「桜闇」

 

手を繋いで夜空を見ていた。

時々、視界を横切るピンク色の花びら。
ふわふわと漂い、そして湯の上に着地する。
先刻からそれを繰り返し、少しずつ、でも確実に湯船の表面に桜色の膜をつくってゆく。

隣に居るジョーは、私の視線に気付くと「気持ちいいね」と言って笑った。
私もつられて笑ったけれど、今のこの状況についてゆけず再び空を見た。

降るような満天の星。
それらを背景に浮かび上がる満開の桜。

ここ、東北の地では今が桜の見頃なのだった。

 

***

 

結局、お花見はできなかったね――という、話になって。
だったらこちらから桜前線を追い掛けて見に行けばいいという流れになっていた。

露天風呂で桜を見られる温泉。

なかば無理だろうと思いながら、そういう所に行きたいなとワガママを言ってみた。
するとジョーは、ピュンマやジェロニモに相談して検索をし――ものの数分で宿を見つけ予約してしまった。

そして今日、ここにいる。

部屋ごとに貸切の露天風呂は、夜桜を見られるのが有名で人気だった。
だから予約も殺到しており、泊まったからといって確実に入れるかどうかはわからないはずだった。
が、当然の如く、最も良い時間に予約を済ませていたジョーは、私の手を引きさっさと部屋を出た。
そして、脱衣所で何の屈託もなく服を脱ぎ、再び私の手を取り風呂に入った。
ジョーと一緒にお風呂に入るのは本当に久しぶり。
だから私は、彼に裸を見られるのが恥ずかしくて、湯に浸かるまでジョーの顔をマトモに見る事ができなかった。     
だってジョーは、片手にタオル、片手に私の手を握り――つまりどこも隠さず――ずんずん歩いて行ったのだから、。
私はずっと下を向いたままで、ジョーが湯に浸かってしまうまで落ち着かなかった。
かといって、ひとり残されると今度はジョーの視線が気になり――結局、さっさと湯船に入った。

 

***

 

静かだった。

時折、風が吹いて桜の枝を揺らす以外は何の音も聞こえてこない。

隣に居るはずのジョーも、あまりにも静かで――本当にそこに居るのかと不安になった。
繋いだ手を少し引いてみる。

「なに?」

すぐに反応があって安心する。

「ううん。何でもない」

目が合うと途端に恥ずかしくなってしまい、思わず目を伏せる。

「――静かだね」
「・・・ええ」

また一枚、花びらが降りて来る。
仰ぐと、桜の花ごしに見える、満天の星星。

じっと見つめていると、隣でジョーが小さく息をついた。

そうして、繋いだ手がそうっと離され、私の頬に触れた。

「――ジョー?」

寂しそうな瞳。
さっきまでは、ひとりはしゃいでいたのに。

「・・・どうしたの?」
「うん・・・」

私の頬に触れているジョーの手を両手で包み込む。

「何かあったの?」

でもジョーは答えない。

 

ひらひら、ふわふわと桜が舞う。

そうして、また一枚。

 

「うん・・・ちょっとね。思い出していた」

暫くしてポツリと呟き、空を仰ぐ。
その瞳に映っているのは桜なのか星なのかわからない。
あるいは、もっと遠くの何か――を、見つめているのかもしれなかった。

「――何年か前の事をね」

私は微かに首を傾げる。

「――ずっと、思い出さなかったんだけど、この景色を見ていたら急に・・・」
「景色?」

この――桜と星空?

「うん・・・ほら、こんなにたくさんの星が見えるのって、そうそうないだろう?」

確かにそうだった。
私たちが住んでいる所よりも格段に多い降るような星星。
空にはこんなにも多くの星が瞬いていたなんて、いつもはすっかり忘れていて・・・

 

「――宇宙ではもっとたくさんの星が見えていた」
もちろん、ゆっくり鑑賞している時間なんてなかったんだけどね。と付け加える。

 

私は、ジョーが何を思い出したのかが判ってしまい――少しだけ、心理的に身構える。

 

「大気圏に突入した時、思ったんだ。僕も――僕のこの身体が燃えたら
それは流れ星みたいに見えるのかなぁ、って」

流れ星みたいに見えて。
粉々になった身体のひとつひとつは、無数の塵になって。
そして、桜の花びらみたいに大気に混じって舞うのかもしれなくて。

 

――息が詰まった。

 

ジョーが私を見る。

私は、彼がいまどんな顔をしているのか見る勇気が出ず――彼の手を両手で握り締めたまま
その影からそうっと褐色の瞳を見つめた。

ジョーの瞳はいつもと変わらなかった。
いつもの、優しい褐色。寂しそうな色は見えなかった。

でも。

「――ごめんごめん。変な話をしたね。――そんな顔するなよ、フランソワーズ」

だって。

「ごめん。悪かったよ。――そんなつもりじゃなくて」
困ったなと言って、そうっと私の肩を抱き寄せた。
「ゴメン。本当に、そんなつもりじゃなくて――ここに還って来られて良かったなぁ・・・って思ったんだ」
本当だよ?と、私の髪を撫でながら、何度も何度も言うジョー。

あなたは、知らないから。
あの時、成す術もなくただあなたがいなくなるのを見ているしかなかった私たちがどんな思いでいたのか。
無力だった。
そして
哀しかった。

今まで、ひとりぼっちで生きてきたあなた。
やっと、みんなに心を開いてくれて、仲間として信頼関係も築いて――
――僕はひとりじゃないんだね。って、何度も嬉しそうに言っていた。
なのに。
いま、ひとりで宇宙に放り出されそのまま――独りでいなくなろうとしているあなたが可哀相で。
辛くて。
いまそばにいてあげられないのが悲しくて。
きっと寂しい思いをしている――そう思うと胸がつぶれそうだった。

 

「だけどね、フランソワーズ。僕はあの時、怖くはなかったんだよ。
――いや、違うか。怖かったけれど、不思議と・・・満足していた。
うん――そう。満足していた」

私の髪を撫でるジョーの手が止まる。

「これで地球は助かった。――ってね。
みんなが居る地球を外から見て、本当に・・・嬉しかったんだ。
今まで独りだった僕にできた、信頼できる大事な仲間がここにいる。
その仲間を守ることが出来たのが嬉しかった。
みんなは、ここ――地球で生きているんだなぁ・・・って」

ジョーの腕が回され、私は彼に抱き締められた。

「だから、全然怖くはなかったし――寂しくもなかったんだよ」

――嘘つき。

あなたはそうやって、優しい嘘をつく。

 

***

 

ジョーは知らない。
私が、本当は――星を見るのが嫌いなことを。

星は嫌い。
特に、流れ星は。

何年もかかって、やっと癒えた傷だった。
けれど、未だに星を見ると思い出す。
癒えたはずなのに、そっと触れただけで簡単に傷は開いてしまう。

――だったら触れなければいいのに。

嫌なら星空なんて見なければいいのに。
それだけのことなのに。

けれど。

忘れてしまうのも怖かった。

辛いけれど、忘れたくない。

忘れたいけれど、忘れてしまうのが怖い。

だから私は――星を見る。夜空を仰ぐ。

 

私が、ちゃんと憶えているから。
絶対に、忘れないから。

 

だから

 

お願い。
あなたは忘れて。


思い出さないで。

ずうっと、ずうっと、忘れたままでいて。

 

ひらひら舞う桜の花びらは、花びらであって他の何者でもないのだから。