D「用意された朝食」

 


「――お目覚めですか?」

勢い良くカーテンが引かれ、陽光が容赦なく室内を照らし出す。
ジョーはまともに目を射られ、しぶしぶ目を覚ました。片方ずつこじあけるようにして、声の主が誰なのか見極めようとする。
が、逆光で顔が見えない。

「――?!」

普段ならするはずのない芳香が室内を満たしていた。

「今日はフォートナム&メイソンのアールグレイです。ストレートでどうぞ」

目の前に紅茶のカップが差し出された。絵柄はヘレンドのバラシリーズ。
無言で身体を起こし、枕にもたれ、ナリユキで紅茶のカップを受け取った。
ひとくち飲んで。

「・・・にがっ」

顔をしかめていると、更に盆が目の前に差し出された。

「今朝はスコーンが焼きあがっておりますの。クリームやジャムと一緒にどうぞ」

こちらもナリユキで盆を受け取り、膝の上に置く。
そうして、いったいこれは何事なのかと思いを巡らせた。

いったい、これは――何のわるふざけなんだ?

考えこんだジョーの頭上に明るい声が降ってきた。

「冷めないうちにどうぞ。――ご主人さま」

 

 

***

 

 

部屋にメイドがいる。

その異質さにジョーは改めて周囲を見回した。
間違いなく、ここは自分の部屋である。ギルモア邸の中にある一室。
どこか別の場所に居るのでもなければ、怪しい世界にスリップしたわけでもなさそうだった。
見慣れた自分の部屋。
開け放たれた窓からは潮風が舞い込み、波の音も聞こえてくる。
いつもの自分の部屋のいつもの朝だった。
違うのは、湯気をたてている紅茶と、膝の上に載せられている盆の中の、まるで英国の朝かと思えるようなメニュー。

・・・ご主人さまだって?

誰が?

そう思ってみるものの、この部屋には自分とメイドしかおらず、彼女が自分をご主人さまと呼ぶからには、それは自分のことを指しているのに違いなさそうだった。
改めてメイドを見遣るが――やはり逆光のまま、顔は全く見えなかった。
服装はありがちのメイド服。白いブラウスに黒いスカート、その上にレースの縁取りがある白いエプロンをつけて。白いストッキングに――猫の耳。

猫の耳?

「・・・ネコ」

猫だ。猫がいる。この部屋に。それも、人間形の大きな猫が。

「ご主人さま?」

どうかなさいましたか――と、メイドが傍へやって来る。
ジョーが呆然と手にしたままの紅茶のカップを受け取ろうと手を伸ばす。
その瞬間を逃さなかった。
ジョーは強引にその白い手を掴み、一気に自分の方へ引き寄せた。

「きゃっ、ご主人さま、お戯れを――いけませんわっ」

つんのめるようにジョーの懐へ転がり込んだメイド。
猫の耳が微かに彼の顎を掠めた。
持っていた紅茶のカップが揺れて、シーツに茶色いしみを作った。
膝の上の食事は、メイドがそこへダイブするかのように飛び込んだため、中身は無惨な状態になった。
ジョーは掴んだ手を緩めず――軽く捻った。

「いったたたたた。ちょっと、ご主人さま、何をなさるんですかっ」
「・・・こんなの、すぐ振り解けるだろう?」
「そんな、私は一介のメイド、なんの力もございません」
「・・・嘘泣きもやめろ」

低い声で言い放つ。ジョーの寝起きは最低最悪なのだ。

「嘘泣きではございません。ご主人さま」
「・・・いい加減にしないと、本当に怒るよ?――フランソワーズ」

 

***

 

深くため息をついて、腕の中のネコミミ娘を見つめる。
目を細めて、嫌そうに。

「いったい朝から何のつもり」

ネコミミ娘は、ジョーの顔を見つめ返し――べーと舌を出した。

「別に、何のつもりでもないわっ」

舌を出したついでに顔もしかめる。そうして、つんと横を向いた。

「・・・そういうプレイ?」
「ばっ・・・バッカじゃない!」

すぐさま否定され、やや傷つく。

バッカじゃない、ってそういう言い方はないだろう。フランソワーズ。
そういうプレイだってあるかもしれないじゃないか。

「フン。君のその格好の方がずうっとバカみたいだぞ」
「だって、ミッションだもの!」
「ミッション?」

これが?

