「失いたくない」
〜本人よりも心配性〜

 

「大事なひとを失うかもしれない」


雑踏を歩いていたとき、突然耳に飛び込んできた言葉。
ジョーは周囲を見回したけれど、誰も彼に気を留めてなどいない。たまたま聞こえてきた誰かの会話の断片なのだろう。
しかし、それは天啓のようにジョーの心に突き刺さった。


大事なひとを失う。


ずっと以前は、大事に思うひとなどひとりもいなかったし、自分自身さえも大事になぞ思ってもいなかった。

しかし。

今は、ざっと考えただけでも大事なひとはたくさんいて――その誰をも失いたくはなかった。
サイボーグ戦士たち。ギルモア博士。
自分の仕事関係のひとたち。
近所の商店街のひとびと。
自分と関わったひとたち――全て。

自分のなかにこんなにも博愛精神があったのかと思うくらい、誰ひとりとして失いたくはなかった。


「・・・矛盾してるよな」


自嘲気味に言って、ジョーは踵を返した。


ふらりと外に出てきたのだ。誰にも何も言わず、全てに背を向けて。
信頼で結ばれたひとびとは、大事なひとたちに違いなかったけれど、時にはその「信頼」が重くて鬱陶しく思えてしまうことも事実だった。
だから時々、その鎖を断ち切ってみたくなることがある。

それは孤独に慣れていた自分を懐かしく思うためだろうか。

それとも別の理由があるのだろうか。


ともかく今、ひとりでいることを選んだのは自分自身であった。にもかかわらず、ジョーの心は波立った。


大事なひとを失うかもしれない。


その言葉は、おそらく誰かが何の気なしに言ったものだっただろう。
しかしそれは、ジョーの心の最奥に深く突き刺さったのだった。

大事なひとはたくさんいる。その誰をも失いたくはない。
ただ、そのなかの「特に」失いたくはないと願うひとは――

「――フランソワーズ」


自分は彼女にも背を向けて出てきてしまった。
守りたいくせに彼女を置いて。失くしたくないくせにひとりにして。

全く、矛盾していた。


もしも今この瞬間に彼女に何かが起こっていたらどうする?


そう思った瞬間、ジョーは早足から駆け足になって――加速装置を噛んでいた。


――絶対、駄目だ。
僕のフランソワーズに何かあったら、僕は・・・

 

 

 

 

「あら、ジョー。お帰りなさい。ゆうごはんに間に合うなんて凄いわ」


鼻が利くのねところころ笑ってひとを犬呼ばわりする恋人。

「いつもなら、あと何日か帰って来ないでしょう?珍しいのね」

ジョーは無言でキッチンを覗いていた。

「ね。そうして隠れてないでこっちに来て手伝ってくれないかしら。手が足りないの」

しかしジョーは動く様子もなく、陰からこちらを見ているばかり。彼の顔は片目しか見えなかった。

「ジョー?なあに、そのかくれんぼするような格好――いやんっ」

つかつか歩いて近寄ったフランソワーズは、ジョーの姿を目の当たりにして顔を紅くした。

「もうっ、どうして裸なのよ」
「気付いたらこうなっていた」
「気付いたら、って――加速したんでしょう?もう・・・防護服はどうしたの」
「忘れた」
「ともかく早く部屋に戻って着替えてきたら?みんなが見たらなんていうかしら」
「――うん。そうするよ」

ジョーは素直にキッチンを後にした。
真っ先にフランソワーズの無事を確かめたかったから直行した――とは、言い出せなかった。
きっと、ジョーったら心配性ねと笑うに決まっている。私に何か起こるなんて心配したらきりがないでしょうと。

でも。

――フランソワーズだから心配なんだ。だって、君は僕にとって、

 

「でも良かったわ。今朝の星占いで変なことを言っていたの。大事なひとを失うかもしれない、って」


振り返った先のフランソワーズは、エプロンの端をぎゅっと握り締めていた。

「――変よね。大事なひとなんてたくさんいるはずなのに、ジョーのことしか思い浮かばなかったなんて」

泣き笑いのような顔。

「だから、帰ってきて無事な姿を見せて、ってずっと思っていたの。・・・心配していたのよ?」

そうしたら帰って来てくれたから、以心伝心ね――と健気に笑ってみせたフランソワーズをジョーは思い切り抱き締めていた。


失いたくはない大事なひとだから。

 

 

 

 

注:でもジョーは今全裸なんですよ――と台無しなセリフを言ってみたりする