なに、って……」

ああもう。
こんなことくらいで動揺しているのっておかしいわよね?だって中学生でもあるまいし。それに――そう、初恋ってわけでもないのに。
男のひとと手を繋ぐのが初めてってわけじゃない。

――でも。

でも。

でもでもでも。

緊急時以外でジョーと――009と手を繋ぐなんて、初めてなんだもの。それも防護服姿で。
これってなんていうか……そう、仕事中に恋愛してるというか、そんな感じに近い…んだ、と、思う。

私、きっと今真っ赤になってる。

そう自覚してしまうと今度は顔を上げられなくなった。
こんな真っ赤な顔してたら。絶対にジョーにばれてしまう。

彼を好きだ、って。

大好き、って。


「……フランソワーズ?」


なのに。
どうして顔を覗きこむの?それも涼しげな瞳で。余裕なの?ひとりだけ、余裕でいるのね?
そうよね。
だってジョーは。

お付き合いしているひとがいるんだもの。

だから私のことなんてなんとも思ってなくて、なんとも思ってないひとが挙動不審になってるっていうだけなのでしょう。
――そう思ったら、なんだかすっと冷静になった。

あっさり、手を離せた。

ふう。

やればできるじゃない。
そうよ、今はそんなこと思っている場合じゃないの。ミッションなんだから。仕事中なんだから。
世界の平和のために戦うサイボーグしているんだから。

頬を引き締めて。さっきまでの女の子モードになっていた自分を戒めて。
私は003なんだから。恋愛とか言ってる場合じゃないんだから。

って、003モードに切り替えたのに。

「え。……なんで」

途端、不満そうに前髪の奥に瞳を隠して彼は言ったのだ。

「――なんで離すんだよ」

僕が嫌いなの――って小さな小さな彼の声。

「えっ?」

と顔を向けたときには、その言葉は風にのって消えていた。

「――なんでもない。行こう」
「えっ、……ええ」

空耳よね。だってジョーがそんなこと言うわけない。
私のことなんて興味がないんだから。
私たちはただの仲間で、サイボーグであるという共通項で結ばれているだけの運命共同体。
好きだろうが嫌いだろうが一緒にいなくてはならない。
だからそんな感情はふつうは持たないのだ。私みたいに個人的感情を持っているひとなんてほかにはいない。

たぶん。


急に不機嫌になった009の後を追いながら、私は索敵だけに集中した。
ジョーの手は大きくてなんだか安心したなって思いながら。

 

その日、彼が手を差し伸べることは二度となかった。

 

 

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