「夢物語」
「好き」の反対語は「嫌い」じゃないんだよ。 「好き」の反対は「無関心」――
いつかどこかで読んだ小説の一片だったか。 覚えていない。 ただ、わかっているのは、妙に心に残ったということだけ。 そして今、その一節の「意味」がはっきりわかったということだけ。
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自信があった。 だって、嫌いになって嫌われて別れたわけじゃない。 だから。 彼は突然姿を消した私の事を覚えているに違いないし、まだ好きに決まっている。 彼の気持ちをうまく利用して私は自分の望むほうに事態を動かす事ができる、と。 私は私の望むほうへ――愛しいひとと亡命するために。 だって。 ジョーは人間じゃない。 サイボーグなのだから。 私が好きだったのは人間のジョーであって、サイボーグであるジョーなんか知らないひとだ。 そんなひと知らない。 知らない男だ。 例え、昔のジョーと同じ声、同じ笑い方をしたとしても、それでも。 知らないひと。 だから。 傷つけてもなんとも思わない。 ただひとつの不安要素は。 だって、サイボーグって機械でしょ?
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サイボーグのジョー。 いい傾向だ。 サイボーグになったジョーに人間らしい気持ちや記憶があるのか心配だったけれど。私に会った瞬間、凄く嬉しそうに笑ったし、あっさり部屋に入れてくれた。ホテルの部屋を訪ねたのは夜中だったのに。 でも私は自分を褒めてあげたいわ。 だって、命がけの亡命だもの。 好きな人のためなら、どんないやなことだって我慢できる。
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計画は成功した。 それは全部、ジョーのおかげ。 ばかなジョー。 ううん。 彼はずうっと昔からそんなところがあったわね。 ばかだ。 ほんっとうに、ばか。 今日だって、あんなことを言った私を見捨てずに最後まで……。
それは、まだ私を好きだからなの? まだ私を愛しているの?
だとしたら。
本当に――ばかよね――
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あれから一年。 私は好きなひとと異国の地で暮らしている。 けれど。 たまに祖国である日本が懐かしくなる。 だからこうしていま、日本に来ている。
――でも。 どういうわけか、諦める気持ちにはならなかった。 それは、彼に謝罪したいという気持ちからというわけでは、もちろん無かった。 そうではなく。 もっと別の思い。
もしも今日、会えたら。 それは偶然なのではなく運命に違いない。 そんな偶然――運命を、私は望んでいたのかもしれない。
あのあと、色々考えた。 それを手放さざるを得なかったのは、いま一緒にいるひとのせいなのだ。 ――それは、いつも心の奥底に澱になって溜まっている。気持ちが乱れると、その澱が沈殿せず浮かび上がってくるのだ。そして思い出す。楽しくて幸せできらきらしていた日々を。 もしも、一年前のことを謝れば――きっとジョーは許してくれるだろう。 だってジョーはまだ私のことが好きなのだから。 だから、私がしたことに目をつぶって全て受け容れてくれるに違いない。 きらきらして楽しくて幸せだった過去を、取り戻す。 そのために日本にやって来たのだ。 異国にいる彼もきっとわかってくれるはず。 だって、本当なら私はジョーとそうなっていたはずなのだから。
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レースの後、なんと簡単に島村ジョーは見つかった。 観客の帰途につく人波のなか。 嘘みたい。 どうしよう。 もうすぐ。 もうすぐ私に気付くはず。 もうすぐ―― ――ジョー? あれ?私は目の前にいるのに。おかしいな。 って、ちょっと待ってよジョー!
「待って、ジョー」 ハンチングを被りサングラスをかけたジョーがゆっくりと振り返る。 「……え」 するとジョーはサングラスを外しこちらをまじまじと見た。
――え?
「いやだ、ジョーったら。冗談のつもり?」
そんなばかな。だって、だって――ほんの一年前の話でしょう。砂漠での攻防は。忘れるわけがない。それに、私はあなたの思い人じゃない。そんな――忘れたふりをするなんて、酷いじゃない。 「なにそれ……笑えない冗談よ、ジョー」 するとジョーはジャケットの裾を掴んだままの私の手をそっと外し、こちらに向き直った。 「――ジョー、あのね。その……」 きっぱりとそう言うとそのまま歩き出そうとするから、私は慌てて彼の前に回りこんだ。 「記者じゃないわ。マユミよ!忘れたの?」 再び追いすがる――我ながらなんとも格好悪いことこの上ない。が、諦めるつもりもない。運命としか思えない確率で再会したんだもの。この出会いを逃すわけにはいかない。 するとジョーは深いため息をついた。 そして。 「今のいままですっかり忘れていました。僕に何か用ですか?」 ――なんて言えばいい? ジョーの背中を見ながら考えた。 ……でも。 だったらどうしてジョーは私を置いて行くの。 足を止めないの。 どんどん小さくなる後ろ姿を見ながら、私は成す術もなく立ち尽くした。
でも。 それだけだった。 私に会えて嬉しいとか。 自分を裏切った女――という憎しみも。 なにも。 なにも、なかった。 ジョーの目に映っていた私は。 私は、ジョーの心のなかにはいなかった。 好きなどではなく。 かといって、嫌いでもなく。 ただ。 どうでもいい――雑踏のなかのひとりの通行人にすぎなかった。 そうなっていたのだった。
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「もしもし、レヴィン?……ええ、日本よ。レースを観たところ。ええ。楽しかったわ」
涙が後から後から湧いてきて仕方がなかった。
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