「003、大丈夫か」


風とともに私は逞しい胸に抱きとめられていた。咄嗟には何があったのかわからなかった。
だから、そのまま私は彼の顔をぽかんと眺めていた。

「・・・003?」

009が怪訝そうな顔をする。

「えっ・・・あ」

思い出した。
私はビルの屋上で突き飛ばされて――15階から落下したのだった。
途端に眩暈がした。

「003」

009の心配そうな顔。
私は眩暈を抑えるようにぎゅっと目をつむって、彼の腕から下りた。その胸を軽くてのひらで押して。

「――大丈夫。行って頂戴」
「いやしかし」
「平気。私は003だもの。大丈夫よ。――ほら、あの子。あそこに置きっ放しじゃない。とても不安そう」

009のずっと背後には、おそらく彼が救助したと思われる女の子が心細げに立っていた。
私と009は別行動だったから、彼女は自分を助ける側の私たちに女性がいるとは思っていなかったのだろう。
だから、自分だけが守られているわけじゃないと不安になっているに違いない。
009は仲間だけを助けて、自分のことはすっかり忘れているのではないかと。きっとそう思っている。
だから私は必要以上に邪険に009の腕を振り払った。

「いいから、行って」

でも、そのせいで眩暈が強まり一瞬目の前が真っ暗になった。
思わず膝をつく――つこうとして、誰かの腕に抱きとめられた。
ううん。誰か、じゃない。この腕は009だ。

「駄目だ。君を放っては行けない」
「どうして。大丈夫だって言ってるでしょう」

私はいらいらと言った。009の顔を見ないようにして。

「助けてくれたのはありがたいけれど、でも、あなたの仕事は私を助けることじゃないわ。彼女を守ることでしょう」

我ながら、何て言い方なのだろう。
助けてくれたのはありがたいけれど?
なんなの、それ。
いくらなんでもひどすぎる。だって私、ちゃんとありがとうも言ってないのに。
自分で自分が情けなくなる。
それに正直な話、実は立っているのもやっとだった。
突き落とされて体が宙に浮いた感覚。もうこれで終わるのだと思った時の、絶望感と安堵感。
それだけでも酷く疲弊していた。
だから本当はこうして支えてくれているのはありがたかったし、実際、009がそばにいてくれたら安心だった。

でも。

この安心感を享受すべきなのは私ではなく彼女。


「ちっ。うるさいなぁ」

009が舌打ちをするといまいましそうに言い捨てた。

「いいかい、あの子のことは008に頼んであるし、もうすぐここに来ることにもなっている。了解済みなんだ」
「でも」

それでもあの子は不安そうだし、それにきっと009のことが――

「ああもう、うるさいぞ、フランソワーズ」
「・・・えっ?」
「僕が君を守るのはそんなにイヤ?」
「そんな」

そんなことあるわけない。
でも、常識的に考えて009が仲間の救助を優先してはいけな――・・・・あれ?いま何かひっかかったけど・・・

「あの」
「何」

怒ったような声。でも私に回した腕は離さない。

「ほらみろ。無理してじたばたするから顔が真っ青じゃないか。――ったく、こっちの身にもなってくれ」

私が009の顔を見ると、009はふいっと目を逸らせた。

「――フランソワーズが落ちたのを見て心臓が止まりそうだった。間に合わなかったら、いや、うまく受け止められなかったら・・・って」

そして009は目を逸らせたまま、私をぎゅうっと抱き締めた。

「もうイヤだ。他の子は誰が守ったっていいじゃないか。他にもひとはいるんだから。僕はフランソワーズを守りたいんだ。
君を守れるのは僕だけなんだから!」
「私、自分のことは自分で」
「守れるのは知ってる。でも僕が守りたいんだ」
「・・・わがまま」
「知ってる」
「009らしくないわ」
「自分に正直になっただけだ」
「そうね。・・・わかったわ。ジョー」

009がびっくりしたようにちょっと身を離して私を見た。

「名前・・・」
「・・・いけない?」
「いや」

009は少し赤くなると、再度私を胸に抱き締めた。

私のなかの変な遠慮ややきもちは、きれいさっぱり消えていた。
だって、009の早鐘のような鼓動を聞いたら何も言えなくなってしまう。
いくらサイボーグで心臓の動きさえもコントロール可能といっても。それでも、こんなに鼓動が速くなるくらい、急いで――慌ててくれたんだもの。
これで私のことを仲間としてしか心配してないとか、義理で助けただけでしょうなんて言ったら私のほうがおばかさんだわ。

「ジョー。ありがとう。助けてくれて」

だから私は、やっと――素直にありがとうが言えた。

「――うん」

009は――ジョーは。
小さく頷くと、更にきつく私を抱き締めた。
喉の奥で「怖かった・・・」と言ったように聞こえたけれど、これは聞かなかったことにしよう。

ううん。

大事に胸の奥にしまっておくことにする。

ヤキモチをやきそうになったら、いつでも思い出せるように。