「あれっ・・・何だコレ」 洗面所で顔を洗ったジェットは、その隅に輝るものを見つけ手に取った。 「・・・フランソワーズの、かな」 微かに首を傾げ、それでもそれを手にとり「しょーがねーな。大事なモンだろーよ。置きっ放しにして後で泣いても知らねーぞ」などなど言いながら、彼女が居ると思しきリビングに向かった。 が、彼女の姿は見えなかった。 「あれ?」 代わりに、漫然と雑誌をめくっているジョーの姿が目に入った。 「ま、奴でもいいか」 小さく頷くと彼のそばに歩いて行き、彼に向かって手を伸ばした。 「おい、コレ」 唐突なジェットの行動に不審なマナザシを向けたものの、流れで差し出されたものを受け取ってしまう。 「フランソワーズのだろ。洗面所に置きっ放しになってたぞ」 ジェットは満足そうに頷くと、そのままジョーをひとり残して出て行った。ジョーの態度の曖昧さには全く気付かずに。
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夕食後。 いつもより無口なジョーに気付いたフランソワーズは、後片付けをジェットに任せるという暴挙に出てジョーを追いかけ彼の部屋に向かった。 「ジョー?入るわよ?」 ノックとともにドアから体を滑り込ませる。 「・・・ジョー?」 彼女の声にも反応しない。 「・・・どうしたの?夕ごはんの間、ずっと変だったケド」 しばしの沈黙のあと、ジョーは体の向きを変えてフランソワーズと対峙した。正面から。 「――フランソワーズ。何か僕に隠してること、無い?」 そう言われたので、ゆっくり考えてみた。が、やはりジョーに隠し事なんて身に覚えがないのだった。 「やっぱり無いわ」 一瞬、彼の瞳が翳ったことに――フランソワーズは気付かなかった。 「じゃあ、コレは誰からもらったものなんだい?」 フランソワーズは自分の右手を見つめた。そこに嵌っていたはずだというように。 「ヤダ、どこに忘れたかと思ってたのよ。どこにあったの?」 ぽんと両手を合わせる。 「昨日、手を洗う時に外して、そのまま忘れちゃったんだわ。でも、見つかって良かった。――ありがとう」 手を伸ばすが、ジョーにかわされる。 「ジョー?どうし」 やっと、ジョーが何を言っているのか理解した。 「自分で買ったんじゃないよね?」 ジョーの執拗な尋問に段々声が小さくなってゆく。 「さんにん、だけど・・・」 不穏な気配の声音にやっと気付き、思わず彼の顔を見つめる。 「ジョー?」 『公演成功の記念に』と、言ったはずだった。通常なら、そんな「記念の品」をどうこうするような彼ではない。 「ジョー?」 くす。っと笑って、ジョーは徐々に指に力をこめていった。フランソワーズの返事を待たずに。 「要らないよね?」 目の前で徐々に楕円に形を変えてゆく真円の指輪。 ――しかし。 「そんなに欲しいなら、僕が――新しいのを買うよ」 ジョー。 彼が「買うよ」と言った瞬間――指輪はぐにゃりと潰れ、ただのオブジェに姿を変えた。 「あ・・・」 あっけらかんと言い放つジョーの顔が怖くて見られない。 「――僕に黙って他の男からもらったものを身につけるなんて、いい度胸してるね?フランソワーズ」 今まで、彼の嫉妬の矛先が自分に向いたことはなかった。いつもは彼女をとりまく周囲のものへ向けられていて―― ――ジョーは、本気だ。 本気で怒ってる。 「僕があげたものはすぐ外してしまうくせにね」 大事にし過ぎて、普段つけられないのだ――と、言いたいけれど、もつれてうまく言葉にならない。 「いくつも持ってたよね?あれ、どこへやったんだい?」 もったいなくて。 「――上手く言い訳出来たら、許してあげるよフランソワーズ」 そんなもの、必要ないのだ。 ――考えなくちゃ。 今は、何をどう言ったところでジョーの怒りが解けるとは到底思えない。 どう言えばわかってもらえる? 彼がここまで怒っているその理由は、自分が他人からもらったものを彼に内緒で身につけていたことに他ならない。 ――まともに答えても、受け容れてはもらえない。だったら―― ジョーに負けじとまなじりを決し、彼の瞳を正面から見据える。 「それはジョーも同じでしょう?」 一瞬、虚を突かれたように揺れる瞳。その瞬間をフランソワーズは逃さなかった。 「おそろいで買った指輪、今まで一度だってしてくれたことある?」 ないのだった。 「ジョーの方こそ、失くしちゃったんじゃないの?それとも、――私とおそろいでつけるのが、そんなに嫌?」 ジョーへの反撃のはずだったのに、言っているうちになんだかとてつもなく悲しくなってきた。 「嫌なら、ちゃんとそう言って!無理しておそろいで買ってもらっても全然嬉しくない」 不覚にも、涙が滲んできてしまった。 「ジョーに、私がする指輪のことをとやかく言う権利はないわ。私は私のつけたいものを身につける。だって、ジョーは」 そんな事はずうっと前からわかっていた。 「自分はつけてくれないのに、私が他のひととお揃いで身につけると怒るのって変よ。――ずるいわ」 構わず、ジョーはフランソワーズの二の腕に両手をかけた。逃げないように、がっしりと。 「――忘れてない?」 涙で濡れた視界の彼は――先刻とは違う表情で、優しく言うのだった。 「前にちゃんと見せただろう?」 言って、自分の胸元に指を入れて取り出したのは細い鎖。 「忘れてただろ?――ったく。僕がおそろいの指輪をつけるのが嫌だなんていつ言った?言った覚えないのに」 「――だって。・・・だから。私がつけないのは」 とうとう涙が粒になって瞳から零れ落ち、頬を伝った。 「失くしたら困るから。前に失くしちゃって、悲しかったから、だから――」 「でもそれは――他の男からもらったものをつける事の理由にはならないよね?」 再び硬質な声で言われる。 「もうっ・・・どうしてわからないのよ。そんなの、――失くしても平気だからに決まってるでしょ!?」
「・・・何だそれ。きみって酷い女だなぁ」 「――落ち着かないんだ?」 きみを独り占めしたいからに決まってるだろ?
***
意外にも、ジョーは独占欲が強い――と、初めて知った夜だった。 ――覚えている限りは、だけどね。
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