第13話「姿なき暗殺者」
Ruhetag

 

雑誌を読んでいる手元に、ふっと影が落ちた。
「何を読んでいるの?」
顔を上げると、そこには003が立っていた。
手を後ろで組んで、雑誌を覗き込んでいる。
「・・・別に」
「いま、時間・・・あるかしら?」
「何?」

雑誌を閉じようともせず応える声に、ちょっとだけ挫けそうになる。
「お天気もいいし・・・たまには気分転換に、出かけない?」
少し声は震えたけれど、ちゃんと言えた。
思っていたより小さい声になってしまったけれど。

言われて初めて外を見る。
確かに、今日は快晴だった。
「あの、ひとりで出かけるよりふたりのほうがいいかな、って思って」
ひとりで出かけるより。

言ってから後悔した。
この間、ジョーが夜中に外出していた事をあてこすっているように聞こえてしまったかもしれない。
・・・そんなつもりで言ったんじゃないのに。

果たして009はムッとした表情になっている。

そんなつもりで言ったんじゃないのに。

西部での失言以来、必要以上に言葉に気を配るようになっていた。
しかも、009への想いを自覚して以来、妙に意識してしまって、以前のようには話せなくなっている。

「あ、気にしないで。もし時間があったら、って思っただけだから」
泣きそうな思いで言う。
「ごめんなさい。邪魔しちゃって」
なんとか笑顔を作る。

「・・・どこに行く予定?」
何とか笑顔らしきものを浮かべながら言う。
彼女は別に先日の件をあてこすって言った訳じゃない。
そんな事はわかっているのに、思わず顔に出てしまった。
ほら。
彼女は困っているじゃないか。

「ううん。いいの。何でもないから」
「いいよ。付き合うよ」
一瞬でもムッとした表情を作ってしまった自分にイライラしながら答える。
「どこに行くの?」

 

 

そこは、一見普通の民家のように見える喫茶店だった。
港の見える丘の、緑に囲まれた一角にひっそりと建っている。
一面ガラス張りの窓から見えるのは、港と海と水平線だった。
柔らかな陽射しが入る席に、二人は向かい合って座っていた。

「ここ、ケーキが美味しいって有名なのよ」
「へぇ・・・。こんな場所、よく知ってるね。どうやって調べたの?」
内緒、と、彼女が小さく笑う。
女の子って秘密が好きだよね。と言うと、秘密ってほどじゃないのよとくすくす笑った。
亜麻色の髪に光が反射してきらきら光っている。
ちょっと目を細める。
「ね。ジョーは何にする?」
メニューを見つめ、どれも美味しそうで選べないと迷っている。
「こっちとこっち・・・どっちがいいかしら」
でもこっちも捨て難いし・・・と延々迷う姿を見て苦笑する。
「そういえば、ここって確か紅茶の種類も多いんだよ」
言って、ドリンクメニューを開く。
「本当。紅茶だけで20種類もあるわ。・・・知らなかった」
「このマスカットティーっていうの、結構美味しいよ」
「そうなの?・・・詳しいのね」
「うん。実は、前に来たことがあるんだ」
黒い瞳の彼女。
この店の紅茶が好きで、全種類制覇するんだと言っていた。
「・・・そうよね。ジョーの国だもの。来たことくらい、あるわよね」
別に気にする事じゃないわ。
例え、絶対に男一人で入るような店ではなくても。

 

「僕はこの紅茶で・・・ミルクは要りません。えっと、ゼ」
003は?
と言いそうになって慌てて黙った。
まさかゼロゼロナンバーで呼ぶ訳にはいかない。
「え・・・と、ア」
アルヌールは?
と言いそうになり、ちょっと悩む。
日本では苗字で呼ぶのも変じゃないけど・・・やっぱり、彼女を苗字で呼ぶのは何だか不自然な感じもするし。
「ふ」
フランソワーズは?
っていうのは、言っていいものなんだろうか?
僕がそう呼んでもいいのだろうか?

軽くパニックになっている009を見つめ、微笑むと、ウエイトレスに
「私はこれとこれで・・・紅茶はこれ。ミルクをつけてください」
とオーダーを終える。

フランソワーズって、呼んでくれていいのに。

オーダーを終えて、なんとなく無言になってしまう。
静かな時間。

いつまでもこういう時間が続けばいいのに。

 

 

店を出たあと、港に行った。
君が海を見たがったから。
海なんて、ギルモア邸の前にもあるのに。普段、散々見ているのに。
そう言ったら、同じ海でも違うのよと言われた。
・・・どこがどう違うのか、僕にはよくわからなかったけど。
車を降りて、海の見える公園を散歩する。

「結局、ケーキをふたつも食べるんだもんなぁ」
「あら。食べてもいいって言ったじゃない」
「まさか本当にふたつ食べるとは思わなかったよ」
「いいじゃない。美味しかったモン」
延々とケーキの話をしながら公園を歩く。
「・・・太るよ」
「大丈夫だもーん」
「あんまり太ったら、困るなぁ」
「あら、どうして?」
「救出するとき、重くて腕が折れるかも」
「ひっどーい!」
こんな他愛もない話をするのは、いつ以来だろう?