メイド服に猫耳。

これが――ミッションだって?

「もー。ご主人さまが乱暴するから、ホラ!せっかくの食事がぐちゃぐちゃ」

自分の手についたクリームやバターをナプキンで拭う。

「何だよ、ご主人さまって」
「あら、メイドは彼氏をそう呼ぶのよ?知らないの?」

――知らない。というか、何だかおかしいぞ。それに・・・誰がメイドだって?

突っ込みドコロ満載の彼女の台詞に、やや脱力する。

「もうっ、いいでしょ!早く離して」

先刻から、彼女の腕を掴んだままだった。が、力は緩めない。

「痛いってば。酷いわ、ご主人さまのばか」
「――メイドはそんなこと言わないぞ」
「だって、ほんとのメイドじゃないもの」

・・・さっき言ってたことと矛盾している。

ジョーは、また朝からヤヤコシイ事になりそうだぞ・・・とうんざりした。

 

***

 

「じゃあ聞くけど、だったらどうしてこんな格好してるんだ?」
「こんな格好、って・・・」

改めて自分の姿を見て。

「・・・変?」
「変」

即答に、うっと詰まりながらも猫耳嬢はジョーを上目遣いにじいっと見つめた。
蒼い蒼い瞳がまっすぐにジョーを射る。

「・・・ピュンマは可愛いって言ってくれたのに」
「ピュンマ?」

どうしてここにピュンマが出てくるんだ。

「ジョーはどう思うの?」
「どう、って・・・」
「――可愛くない?」
「・・・・」

言葉に詰まった。
可愛いか可愛くないかと問われれば、答えはもちろん「可愛い」である。
が、それを言うと猫耳嬢が喜びそうなので自主規制した。

「もうっ、いい加減に離して」

ジョーの腕から逃れようと身をよじる。けれどもジョーは手を緩めない。

「痛いってば。ジョーのばか」
「なんだよ、ばかって」

朝から穏やかではないフランソワーズの台詞に、徐々に目が覚めてきたジョーは不機嫌さを隠さずに言う。

「大体、朝からなんのつもり」
「何の、って・・・メイドだけど。・・・ジョーの好きな」
「はぁ?」
「だって好きなんでしょ?」
「何が」
「メイドが」
「えっ?」
「あ。動揺した」

じっとりと見つめてくる蒼い瞳。

「――やっぱりね。メイド喫茶で御機嫌だったって聞いたもん。」
「誰に」
「さあ、誰でしょうねっ」

もう、離してよっ、とジョーに掴まれている腕をばたばた振る。が、掴まれた手はびくともしないのだった。

「ともかく。――行ってないよ。メイド喫茶なんか」
「嘘」
「ホントだって」
「じゃあ、メイド居酒屋は?」
「なに?それ」
「ん・・・じゃあ、メイドさんがいるクラブは?」
「・・・行ったことないよ」
「いまちょっと考えたでしょ」
「気のせいだって」
「嘘」
「行ってないよ。そんなトコロなんか」

はっと思った時にはもう遅い。

「そんなトコロなんか、って・・・どうして知ってるの!?そんなトコロ、って」

 

***

 

「そんな事言ってないよ」
「言った」
「言ってない」
「言ったでしょう!?」

見つめている蒼い瞳が怒りで燃えた。

「やっぱり、ジェロニモの言った通りだったわ!!ジョーったら、事もあろうに、蒼い目のメイドさんを膝に抱っこして超御機嫌だった、って!!」
「それはちが」
「ひどいわっ!!私と同じ色の目の女の子を抱っこするなんて!!」
「・・・・・」

