「落ち着け、009」


009が壁に拳をめりこませたところで声がかかった。

003が攫われてから一ヶ月が経過していた。メンバー全員が血眼になって捜す中、それをあざ笑うかのように敵の攻撃はぱったりと止みついには姿を現さなくなった。
最初は罠か、あるいは、003を引き換え条件として何か要求してくるのだろうと身構えて待った。しかし、待てど暮らせど敵からは何の連絡も無く――徐々に嫌な空気が流れ始めた。

つまり。

敵の目的は003を捕獲することだったのではないだろうかということである。そうだとすれば、003を攫ったことで敵の目的は達成されたわけだから、これ以上の攻撃もなければ接触もないことになる。003を交換条件になどするはずもない。
と、なると。
003が人質であれば、いずれ姿を見せる時がきて救出のチャンスもあろう。
そう高を括っているわけにはいかなくなった。

助けにいかなければ、このまま永遠に003に会う事はないのだ。


009は荒れた。
天地を呪い、我と我が身を呪った。そして果てしなく落ち込んだ。が、かといって003救出の妙案が出るわけもない。
後悔したところで得るものは何も無いのだ。が、手がかりひとつない状況にあっては、メンバー全員も009と同じ気持ちだった。

003は忽然と消失したのだった。それもドルフィン号の中から。
そして痕跡はなにひとつ見つけることができなかった。
敵が003を伴ってどういった経路で去っていったのか、その軌跡もわからないのだ。

いま彼女はどこにどうしているのか。
果たして地球上に居るのかすらも怪しい。
頼みの綱の001は夜の時間の最中でありびくともしない。

003救出の見込みは全く立っていなかった。

 

視覚と聴覚。

003消失を映していたドルフィン号内の監視カメラの映像を繰り返し観ると、どうやらその二点にポイントがあるようだった。音と映像。どちらも何か不自然なのだ。
単純に考えるならば、何かしらの目くらましが使われているに違いない。が、その目くらましがいったい何なのかさっぱりわからないのだ。映像を観る限りでは、003は忽然と消えたわけだけれども――実はそう見えるだけで、堂々と船内を歩いて連れ去られたのではないか。そんな印象もあるのである。
しかし、方法がわからない。
どんな解析法を用いても画像が現れることはなかった。

いったいどんな目くらましが使われており、そして今現在もどうやって彼女を隠しているのだろうか。
闇雲に探し回って疲れ切ったメンバー達は、既に考えることさえ難しい状態にあった。

 

「――まさか、な」

同じく疲労の色が濃いギルモア博士がふと呟いた。

「…まさか」

繰り返す。
全員、問い質す元気もなく、ただ博士に視線を向けるきりだった。
その博士も誰にともなく呟いたのであり、呟いた本人も声に出して言っているつもりではないようだった。
ただ、その表情を見るとどうやら古い記憶を探っている最中のようで、目の焦点はここではないどこか過去に合っているようだった。
だから全員、返って何も言えずただ待つしかできなかった。

「――ブラックゴースト…いや、まさか」

まさか。
博士の言葉に全員も同じ思いである。今さらブラックゴーストが関与しているとは思えないし俄かには信じられない。

しかし。

「…まさか、アイツが…?」

博士の目の焦点が合った。

 


 

 

『そこに居るのに見えない、聞こえない敵とはどうやって戦うべきだと思う?』


その若い医師はきらきらした瞳でそう訊いてきた。

『心理的な要因ではなく、そう――映像を伝えない、像を結ばない、情報を伝達しない。そういう方法が見つかれば侵入も容易だし慌てて逃げる必要だってない。むしろ武器だって要らなくなる。なんて便利な最終兵器なんだ!』

そう思いませんかとそう訊かれ、同じ職業の先輩であるギルモア博士は思わないと答えた。

『どうしてですか。今やっている研究の究極ですよ。それにこの技術は売れる。売り物になるならブラックゴーストは金をいくらでも払ってくれる。いいことづくめだ。綺麗ごとを言っているけど、ギルモア博士、あなただって金につられてここへやって来た。そうでしょう?資金を気にせずいくらでも好きな研究ができるんだ。しかも、人体実験もし放題。犬や猿で我慢しなくていいんだ。こんな素晴らしい所、ほかにはないですよ』

彼は優秀な眼科医であり、サイボーグナンバー003の開発を手がけていた。

「003」は既に何体も造られていたが、未だに完成には至っていなかった。
それは、「聞こえる耳」「見える目」を持ったことによって精神的バランスを崩す者が多く使い物にならなかったのだ。

使い物にならない――それはつまり、データをとることができないという意味である。
研究者にとってデータをとることができない実験動物は失敗作と同義であった。
彼もまた同じく、失敗作には見向きもしなかった。だから彼が「これは失敗だ」と言った「003」たちがどのように処分されたのか全く興味はなかったし知ろうともしなかった。

目下のところ、彼の一番の興味は新しい「003」の改造にあった。

『やっぱり目と耳という繊細な器官の開発だから、女性だよなぁ。がさつな人間は駄目だ』

彼の手がけている新しい「003」はフランスの少女だった。名前は知らない。ただ、彼はその「003」が強靭な精神力の持ち主であることを知り、まるで面白いおもちゃを見つけたように彼女を使ってあらゆる実験データをとることに心血を注ぎ――のめりこんでいったのだった。

 

 

***

 

 

「まさに妄執といっていいだろう。彼は若い医師であり、若さゆえに暴走した。ブラックゴーストに加担することも何の罪の意識も覚えなかったし、実験が成功すれば有頂天になりもっともっとと更に続けた。だから」

だから。

彼のおもちゃである「003」が反旗を翻して脱走した時はどうだっただろうか。想像することは容易だった。

「――まさか、まだブラックゴーストにいるとは思わんが…」

どこかのラボで実験を続けており、そして成功していたのだろう。
おそらく、それと並行して003の行方も追っていたとそういうわけなのだろう。
この世の中にサイボーグ戦士が存在することを知っていれば、様々なニュースが飛び交うなか、それとあたりをつけることは可能であった。

「無論、彼はただの研究者であるから、実際に003を攫ったのは他の人間だろう。が、しかし」

しかし。
今現在、捕らわれの身となった003のそばにいることは間違いない。

と、いうことは。

ずっと捜していたお気に入りのおもちゃを取り戻したら、次は――?

 

「…おそらく、また実験を再開するだろう」

ため息をつくようにギルモア博士は締め括った。それにつられるようにメンバー全員も深い息をついた。
ともかく、助けにいかなければ。
サイボーグであることを誰よりも嫌い、普通の人間として過ごしたいと強く願っていた003に更に人体実験などさせるわけにはいかない。

しかし、全く手立てがないものまた現実だった。

しかも既に一ヶ月が経過しているのである。既に実験が始まっている可能性もじゅうぶんにあった。