Aひとりじゃ眠れない

 

僕が独りで夜を過ごす事ができなくなったのは、いったいいつ頃からだっただろうか。

幼い頃からだろうか。
それとも――ブラックゴーストに捕まった後からだったろうか。

ともかく、僕は独りで夜を過ごせない。
それは、年を経るとともに段々と悪化していった。

夜を独りで過ごさないためには、誰かと一緒に居ることが必要だった。
そして、その相手は誰でも良かった。

僕は、単純に「誰かにそばに居て欲しい」だけだった。
しかし、成長した男子にとって選択肢は酷く限られていた。
何しろ、男同士で夜を一緒に過ごす――というのは、例えただ単に部屋で飲んでいるだけだとしても、回数が増えるほど奇異の目で見られた。
だから、自然と相手は女の子になった。
しかし、だからといって楽になったわけではなくて、異性は異性で結構面倒だった。
僕は、誰かがそばで眠ってくれるだけで良かったのに、異性が相手の場合は眠りにつく前にしなくてはいけない色々な事が沢山あった。それは、男としては積極的に拒否するものではなかったので、僕は言われるままに相手の希望を満たした。
そして、確かに「そのあと」ならぐっすりと眠ることができたのだから、結果的には良かったのかもしれない。
例えそれが僕にとっては「眠るためにしなければいけないこと」でしかなく、「誰でもいいから一緒に夜を過ごしてもらうために」必要な手段だったとしても。ただのルーティンワークに過ぎなかったとしても。

 

僕は夜が怖い。

真っ黒い闇に独りでいるのには耐えられない。

 

きっと、置き去りにされ捨てられたのは夜だったのだろう。
だから、理由もなく夜が怖くて、独りになるのが嫌で。
誰でもいいから、そばに居て欲しかった。

 

少し大人になってからは、多少はマシになっていた。
漆黒の闇に包まれた真夜中を遣り過ごす方法がわかってきたからかもしれない。

独りになりたくないのなら、眠れないのなら――眠らなければいい。

盛り場をうろつき、悪い仲間と遊んで過ごした。
大量のアルコールや麻薬。色々なものに手を出し、残らず試した。自分の身体がどうかなってしまうかもしれないなんて、どうでも良かった。

僕は誰にも望まれずに生を受けた「要らない子供」なのだから。

望まれてないのに――生まれてしまった。

そんな僕の存在が周りを不幸にしたのだろう。だから、捨てられた。

僕は生まれてきてはいけなかった。

生まれるべきではなかったのだ。

 

 

今でもそれは変わらない。

改造されて、ほんの少しだけマシになった。
常に「仲間」がいるから、孤独な夜を過ごすということもなくなった。
だから、少しだけ――夜の暗さを感じなくてすむ。しかも戦いの最中であれば、眠らなくてもいいのだ。
眠らなくてもいいなんて何て楽なんだろう。僕にとっては、戦いがずっと続いた方がいいのでないだろうか?
どうせこの身体は機械だ。
だったら、上手く活用すればいい。
眠らなくたって、おそらくは生きていける。機能的には何の問題もないはずだ。
戦って戦って戦って――夜の闇に抱かれたままこの世界から消えてしまえばいい。
そう思う事は、自分にとって究極の甘美な夢だった。

僕は望まれずに生を受け、その結果放り出され、独りぼっちで生きてきた。

失うものは何も無い。

欲しいものは決して手に入らない。

だから、望まない。

そんな風に育ってきた僕にとって、大義名分のある死はもってこいだった。「平和を守るために戦って死んだ」という。
いつどこで、野垂れ死にしてもおかしくなかった自分。
それがどうだ。
今では最高の舞台が用意されているのだ。
それを利用しない手はない。

 

 

また――夜がくる。

幾千回も幾億回も繰り返された規則的な夜が、またやってくる。

漆黒の闇に包まれ、ベッドの端に座って僕は待った。
自分が闇に溶ける日を。
消えてしまう日を。

早く――早く、来い。

これ以上、独りで過ごす夜を――いたずらに増やすな。

 

 

***

 

 

***

 

 