召集されてから、しばらくはなかったような気がする。
・・・こんな、平和な時間も。

 

 

「ただいまぁ!!」
「お帰り。・・・随分、買ったのう」
リビングにいた博士が目を丸くする。
「久しぶりだから、いっぱい買っちゃった。・・・荷物持ちもいることだし」
小さく舌を出す003の後ろから、両肩と両手に中身のいっぱいに詰まった紙袋を提げて009が現れた。
「ひどいよフランソワーズ」

フランソワーズ?

「いいじゃない。持つよっていったのはジョーのほうでしょ?」
「こんなに買うとは思わなかったんだ」
楽しげに会話を続ける二人。
ふわり、と漂う潮の香りに006が鼻をひくつかせる。
「海に行ってたアルか?」
「ええ。海の近くに公園があって。・・・楽しかったわ」

海?

「みんなにたくさん買ってきたの。後で見せるわね。・・・イワンはどこ?」
「イワンならワシの部屋に・・・」
「私、先にイワンをお風呂に入れちゃうわ。イワンにね、可愛い寝巻きを買ったのよ」
早く着せてみたくって。と、楽しげに喋りながら部屋を後にする。

「・・・元気が出たようで、良かったのぅ」
西部から帰って以来、どこか沈んだ様子の003を心配しており、今日の外出をすすめたのも博士だった。
「それにしても、わざわざ海に行ったのか?」
002が訊く。
「うん。フランソワーズが行きたいって言ってね」
「ふぅん・・・海なら目の前にあるのにな。わざわざ、別の海、ねぇ・・・」
それに、いつからフランソワーズって呼ぶようになったんだ?
にやにやしながら009を見つめる。
「僕も言ったんだけど、同じ海でも違うらしい」
僕には違いなんてわからなかったけどさ、と楽しそうに言いながら床に荷物を降ろす。
「それにしても変なんだ。フランソワーズ、自分のものは何にも買ってないんだ」
フランソワーズ、フランソワーズって、嬉しそうに連呼するんじゃねーよ全く。
「お前が何か買ってやれば良かったんじゃねーのか」
「えっ」
途端にみるみる元気がなくなる009。
・・・ったく。わかりやすい奴。
これで今度「僕達は別に」なんて言いやがったらただじゃおかねーからな。

 

 

「イワン、似合うわー」
抱き上げ、しみじみ見つめる。
「可愛いっ」
フランソワーズの笑顔を見つめて、001も嬉しくなった。

『でーとハ楽シカッタ?』

「やだイワン。私たちは別に、そんなんじゃないわよ」

『私タチハ別ニ・・・』

まさかフランソワーズの口からもその言葉が出るとは思わず、ただふわふわと浮かぶ001であった。

 

 

「あの・・・フランソワーズ?」

夕食後。
リビングでまだ渡していない各メンバーのものを仕分けしている003にそっと声をかける。

ジェットに言われて気付いたんだ。
何か・・・君の欲しいものはなかったのかと。
ショッピングセンターで、君はみんなの買い物ばかりしていたから。
自分のものは何も買っていなかったから。

「次はいつ行こうか?」

「行くってどこへ?」
「買い物」
「・・・買い物?」
怪訝そうに009を見つめる。
「今日、行ったばかりだもの。しばらく行かなくても大丈夫よ?」
そうじゃなくて。
「でも、今日は自分の欲しいものを買うの、忘れてただろう?」
「・・・欲しいもの?」
しばし009を見つめ。
ふふっと微笑んだ。
「そんな事言ったら、ジョーも買ってないじゃない。自分のもの」

 

僕はいいんだ。
君と出掛けて、楽しかったから。

 

・・・私は。

「ジョーがご馳走してくれたでしょう?私はケーキを食べたかったから」
そう言ってからすぐに俯いて買ってきたものの仕分けに戻る。
緩んでくる頬を持て余しながら。

だって。
私の欲しかったものは・・・いま貰えたから。
「次はいつ行こうか?」という「未来の約束」。
社交辞令でも何でもいいの。特別な意味なんて、なくていいの。私たちはいま、闘いの最中にいるから。
明日がどんな日になるのかわからない、危うい日々を過ごしている。
でも、いまこの瞬間がいつまでも有効なら。
あなたがくれた「次」があるなら。
私は明日から、また闘っていける。

・・・でもね。

・・・今だけだから。

ちょっとだけだから。

少しだけ、自惚れてみても・・・いい?
もしかしたら、あなたも私のこと・・・なんて。
絶対に有り得ないのはわかっているけれど。
今だけ。
ちょっとだけ、勘違いさせて。
恋人同士の、次のデートの約束をしたみたいね。・・・って。