真っ白い光。

 

ひとつの影。


それが近付いてくる。
最初は鈍い銀色の点のようだったものが近付いてきて――

 

――それは、先端の尖った何かだった。

 

視界いっぱいが「それ」になって、そして目に、

 

 

 

 

「おっと」


目に向かって進んできた「それ」は、妙にのんびりした声と共に視界から消えた。


「駄目だなぁ。意識が戻ってきてるじゃないか。脳外科の手術をしてるんじゃないんだからさ、意識を戻しちゃ駄目だって。薬の量はちゃんと確認したのかい?――できるだろう、そのくらい。天才麻酔科医なんだから」


声が遠く近く聞こえてくる。耳が痛い。音がよく聞こえない。
声の主は、近くにいる誰かに話し続けているようでこちらに注意を払ってはいない。
が、かといって私にはどうすることもできなかった。

動かないのだ。

手も。

足も。

頭も。

身体が重い。


「――だから。全身麻酔の必要はないんだって。――うん。そう。自発呼吸は残したまま筋弛緩をきかせて――そうだ。でもなぁ。意識は戻す必要ないんだよ。だってホラ、…目が合っちゃったじゃないか」


急に声が近くなった。
と同時に視界にマスクをした誰か、が。


「――久しぶりだね、003」

――えっ?

「おやおや、まさか私を忘れたってことはないよね」

…誰?

「マスクを外せばわかるかな。…っと、手術中だから外せないんだなこれが。でもきみならわかるはずだ」

…………。

「僕のこと。わかるよね?…フランソワーズ」

―――!?

「目は痛くないかい?」

……。

「見える?聞こえる?具合がおかしかったら言ってくれ。直すから」

―――。

「…フランソワーズ。僕はきみを助けたいんだ」


僕は。


きみを。

 

――。

 

―――知っている。


私はこのひとを知っている。
とてもよく。

だってこのひとは。

私のことをよくわかってくれているのだから。

 

誰よりも。

 

…私よりも。

 


 

 

『目や耳の不具合があったら僕に言ってくれ。すぐに直すから』


そう言ってにっこり笑ったブラックゴーストの医師。
最初は信用なんかするもんかと思っていた。
でも。
繰り返されるテスト。終わらない実験。
自分の身体が以前と違ってしまったことを実感するのにそう長くはかからなかった。

私は「003」と呼ばれている。
でも、他にも003はいっぱいいて、みんな年齢はばらばらだったけれど女性ばかりだった。
そして一緒にテストを受けた。
けれど。
そのテストを繰り返すうちに003の数はちょっとずつ減っていって――最終的には私ひとりになってしまっていた。
なぜだろう。
みんな、どうしてか受け容れられないのだ。自分のこの目が。耳が。
見えすぎる。聞こえすぎる。それが――怖くて。
怖くて怖くて怖くて。
実験が行われるたび色々な負荷がかかり、それに伴い凄まじい頭痛や吐き気、眩暈、幻聴に襲われる。
繰り返し繰り返し。
その症状が落ち着く前に更に新たな実験が始まりテストが行われ――頭がおかしくなっても不思議ではない。
そうやってみんな脱落していったのだ。
なのに私だけこうして残ってテストを受けている。
頭がどうにかならないでいる私のほうがきっと変なのだろう。きっとどこか、元々変だったのに違いない。
でも。
今の自分は自分ではないモノだとしても、それでも。
生きて――いつかここを抜け出して、私は兄の待つパリに帰る。そう心に決めたのだ。

だから、絶対に生き残る。

 

『003――フランソワーズ、聞こえているかい?』


この医師は私のことを名前で呼ぶ。
そうしないと私は返事をしなかったから。どこでどう調べたのか知らないけれど。

「ええ、聞こえているわ」
『そうか。この前は頭痛が酷かったっていってたけど、今回はどうだい?もう少しやれそう?』
「――はい。大丈夫です」


本当は実験なんてやりたくない。でも、やらなければ、終わらせなければ、いつまでたってもここから出られない。
それに、微調整をしてもらわないと――この前のような頭痛が続いたら、本当に死んでしまうかもしれない。
だからこの医師は私にとって命綱のようなものだった。
003担当だから当然なのかもしれないけれど、ともかく彼がいなければ私のこのおかしな眼と耳はどうにもならないのだ。調整できるのはどうやら彼しかいないようだったから。

それに――彼は、優しかった。

ブラックゴーストなのに。

私を改造した奴なのに。


『ちょっと見せて』

私の目を覗き込む真剣な瞳。

『うーん…眩暈は出てないよね?』
「ええ」
『三半規管に問題はないはずだから、要は残像システムか。――もうちょっと我慢して』
「…はい」

我慢。

もうちょっと、っていったいどのくらいなのだろう。

何秒?

何分?

何時間?

何日?

 

…何年?

 


 

 

「久しぶりだね。フランソワーズ」


――どうして?


「うん?ブラックゴーストは滅んだはずなのに、って?イヤだなぁ。いつまでもブラックゴーストとなんか一緒にいないよ」

笑い声。

「僕にはやりたい研究がまだまだ残っているんだ。だからそれを完成させないうちは死ねない」

更に笑い声。

「なのに、酷いよなぁ。フランソワーズ。僕を置いて逃げちゃうなんてさ」

――。

「いったいどのくらい捜したと思うんだい?」


まさか。

まさか、あれからずっと――捜していたというの?
そんなバカな。


「きみは僕の最高傑作なんだから、勝手にいなくなったら困るんだよ。もちろん、データは全部持っているから他の被検体で実験を続けることも可能だったけれど。でも、他の子は駄目なんだよ。みんなメソメソ泣いてばかりか、うんともすんとも言わなくなっちゃうか。見えるのか見えないのか、聞こえているのか聞こえていないのか、さっぱりデータがとれなくて参っちゃったよ」


…被検体。
まさか、実験を続けて――?


「そのあたりきみならまた協力してくれると思ってさ。さっきのオペできみの目はまた特別になった。あれ?気付かなかった?毎日ちょっとずつ手術して調整していたんだけどな。今日ので7回目なんだけど」


――キモチワルイ。


「明日からテストをするからね。あぁ、わくわくするなぁ。またきみとこうして研究ができるなんて」

…イヤだ。

「うん?イヤかい?でも駄目なんだ。きみは僕に協力するよ、きっと。絶対」

――しない。絶対にするもんか。

「だって、しないとね。死んじゃうよ?きみの仲間」

――え?

「もちろんギルモア博士も、ね」