「指輪物語」 そのA
彼はなぜ指輪を買うのか?
「――ユビワ?」 瞬時には意味がわからなかったらしく、ジョーは眉間に皺を寄せた。 「そう、指輪だ。ひとつくらい買ってやればいいだろう。そんなに心配なら」 ふいっと雑誌に戻りそうなジョーに、グレートが言葉を重ねる。 「わかっとらんな、全く。お前さんがフランソワーズを心配するのはわかる。が、四六時中一緒というわけにはいかんだろうが」 四六時中一緒に居てもいいというなら、別に苦じゃないんだけどなと思いつつ、けれどもそれは胸の中に留める。 「現に今だって、彼女は自分の用があって出掛けている」 そもそも、車を出すと言ったのに断られたのだ。 「ジョーよ。ともかくだ。お前は俺達にも妬くくらい彼女を心配しているくせに、その対策を全く講じてないとはどういうことだ」 ジェットが背後からジョーの肩に手をかける。 「カレシなんだろーが。ちったーソレらしくしてみたらどうだ」 ぐいっとジェットの腕がジョーの首に回される。 「そういうのを卒業する意味でもだ。お前はフランソワーズに指輪を贈る義務がある」 ジョーの言葉に更に首を締め付けようと腕に力を入れかけたジェットを目で制し、アルベルトが席を立った。 「いい加減にしろよ。――お前、本当に後悔しないか?」 アルベルトはジョーの目の前に屈み込み、その瞳をじっと見つめた。 「――後悔するのは辛いぞ。たったそれだけの事で相手が喜ぶってんなら、やってやったっていいだろうが。 屈んでいた身体を伸ばし、アルベルトは勝ち誇ったように胸を張った。 「ヒルダも大喜びしたもんさ。その時俺は、なんで今まで渋っていたのか過去の自分がわからなくなったもんだ。――いいか。大喜びするんだぞ」 どんなにカワイイか、自分の目で確かめろ――と言い置いて、そのままリビングを出て行った。 「・・・ケッ。結局、ノロケかよ」 やってらんねーぜ、とブツブツ言いながらジェットはジョーから腕を離した。 「――喜ぶかな」 *** アルベルトに続いて出て行ったジェットとすれ違いにピュンマが入って来た。 「――どうかしたのか?」 グレートがにやにやしながら言う。 「指導?」 妙に考え込んでいる風のジョーを見遣る。 「・・・へぇ。で、いったい何を指導してたわけ」 空いているソファに腰掛けると、持っていた本をテーブルに置いた。 「フランソワーズに指輪のひとつくらい買ってやれって話」 ちらりと見つめる先のジョーは、雑誌を開いて膝の上に置いているものの視線は別の方を彷徨っていた。 「ん?てことは、今までひとつも買ってやってないってことかい?」 ピュンマの声に反応するも、心ここにあらずといった風情のジョーだった。 「指輪だよ。ユ・ビ・ワ」 ぼんやりしているジョーをじっと見つめ、ピュンマは続けた。 「あのさ。指輪をしている女性を見てどう思う?」 沈黙。 「・・・指輪してるなぁ、って」 にやり。 「ペアとなるとそうはいかない」 言うとピュンマは自分の左手をジョーの前にかざした。 「!!」 ジョーだけではなく、その場にいるグレートも目をみはった。 「お前さん、それ・・・」 もごもごと口の中で呟いて、結局黙るグレート。 「普段から、フランソワーズを心配しているお前が知らないとは正直驚いたよ。とりあえず、一組揃いで買ってみたらどうだ?お前の心配も半減するぜ、きっと。何しろこんな強力な「虫除け」もないからな」 *** 「ただいまぁ」 声がして、フランソワーズがイワンを抱きながらリビングに入ってきた。 「お帰り。――オヤ?ジェロニモが一緒だったのかい?」 グレートがイワンを受け取りながら訊く。 「途中で会ったのよ。