ジョーはふうっと息をついた。

「・・・あのさ。怒ってるのは、ソコなわけ?」
「当たり前でしょっ」

メイドさんのいるクラブでお酒を飲んだことではなく――「蒼い目のメイドさんと仲良くした」というコトに怒っているらしい。

「どうしてよりによって蒼い目なのよっ。ジョーは蒼い目なら誰でもいいの?」

――「蒼い目のメイドさんと仲良くした」ことに怒っているのではなく、「蒼い目の」ひとと仲良くしたことが気に入らないようだった。

「誰でもいいわけないだろ?」
「じゃあ、蒼い目はポイントじゃないのね」
「・・・うん」
「じゃあ、やっぱりメイドさんが好きなの?」
「違うよ」
「じゃあ、・・・もー、なんなのっ」

蒼い瞳がゆらりと潤んでゆく。

「も、わけわかんないっ・・・」

とうとう降り出した雨に、ジョーは内心ため息をついた。

いったい今日は何なんだ。朝からずいぶん濃いんだけど?

「――フランソワーズ」
「いやっ」

名前を呼んでも見向きもしない。

「聞いて」
「いやっ、聞きたくないっ」
「でも話すよ?」

ぎゅっと目をつむってイヤイヤをするように首を振るフランソワーズ。ジョーの話など絶対に聞かないという意思表示だった。

「・・・あのさ。まず第一に、僕はそんなトコロには行ってない。だから、その、蒼い目のメイドさんを膝に抱っこなんてことだってしていない」
「嘘よっ」
「何で信じないんだよ?いい加減にしないと、ほんっとうに怒るよ?」
「・・・だって!!」

閉じていた蒼い瞳を開いて、ジョーを睨みつけるように見つめる。目尻に涙を浮かべたまま。

「ジェロニモがそう言ってたんだもんっ!!彼は嘘をつかないヒトなのよっ?だったらジョーが嘘言ってるに決まってるじゃない!」
「――ふーん・・・。俺よりジェロニモを信じるんだ?」

低い低い声で言われ、一瞬、フランソワーズは動きを止めた。

「フランソワーズは俺のいう事なんか何一つ信じないんだ?」
「だ・・・って、ジェロニモは」
嘘をつけないひとなのよ。

「だとしても、俺のいう事も信じようとしないじゃないか」
「・・・だって」
「――わかったよ。いいよ、もう。きみがそう思うなら、そうなんだろ」

その言葉とともに、掴まれていた腕を離される。

「起きるからどいて」

乱暴に押しのけられる。
シーツの上に散乱していた朝食の残骸が、ベッドの下にこぼれてゆく。
フランソワーズを残して、ジョーはベッドから離れた。

 

***

 

「・・・だって」

フランソワーズがしゃくりあげても、ジョーは振り向かない。黙々と着替えを進めてゆく。

「だって、ジェロニモがそう言って・・・だったらフランソワーズもメイドになってみたら、ってピュンマがお洋服を貸してくれて、・・・だから」

ジョーは振り向かない。
そのまま歩を進めて窓際に立ち、大きく伸びをする。
空は快晴だった。

「・・・さてと」

くるりと振り返ると、しくしく泣いているフランソワーズに手を伸ばし、あっという間に肩に担ぎ上げてしまった。

「えっ、なにっ?」

けれども答えない。
そのままずんずんと歩いて部屋を出る。

「ヤダ、ちょっと――降ろしてよっ」

足をじたばたすると、勢いでジョーの頬に膝蹴りがきまった。

「――じっとしてろ」
「だって、も、どこ行くのよっ」

ヤダヤダと大騒ぎするフランソワーズを担いだまま、階段を降りて一階に行き・・・リビングに入った。
そこには、彼の予想通り――ピュンマとジェロニモがいた。
まっすぐに彼らの前へ進む。猫耳メイドを担いだまま。

