「好きと言ったら負け」
どちらが言い出したのだったか。 アムールの国のフランソワーズはいとも簡単に「好き」を口にし態度で示す。 だから、もしかしたらお互い半ば意地になって言い出した結果だったのかもしれない。 「好きと言ったら負け」のゲームをすることになったのは。
―1―
一方、寡黙をもって美徳とする国のジョーは「好き」などとは早々簡単に口にはしないし、中々態度にも出さない。
目と目が合えば通じるだろう――とは双方思ってはいるものの、それでもフランソワーズはそれを聞き態度で示され気持ちを確認し安心して日々を送りたいと思っていた。
が、ジョーは全くの真逆な考えの持ち主だったから、二人の間での「愛の確認」は平行線だった。
「009。ネオブラックゴーストから通信が入っているわ」 ドルフィン号の通信スクリーンに映し出される禿頭三兄弟。 「おっ、つながったぞ兄者」 見下した言い方にかちんときた009が相対する。 「何の用だ」 ひそひそ相談しだした三つ子にメンドクサイなぁと009はため息をついて通信をオフにした。 「まったく。いったい何の用かと思えば……」 あいつらが束になって来ても僕のほうが003を好きな気持ちが強いんだからなと小さく言ったところで、 「ジョー。マイナス1点」 と冷静に言われ、はっと我に返った。 「え。ちがっ、ちょ、今のはっ」
―2―
「えっ」
「三つ子よ」
「――つないでくれ」
「お前が話したいと言ったのだろう」
「そ、そうだった。――おい、サイボーグ戦士ども」
「お前じゃない、リーダーを出せ」
「はぁ?リーダーは僕だ」
「嘘をつけ。リーダーは003だろう」
「……何を言っている」
「いいから、003を出せと言ってるんだ」
「冗談じゃない。ダメだ」
「私は彼女と話すためにこうして通信しているのだ。早くしろ」
「フン。だったら003宛に手紙でも書いたらどうだ。もちろん、届けないけどな」
「なんだと」
「見苦しいぞ009、ヤキモチか」
「お前らに妬くわけないだろう」
「009。貴様がいなくなれば003は」
「兄者、やはり009を亡き者にしなければ」
「うむ、そうだな」
「言ったわよね?」
好き、って。
「い、言ってないっ」
「あら、知らないの。私、耳だけはいいんです」
ミッションが終わっても調べ物があるとかで研究室にこもったままの009。 どうも意識はこちらに無いようだ。 「それとも私を食べる」 と言ってみたら、同じ調子で 「――うん」 ときたので間違いない。 「ジョー。サンドイッチとおにぎり、どっちがいい?」 日本人だからやっぱりおにぎりかしら。 「梅干とおかかとこんぶがあるけど」 なんでもいい、っていうことかしら。 「じゃあ、適当に用意してくるわね」 好きだから大丈夫――と聞こえたような気がして、003ははっと息を止めた。 「本当にそばにいても邪魔じゃない」 はっと009の顔が上がりこちらを向いた。 「え。フランソワーズ、いつからそこにっ」
―3―
今日の闘いで気になることがあったらしい。
003は心配になってちょこちょこ研究室を覗いていたのだが、009は調べ物に夢中だった。
少しは休憩させなくてはと思い、声をかけることにした。
「ジョー。コーヒーか何か飲むかしら」
「――うん」
「それとも何か食べる」
「――うん」
試しに
この調子だったら、調べたいものが尽きるまで寝食を忘れることは必至である。
何か片手に持って食べられるものがいいわと思い、用意することにしたのだが
「――うん」
「――うん」
生返事の「うん」を聞いているうちに、ちょっとした声の加減で「うん」が解読できてきた。私って凄いと003は胸を張った。対009限定の特殊能力が今、開花しようとしている。
「――うん」
「いくつ食べられるかしら。ふたつ……みっつくらい?」
「――うん」
「私も一緒に食べていい」
「――うん」
「そばにいても邪魔じゃない」
「――うん」
確認のため、もう一度。
「うん。――だから」
「えっ?」
「――好きだからだいじょう……」
「さっきからずっといたわよ。……ジョー。マイナス1点追加ね」
そもそも、なぜ「好き」と言ったら「マイナス1点」なのだろう。 本日のポイントがマイナス5点となった009は自室でどうでもいいことを悩んでいた。 「いや。絶対にそうだ」 このゲームには勝つ自信があったのだ。だから受けた勝負である(いや、こちらから言い出したのだったか?)。 「フランソワーズの計算違いだ。そうに違いない」 よし、文句を言ってこようと立ち上がった時、部屋にノックの音がした。 「フランソワーズ。どうしたんだい、こんな夜中に」 男女差別反対と言われ009はぐっと詰まった。 「……勝手に入れ」 知らないぞ、どうなっても――と低く凄んでみるが、003はあっさり聞き流し中に入った。 「落ち込んでるんじゃないかと思って」 好きだからなと言いかけて、慌てて黙る。 まったく、どうかしてる。普段はこんな風に口を滑らせることなどないのに。やはり今日はどこかおかしい。 「す、ってなあに?」 蒼い瞳に凝視され、009はいたたまれなくなった。