「キスくらい」

 

「いいじゃない、キスくらい。減るもんじゃないし」


確かにそうかもしれない。

俺が黙ったままでいるとそれを承諾の証ととったのか、彼女――誰だったか名前は思い出せない――は俺の首筋に両腕を巻きつけ、
そのまま顔を近づけた。

「ジョー。まさか初めてのキスってわけじゃないんでしょう」
「……ああ」

たぶん。
そんなこと覚えていない。

「それなのに躊躇うの?――うふふ、可愛いひと」

紅い――真っ赤な唇が嗤う。
その唇が近付いてきて、そして。


――いいじゃないか、キスくらい。減るもんじゃないし。


心に決めたひとがいるわけじゃない。
そもそも、俺などにそんな存在が出来るはずもない。そんな期待なぞはなからしちゃいない。

俺は今までそうだったようにこれから先もずっと独りだ。

だから今がどうであろうとどうでもいいし、これから先もどうでもいい。
ただ今夜眠る場所さえあれば。

例え偽りの温もりでも、ほんのちょっとだけでも眠ることができるのであれば。

 

 

 

 

フランソワーズとのキスの最中、そんなことを思い出していた。

いま頭の中身を覗かれたら、僕は酷い男の烙印を押されてしまうこと必至だろう。
フランソワーズにそんなちからがなくて良かった。

――なんて思っていたから、キスが手抜きになったのだろうか。

フランソワーズが目を開けた。

なぜわかったのかと言うと、僕はさっきから目を開けて様子を窺っていたから。
…というのは嘘で、ちょっとフランソワーズのキスをしている時の顔を見たくなったからである。
悪趣味だと怒られても、可愛いものを見たいと思うくらい許されるだろう。

目が合った。

怪訝そうに蒼い瞳が揺れて、いまさっきまで僕の舌と絡んでいた舌が去っていった。

――ああ、なんて残念なんだ。


「……」


フランソワーズはそっと唇を離すと責めるように僕を見た。
唇が濡れているのが妙に色っぽい。が、目つきはそんな色気とは無縁だった。

僕は問うようにフランソワーズを見る。
ここは言葉を発してはいけない場面だろう――よくわからないけど、たぶん。


しばしじっと見つめ合う。


なんだか頭の中身をスキャンされているような気がして落ち着かない。
まさか僕の知らない間にそんなちからをプラスされていたなんてことはないよな。
脳実質のスキャンならともかく、思考を走査なんてできるはずがない。イワンじゃないんだから。


「いま…他のこと考えてたでしょう」


む。


「というか、他の女の人のこと」


鋭いな。なんでわかるんだろう。


「キスの最中に気が散るっていったいどういうこと?」


いやまったく。


「やる気のないキスなんて酷いわ」


――やる気のないキス。……なるほど、そうか。

 

そうか。

 

「私とのキスってそんなにつまらない?途中で飽きちゃって他の人のことを考えるくらい」


それはない。

そうじゃない。


「違うよ」
「だって」
「そうじゃないんだ。そうじゃなくて」
「そうじゃなくて?」


キスしたって減るもんじゃない。そう言われて、そうかなとずっと思ってきた。
だからキスくらいしたってどうってことなかったし、さほど重要なこととも思ってなかった。

でも、フランソワーズとキスするようになって何かが違ってきたんだ。
それはなんだろう――って、さっき突然知りたくなった。

だから、キスがおろそかになったのなら謝る。でも決してフランソワーズとのキスがつまらないわけじゃない。
そんなわけがない。

でも、いまこんな言い訳をしたところでフランソワーズは信じてくれるだろうか。

ちょっと自信が無かった。


「わかったことがあるんだ」
「…何よそれ」
「フランソワーズとのキスは楽しいよ」


減るもんじゃないからいいでしょうのキスとは明らかに違う。
もっと――そう、積極的に楽しみたいと思う。

さっきの僕は過去を思い出したせいで、その頃にしていたようなキスになっていただろうと思う。
そんなキスはフランソワーズとしたことなかった。

だからフランソワーズは驚いて、怒って――たぶん、傷ついている。


「でも、だったらどうして」
「うん。ごめん」


もうごめんとしか言えない。

でも、今度こそ本当にわかった。

減るもんじゃないからいいでしょうのキスをしたら、こうして大事なキスの機会が減るのだ。
そして大事な子を傷つける。

だから僕は、そんなキスはもう二度としない。


思い出さないようにする。

そして思い出さないようにするためには、楽しいキスをたくさんたくさんするのがいい。
フランソワーズのことしか思い出さないように。


「ごめんって何」
「うん。手抜きみたいになったから」
「認めるのね」
「うん。だから挽回させて」
「イヤよ」
「一生のお願い」
「それって何度目の一生?」
「じゃあ来世のぶん」
「それは先週使ったでしょう」
「じゃあ来世のその次のぶん」
「それももう使ってます」
「……じゃあ、ツケで」
「もう。何よそれ」

「ああもう、――ちょっと黙れよ」

 

 

フランソワーズとのキスは楽しい。

でもキスだけで終われる自信がなくなるのが少し残念。

 

 

 

……いや、そうでもないかな?

 

 

 

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