「眠り姫」

 

 

お互いに見たい映画を借りてきて、それを片っ端から見ていた・・・の、だけど。
僕の選んだ「ウォール街」は女の子にはちょっと難しかったのかもしれない。
ともかく、見終わって大きく息をついた時に気がついたのだ。
左腕から肩にかけてが妙に重いことに。

「・・・・・」

確か左側にはスリーがいたはず・・・なのだけど。
首を伸ばしてそうっと覗き込むと、スリーは僕の左腕に身体をもたせかけて目を閉じていた。

――眠ってる?

規則正しい呼吸。
何の警戒心もなさそうな、可愛い寝顔。

――睫毛が長いな。・・・こんなに長かったっけ?
ああ、唇も紅い。口紅なんて、塗ってない――はずなのに。

桃色の頬が柔らかそうで、いつも彼女が頬を膨らませた時には平気で指でつつくのに、なぜか今はそれができない。なんだか勝手に触れてはいけないような気がするのだ。

それはともかく。

困った。

これでは身動きができない。動きを完全に封じられている。

「・・・・・・」

とっくに終わっている映画。でもそのディスクを引き出すこともできない。
だって、動いたら――起こしてしまうではないか。
こんなに気持ちよさそうに眠っているのに。

僕にもたれて。

 

 

  

 

 

結局、僕はもう一度最初から「ウォール街」を観た。たった今、観終わったばかりの。
何しろ、僕の動ける範囲にあるものはリモコンしかなかったのだ。

とはいえ、二度目の映画よりも――自分の左側に意識が集中してしまうのは仕方のないことだったと思う。
その温かさと重さが照れくさくて嬉しくて。

ずうっと起きなければいいのに――と、思った。

でも。

もしかしたら、・・・あるいは。

童話の「眠り姫」のように、キスできみは起きるのかもしれない。

試してみてもよかったのだろうけれど。

それより、寝顔を見ているほうが僕は嬉しかったのだ。
なんとも意気地のない話かもしれないけれど。

 

 

「夢?」

 

 

ひどいわ、ナインったら!

私は思い返すたびに沸き上がる羞恥に押し潰されそうだった。
ううん、いっそ押し潰されてしまった方が楽かもしれない。思い出さなくてすむから。

 

  

 

昨日は私のお誕生日だった。
清水の舞台からバンジージャンプを命綱無しでするような決死の覚悟で言った「ナインを独り占めしたいの」。
ナインはちょっと驚いて、でも優しく笑って「僕もだよ」と言ってくれた。
そして、本当に二人だけで過ごした時間は夢みたいで幸せだった。

あの時までは。

・・・ああもう。今、思い出しても顔から火が出そう。

映画を観ながら寝ちゃうなんて。

確かに、難しくてよくわからない映画だった。
ナインが隣で説明してくれていたけど、それでもよくわからなかった。
だって、難しい説明を苦もなくさらりと出来てしまうナインは凄く素敵で・・・その声に聞き惚れてしまっていたから、内容なんて頭に入ってこなかった。
隣で声を聞いているだけでドキドキした。

だから、ドキドキしていたくせに寝てしまった自分がわからない。

ナインのそばで安心したのかな。

だけど。

彼にもたれて眠っていたのも問題だけど、ちっとも起こしてくれなかったナインもひどい。

なにしろ・・・

もたれていたナインの肩から体がずるずる滑って、私はナインの膝まくらで寝ていたのだから。
しかもナインは私を起こそうともしないで、そのまま、じーっとしてたというのだ。
同じ映画をもう一回観終わったところで、私が目を覚ましたと言っていた。

どうして起こしてくれなかったのかしら。

でもナインは微笑みながら、「構わないよ。退屈しなかったし」と言ってくれた。
同じ映画を二回観ることになったのに。
本当は、迷惑だったのに違いないのに、ナインは優しかった。

 

ただ、目を覚ました時に髪を撫でられていたような気がするのは・・・やっぱり気のせいよね?

きっと夢よね?

 

ナインの手の温かさも。

 

全部、夢。

 

目を開けたらすぐそこにナインの顔があったのも。

 

きっと、夢。

 

 

「眠り姫の起こし方」

 

 

手を伸ばし、リモコンをつかんで再生ボタンを押す。
再び映画が始まったのを確認して、僕は大きく息を吐き出した。
そうして、そうっとソファに背中を預けた。

その時の僕といえば、今思うとかなり油断していたのだろうと思う。
身体を動かさず、なおかつ左側を気にしながらリモコンをつかみ再生ボタンを押す・・・といういっけん簡単そうな行動をきちんと思惑通りにこなした直後だったから。

一瞬の、隙。

ソファにもたれた途端、僕の左腕にもたれていた温かくて柔らかいものは、そのまま僕の膝の上に横たわった。

 

――え。

なんで。

 

乱れた亜麻色の髪が膝の上に広がっている。
それを無意識に整えながら、僕はそうっとスリーの顔を覗いてみた。
今の一連の衝撃で起きてくれていたらいいなと思いながら。

しかし、願いは聞き届けられなかった。
スリーの瞼はぴったりと閉じられたままだった。
そして紅い唇はほんの少し開かれていて――

 

・・・・・。

 

僕は電流に触れたみたいにスリーの髪から手を離し、ついでに背筋もぴんと伸ばした。

スリーの顔を見てはいけない。
それは、見てはいけないものなのだ。

 

――でも。

 

どうしてこんなに無防備になれるんだろう?

そうっと――もう一回、覗き込んでみる。

 

やっぱり、可愛い。

この睫毛の奥には、僕の好きな蒼い瞳が隠されている。
そして、この鼻。可愛くて食べてしまいたい――頬も、柔らかくて、僕はこれをつつくのが好きだ。
時には可愛くない事を言う唇だって・・・

 

いや、ダメだ。

 

こんなに――見ていてはいけない。
そう、僕は映画を観なくては。

画面に目を移すものの、いまいったいどこの何を映しているのかさっぱりわからなかった。
そんなものより、いま僕が見ていたいのは――

気がつくと、亜麻色の髪を指に絡めていた。
さらさらと指から流れる髪が心地よくて、絡めては解き、絡めては解き。

 

・・・どうして眠ってるんだろう。
起きて、何か話してくれたらいいのに。

 

――起きろよ。

 

それとも、僕が起こすのを待っているのかい?

だったら、僕は――

 

いま一度、そうっとスリーの顔を覗きこむ。
可愛い可愛い、スリー。
きみは自分がいまどういう状況かわかっているのだろうか?

 

――眠り姫はどうやって目覚めたのか知ってるかい?

 

僕はそのままスリーの顔に顔を近づけ――

 

あと少し、というところで蒼い瞳に迎えられた。

 

「――う・わっ」

 

 

 

 

 

・・・惜しかった。