どうして自分の部屋にいるのに窮地に立たされた気分になるのだろう。思いっきりホームのはずなのに。 「ジョー」 003が009に両手を差し伸べそのまま彼の胸のなかに収まった。 「え。な、なに?」 得意そうに微笑む003にわけがわからず戸惑う009。 「え、と、フランソワーズ……?」 日付が変わるまであと3分。 「同点よ。どうする?」 抱き締められて、好きと5回続けて言われた。 ここで黙っていたら、日本男児の名がすたる。 「いや――僕の負けでいいよ。す」 好きだから――という言葉は互いの唇で消されてしまった。 が、009が負けたのは間違いなかった。 なぜ好きと言ったらマイナスなのか。 「なんだか納得できないわ」 唇を離したあとになぜか003は憤慨していた。 「やり直しよっ」 009の顔を優しく押し遣り、003は宣言した。 「今日の勝負はたくさん好きと言ったほうの勝ちにします」 まだやるのとうんざりした009にそうですと003は言い切った。 「だって、なんだか納得いかないんだもの」 と言った途端。 「え……と」 すっかり003に手玉にとられ、009は枕を涙で濡らしたかどうか――は、定かではない。
―4―
好きという感情は言われて嫌なものではないのだから、プラス1点が正しいのではないだろうか。いやでも、「好き」と言ったら「負け」という設定なのだから、やはりマイナス1点が正しいのか。
あと一時間足らずで日付が変わる。このまま負け越しで一日が終わってしまうのかと思うとなんだか悔しい。
大体、アムールの国の出身のはずなのに、003は未だ0ポイントなのもおかしい。何か彼女の策略にはまっているのではなかろうか。
ともかく、普段から「好き」だなどと決して言いはしないのだ。だから当然、0ポイントのままのはず。いつもの通り生活していれば。
それが、「マイナス5点」。つまり、5回ほど「好き」と言った計算になる。そんなことは有り得なかった。
ドアを開けるとそこには文句を言いに行く相手が立っていた。
「あら、夜中に来ちゃいけない?」
「女の子だろ」
「女の子は夜中に来ちゃいけないの」
「男性の部屋に来るのはダメだ」
「ジョーは来るのに?」
「うん?」
「自信満々だったでしょう。なのに、――マイナス5点」
「――あぁ、それ、ね。わざわざそれを言いにきたのか」
「まぁそんなところね。それに、負けたらどうするのか決めてなかったし」
「……どうせ、勝った者のいうことを聞くとかそういうのだろ」
「あら、どうしてわかったの」
「きみの言いそうなことならわかるよ。す」
003が何か術をかけているとしか思えない。
「なんでもない」
「あらそう?」
「いいんだ、気にするな」
「ふうん……」
「えっ」
「好きよ」
「えっ」
「好き」
「え、な」
「だーい好き」
「え、ちょ、どうし」
「好き」
「な、ふらんそ」
「大好き」
「え、ちょっ……」
「ほーら、同点」
「まだ一日終わってないわ」
「どうする、って……」
「勝負は明日に持ち越し?」
女の子に。
そして負けた途端、009は理解した。
それはつまり、好きな相手には永遠に勝てないとそういう意味に違いなかった。
―5―
今のキスがダメだったのかなあと009はぼんやり考えていたので、003がこちらを睨んだときにはついごめんなさい、やり直しますと言ってしまうところだった。
「え、あ。うん――」
「そうじゃなくてっ」
「えー」
「何が」
「だって、……負けたのはジョーのはずなのに、なんだか私、試合に勝って勝負に負けたみたいな感じなんだもの」
「……なんだソレ。いいじゃないか、勝ったんだから」
「だってジョー。わざと負けたでしょ」
「わざとじゃないよ。それにわざとって言うならフランソワーズだろ。なんだよ最後の5連発は」
「いいじゃない、好きなんだもの」
「だったら昼間にもっと言えばよかったじゃないか」
「言うひまがなかったんだもの。ジョーが好き好きって言うから」
「言ってない」
「言いました」
「言ってない」
「言いました」
「言ってない」
「言ったから負けたんでしょ。認めなさい」
「別に言ったっていいだろう」
「だったら普段からもっと言いなさいよね」
「うるさいなあ。日本男児は軽々しく言わないんだよ。本当に必要なときしか」
「ふうん。じゃあ、本当に必要なときっていつ」
「さあね」
「ま。本当は言う気がないんでしょう」
「さあ。知らないな」
「でも今日はたくさん好きって言ったほうが勝ちですからね」
「はいはい。もう勝手にやって」
「ジョー。好き好き好き好き」
「……今言わなくてもいい」
「好き好き」
「そういう安売りは心がこもってないよ」
「好き好き好き好き」
「ああもう、話を聞け」
「好き好き好き好き好き」
「……フランソワーズ。じゃあ、僕も言うからなっ」
部屋が静かになった。
「どうぞ」
「え」
「さ。張り切ってどうぞ」
「…………もう、寝る」
が、003の胸で泣いたのは確かなようであった。
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