荷物持ちしてくれる、っていうから甘えちゃった」 自分が入ってきてからもこちらを見ず、落ち込んでいる雰囲気のジョーをちらちら見る。 「ジョーはどうしちゃったの?」 グレートの含みのある言葉に、びくんと顔を上げるジョー。 「グレート」 じっと見つめたままのフランソワーズに視線を向ける。 「ジョー?」 ともかく立ち上がり、一歩フランソワーズの方へ踏み出す。が、止まってしまう。 「何があったの、ジョー?」 さっと緊張する様子のフランソワーズに慌てて、違うよと手を振る。 「そうじゃなくて。――その」 フランソワーズから目を逸らせて、あらぬ方を見遣る。――と、ピュンマと目が合い、ピュンマにほらちゃんと言えと無言で促される。 「・・・あのさ。指輪、なんだけど」 ジョーの言葉にグレートとピュンマがずっこける真似をする。 「そんなにたくさんは持ってないわ。ふたつかみっつだったと思うわ確か。それがどうかしたの?」 そう答えながらも、そういう切り出し方をされた場合の予定調和というのが何かちゃんと知っているフランソワーズは、ぱあっと顔を輝かせた。 「えっ、ジョー。もしかして買ってくれるの?」 がしかし、はっきりしないジョーの返答に途端に顔を曇らせる。 「――違うの?」 なんだ、違うんだ・・・と肩を落とすフランソワーズ。 「いや、違わない。買う。いくらでも!」 視界の隅でピュンマがもう一声と促すのに頷きつつ続ける。 「僕もつける。一緒に」 フランソワーズの瞳が真ん丸くなった。 「一緒、って・・・」 語尾がもごもごと曖昧なジョーの腕に手をかけて、フランソワーズは彼の顔を覗きこんだ。 「ペアリングってこと?」 無言で頷く。 「ほんとに?ジョー」 更に無言で頷く。 「嬉しいっ・・・ありがとう、ジョー」 そのまま胸に滑り込んできたフランソワーズをそうっと抱き締める。 とはいえ、ジョーは *** そんなわけで、銀座へ連れ立って来ていたのだったが。 「――ねぇ、ジョー?」 ウットリと自分の左手の指輪を見つめながら 「私の心配事を聞いてくれる?」 喫茶店で、ふたり向かい合ってお茶を飲んでいるときだった。 「心配事?」 なんだろう・・・と身を乗り出す。 「いいよ。言ってごらん。フランソワーズ」 ふっと視線をテーブルに落とすフランソワーズ。ジョーはその手をそっと握りしめながら優しく言った。 「今からそんな事心配していたら身がもたないだろう?そんなの、失くしたって」 そんなこと言ったかな――と思ったけれど、いまそれを言うと何だか長くなりそうだったので黙った。 「だからね。いま、こんなに嬉しいのに――もし、失くしちゃったらと思うと心配で心配で」 ――どうしたら、って。 巧妙なフランソワーズの論旨の展開に、ジョーは軽く眉間を揉んだ。 「――わかった。つまり、もう一組あれば――安心するということだね?」 どうして。って。 「さあね。――おそろいの指輪の威力だろ」 フランソワーズが大層喜んだのは言うまでもない。
「・・・心配なんて、別に」
「・・・」
「・・・買出しに行ってるだけじゃないか」
「カレシ、って、僕達は別に」
「おいおいおい。カレシだろうがよ?ええっ?」
「義務?」
「そう、義務だ」
「何で」
ジョーの目の前に仁王立ちになる。
「後悔?」
「そうだ。今はいい。二人とも生きているし平和だからな。だけど、ひとたび事が起これば、いつどこで命を落とすとも限らねえ。なのに約束事のひとつもできねーと言うのは腑に落ちん。――いいか?」
違うか?」
「・・・喜ぶ、かな」
「喜ぶさ!」
「知らん。自分で訊いてみろ」
リビング内の微妙な空気にいち早く気付き、首を傾げる。