「ジョー?」

突然、背後から何かに襲われた。

何か――フランソワーズ。

「どうしたの。電気もつけないで」

僕の背後から首筋に腕を回し、耳元で囁く。

「――別に」
「・・・そう?」

不審げに頷きつつも、僕から離れはしない。電気をつけることも、しない。
黙ったまま、じっとしている。

彼女の鼓動が背中から伝わってくる。

――生きている。

温かい身体。自分と同じように機械が詰まっているとはにわかには信じられない。が、それは確かに事実だった。
彼女の身体も機械でできている。

しかし。

彼女は戦う機械なんかではなかった。

明るい笑顔。
居るだけで、全てのものを幸せにしてしまうような優しい仕草と物言い。
温かい家庭で育ったのであろう無垢で屈託の無い。

「・・・ジョー?」

心配そうな、少し険を含んだような声が耳朶を打つ。
心なしか首筋に回された手に力が入る。
僕と彼女の間に隙間なんかできないくらいにぴったりとくっついて。

「――もう。駄目よ。独りで居るなんて」

僕の耳に頬を摺り寄せる。

「言ったでしょう?先に寝ちゃ嫌よ、って。電気が消えているから寝ちゃったのかと思ったわ」

軽く鼻を鳴らす。甘えるように。

「一緒に居るの、メンドクサイ?」
「そんな事ないよ」

「・・・ジョーの好きにしていいのよ?」

彼女はいつも言う。
僕が以前、ルーティンワークとしか思っておらず、ただ「一緒に居てもらうため」だけにしていた事など――してもしなくても、どちらでもいいのだと。
したから一緒に居てあげるわけではないし、しなかったからといって去ったりもしない。自分は自分の意志でここに居るのだと繰り返す。
誰に頼まれたのでもない。例え僕が嫌だといっても、自分はここから簡単に去ったりはしないと。

どうしてそう言えるのだろう?

僕と一緒に居るのが、どうやら苦ではないらしい彼女が不思議だった。

「・・・ジョーが好きだからに決まってるでしょ?」

まるで僕の心のなかを読んだかのように、彼女が言う。
これもいつもの事だった。

「私が、ジョーのそばに居たいの。独りで居るのが嫌なの」

夜が怖いから。
改造された日のことを思い出してしまうから――

僕と彼女は「改造された者同士」という共通点があった。だから、その痛みを分かち合うのは簡単な事だった。
彼女にとってそれは――僕ではなくても良かっただろう。
なのに、他の奴ではなく彼女は僕のそばに居る。

 

望んでもいいのだろうか?

 

欲しがってもいいのだろうか?

 

そばに居て欲しいと。

独りにしないでくれと、すがっても――いいのだろうか?

 

いま一度拒否されたら、僕の世界は崩壊する。
だから、――怖くて訊けない。
今までみたいに、望んでもやっぱり手に入らなかったら?
少しでも期待した分だけ、絶望は大きくなる。
そんな危険な賭けをしても――いいのだろうか?

――そうだ。もしかしたら、彼女は僕だけにそう言っているのではないのかもしれない。僕が知らないだけで。
他の奴にも、同じように――優しく肩を抱いて、囁くのかもしれない。

僕にだけそう言うのだという証拠はどこにもない。

信じていいのだろうか?

今まで、信じては裏切られてきた僕は――強がりの裏側に臆病な自分を隠してきた。何しろそれはとても脆くて、さらけ出したら最後、簡単に壊れてしまうのだから。

ほんのちょっとの言い訳でも。

ほんのちょっとの不信感でも。

ほんのちょっとの――仕草でも。

だから――怖い。

 

 

「――ジョー?聞こえてる?――寝ちゃったの?」

軽く背筋を伸ばし、僕の顔を覗き込む。

「ヤダもう。どうしてニヤニヤしているの?」

ニヤニヤ?

そんな顔――してないぞ。

「ずるいわ。私にだけ告白させて、自分は黙っているつもりね?」

するりと解かれそうな彼女の腕を掴む。
そしてそのまま――背中にいた彼女を自分の膝の上に抱き寄せる。

「ホラ、また。・・・どうして笑ってるの?」

おでことおでこをくっつける。
こうしていると――安心するのは何故なんだろう?

「ジョーったら」

 

僕のそばには彼女が居る。
夜が幾千回、幾億回繰り返してもいなくなったりはしないと信じることができる彼女が。

望んでも得られなかったものが手に入った時――諦めていた事が現実になった時。
ひとは一体どうするのだろう?
失うかもしれないのに、不安にならないのだろうか?
安穏と信じているだけで――いいのだろうか?

 

僕はただ彼女の声を聞いていた。
耳に心地よいそれは、僕の心も身体もふんわりと包み込む。

 

――信じているだけでいいのかもしれない。

ただ、信じるだけで。

もう闇の中で独りになることはないのだと。

 

「・・・ひとりにしないでね?」

不安そうな声が響く。

「私はひとりじゃ眠れないんだから――知ってるでしょう?」

 

知ってるよ。