バス停に着いた彼女が見える。僕は坂の中腹から、バスがこちらにくるのを黙って見つめていた。
もうすぐバスは彼女を乗せて走り去るだろう。
そして、どこか知らないところへ彼女を連れてゆく。
僕の知らないところへ。

バスが停まる。

ドアが開く。

そして。

 

***

 

「――きゃっ。なに?」

ステップに足をかけたところで、フランソワーズの腕を掴み引き寄せた。

「・・・ジョー!?いったい何を」

眉間に皺を寄せて僕を睨む。
いつもながら、・・・いや、いつも以上に怖い顔のフランソワーズ。

「離してっ」

イヤだ。離すもんか。

「ジョーっ」

バスの運転手が困った顔をしている。
他の乗客の、乗るのか乗らないのかはっきりしろ――という無言の圧力。

「――すみません。行ってください」

困ったようなフランソワーズの声。
そして、バスのドアが閉まりエンジン音が響く。

――勝った。

僕はフランソワーズを引き止めるのに成功したのだ。

 

 

***

 

 

「――何よ、その格好」

僕の腕を振り払うと、フランソワーズはくるりとこちらを向いた。
怒った顔はそのままだ。
嘘で怒っている時は可愛いのに、本気で怒っている時は物凄く怖い。

「・・・加速したから」

ぼそりと言った僕に、ふんと鼻を鳴らして答える。

「そんな格好されたら迷惑よ。どんなに目立つかわかってるでしょう?」

赤い服に黄色いマフラーをなびかせて。
それは確かに目立つだろう。
だけど、なりふりかまってなんかいられなかった。

「ジョー。聞いてるの?」

ぴしりと響く彼女の声。
ああ、どうしてきみはこんなに凛としているのだろう。

「・・・聞いてるよ」
「いい加減にしてよね。何度言ったらわかるの?」

僕は黙る。
今度は僕が黙る番だった。
だって、今の彼女は怖すぎる。

「ちゃんとこっちを見なさい!」

うつむいて前髪で顔を覆っていた僕の顎に手をかけ、正面にいる自分と目が合うようにしてしまう。
僕は彼女にされるがままだった。
怒りに煌く蒼い瞳。それがまっすぐ僕を射る。

「何回言えばわかってくれるの?」

僕は答えない。

「何度言ってもわかってくれないじゃない。もう知らないわ。あなたのことなんか」

彼女の言葉は容赦なく僕の胸の奥を貫く。

「だから、」
「ごめん」
「何よ今頃。遅いわよ」
「ごめん。僕が悪かった」
「・・・それから?」
「本当にゴメン。――反省してる。謝るから」
「・・・遅いわよ。今更」
「うん。だけど、言わせて。・・・ごめんね。フランソワーズ」

なんだか何を言っているのかわからなくなって、あんなに準備した言葉が喉で詰まって出て来ない。

「いなくならないで。頼むよ。・・・きみがいないと、僕は」

ああ、こんな情けなくすがるつもりはなかったのに。
どうしてきみの前ではこんなに情けない男になってしまうのだろう?
こんなんじゃ――愛想つかされても仕方がないじゃないか。

「・・・イヤだよ。いなくならないで。頼むからっ・・・」

フランソワーズは何も言わない。
僕に触れもしない。

息詰まるような沈黙。

そうして、大きく息を吐き出した。

「――しょうがないわねぇ」

そうしてくすりと小さく笑った。

「レッスンに間に合うように送ってくれる?そうしたら、許してあげるわ全部」