「ん?いやー、坊やにちょいとした指導、ってわけだ」
声には出さず、ジョーを指差しグレートの方を見ると、グレートも無言のまま頷いた。
今日も図書館でたくさん借りてきたのだった。
「ふーん。指輪、ねぇ・・・」
「おうよ。驚くだろう?」
「驚くね。ジョー、お前いったい何やってたんだよ」
「――え?」
「――ああ」
「お前、よくもまぁそれで・・・いや、この場合フランソワーズも同罪か」
「どう、って・・・結婚してるのかな、って」
「だろう?それでだ。もし結婚してなくても、指輪があったらどう思う?」
「・・・どう、って」
「お前は中学生か。――あのな。「売約済み」って意味なんだぞ」
「売約済み?」
「そう。つまり、自分には決まった相手がいます、という事だ」
「・・・決まった相手」
「だから、もし自分がモーションかけようとしている相手が指輪をしていたら、少しは警戒しなければいけないというわけだ」
「でも、全部が全部そういう意味じゃないと思うけど」
「そりゃそうだ。ただのファッションリングという場合もある。しかしだな」
ピュンマにしては珍しく――嗤った。
「ペア?」
「お揃いって意味だ」
「お揃い、って・・・男もするのか?」
「オイオイ。何を驚いている。イマドキそのくらいみんなしているだろうが」
「みんな・・・」
「そうだ」
「!!」
「――何かおかしいかい?」
「い、イヤ・・・」
後ろからは荷物を持ったジェロニモが続く。
「そうか」
「で――」
「ははは。いやー、あれこれアドバイスを受けて知恵熱が出る寸前といったところだな」
「アドバイス?何の?」
「それは本人に訊いてみるんだな」
「なんだその顔は。自分でちゃんとやれるだろう?」
「・・・だけど」
「あ、・・・その」
「・・・いや」
「――何か事件?」
「指輪?」
「うん。その・・・フランソワーズはいくつ持っているのかなぁって」
ピュンマは怖い顔をして、ほらちゃんと言えよとパントマイムでジョーに訴える。それを視界の隅で捕らえながら、ジョーはいったん咳払いをした。
「ええと。つまりだ。――もうちょっと増えても困らないかなと」
「困らないわよ、別に」
「え」
「ね、そうなの?」
「え、あ」
「えっ」
その途端。
「本当?」
「ああ。――で」
「一緒?」
「その、お揃い、というか・・・」
「・・・」
「・・・」
リビングにはまだグレートと、グレートに抱かれたイワン、さらにはピュンマがいたし、キッチンから戻ってきたジェロニモがいままさに部屋に入ってきたのを気にして、ジョーはすぐにフランソワーズを離した。
なるほど、アルベルトの言う事は正しかったな・・・とぼんやり思っていた。
何しろ、腕の中で嬉しそうに微笑むフランソワーズはそれはそれは可愛かったのだから。
先刻まで満面の笑みでケーキを頬張っていたフランソワーズが神妙な顔をして切り出した。
「ええ。あのね。・・・今日、これ、おそろいで買ってくれて凄く嬉しいの。だけど」
「だけど?」
「もし失くしたら、って思うと、私・・・」
「・・・失くしたら、また買ってくれる?」
「ああ。もちろん」
「――それって、失くしたら、なのよね?」
「・・・え」
「失くさないと買ってくれないのよね?」
「・・・フランソワーズ?」
「もし失くしちゃったら・・・次に買ってもらうまで無いってことになるのよね?」
「そりゃそうだけど・・・」
「前にジョー、言ってくれたわよね?――いくらでも、って」
「そ」
「・・・・」
「どうしたらいいと思う?ジョー」
「そうよ。――どうしてわかったの、ジョー」
そんな顔でそんな声で言われて気付かない方がおかしいだろう?――とは言わず。代わりに