「あれ、ジョー。今日は早いな。てっきりメイドと仲良くしてるものだと」

にやにやして言うピュンマを冷たい目で一瞥し、低い声で言い放つ。

「――おい。いったいフランソワーズに何を言った?」
「ん?ジョーはメイド姿が好きらしいぞ、って。――な?」

傍らのジェロニモもピュンマの言葉に頷く。

「それから?」
「――メイドがいるクラブでジョーは蒼い目のメイドを抱っこしてた、・・・って」
「なんだってそんな嘘八百を」
「あれ、嘘だったっけ?」
「嘘に決まってるだろう?――行ってないんだから」
「・・・へぇ・・・」

にやにやするピュンマとジェロニモ。
全く反省する様子がないふたりにジョーの怒りは燃え上がった。

「俺はそんなの興味がないし、これから先だって行くつもりは――」
「でもさ。事実だろ?蒼い目のメイドを抱っこしてるっていうのは」
「そんなことしない」
「・・・そうか?」

じっと二組の目がジョーを見つめる。

「現に今、蒼い目のメイドを担いでいるじゃないか」

 

 

***

 

 

「これはっ・・・!フランソワーズがあんまりわからないことを言うからっ」
「――だってさ。フランソワーズ」
「えっ?」

思わず緩めた腕から、するりと猫耳メイドが滑り降りた。
先刻まで涙の雨が降っていたその目は、今や快晴で輝きを増しているのだった。

「うふ。・・・ごめんね、ジョー。こういう格好して起こしに行けば、ジョーはすぐ起きるから、ってピュンマが」
「僕の作戦は完璧だったろ?」

にこにこ笑い合う三人を呆然と見つめる。

なんなんだ、これはっ・・・

「――俺をはめたのか?」
「人聞きの悪いこと言うなよ。そこのメイドさんがあんまり心配しているからさ」
「だって、二人ともメイドさんが可愛かったっていう話をするんだもの」

朝食の席でそういう会話が交わされたようだった。

「だから、アナタもそこに行ったらメイドさんに夢中になっちゃうのかな、って・・・」

でも大丈夫ね?とにっこり笑む蒼い瞳の猫耳メイド。
いやー、良かった良かった、これで安心だねフランソワーズ。とピュンマ。
そして、そのふたりを見守るジェロニモ。

 

「・・・・・」

 

ジョーは猫耳嬢の肩を乱暴に掴んで引き寄せると、有無を言わせず唇を重ねた。

「ん!!ジョー、」

ふたりの目の前で何をするのっ・・・という声は聞こえない。
猫耳嬢の後頭部に手をあて、更に深く。じたばたもがく腕をつかみ、動きを封じる。
しばらくして大人しくなった猫耳メイド越しに、ちらりと目を開けて見遣ると――
ピュンマとジェロニモのふたりが、あまりの光景にただ呆然としているのが見えた。

「・・・っ」

唇を離すと、猫耳嬢は大きく息をついてふらりとよろめいた。
ジョーは彼女の腰に手を回して抱き寄せながら、笑顔で目の前の二人に言った。

「確かに、蒼い目のメイドには興味があるね。夢中になりそうだ」

 

 

***

 

 

目の前で仲間の熱烈ラブシーンを無理矢理見せられたピュンマとジェロニモ。

仲間の目の前で熱い抱擁を受けたフランソワーズ。

しばらくこの三人は目を合わせることも、言葉を交わすこともできず――そそくさと相手を避けるのが精一杯だった。
やっぱり009を怒らせるとただではすまない。

それ以来、無駄な遊びを彼に仕掛けるのは御法度となった。いくらその反応が面白くても。
・・・が、それが守られるのもせいぜい一ヶ月くらいが限度であり、しかも当のジョーもまた同じ手に簡単に引っかかってしまうのだが。