「3月3日は・・・」
セブンと一緒に五目ちらしの準備をしているところにナインがやって来た。 「『桃の節句』というのしか知らなかったよ」 つまみ食いをしようとする手をピシャリと叩く。 「駄目よ。後でみんなで頂くんだから」 今日はナインの言う通り「桃の節句」。つまりお雛祭り。お昼に博士とセブンと、そしてナインも呼んでみんなで甘酒と五目ちらし寿司とそれから・・・つまり、「みんなでお昼ごはん」を食べる予定になっていた。 「耳の日、ってことは君の日でもあるわけだよ、スリー。ほら、ちょうど君のナンバーが2つもある」 セブンの声には耳を貸さずに続ける。 「まさに今日は『君の日』だね。フランソワーズ」 ナインが『耳の日』について延々と講義をしてくれていたせいか、その日、せっかく出来上がった五目ちらしを食べる機会は訪れなかった。 何故なら、事件が起きたからだった。 幸い、誰も怪我をすることもなく無事に帰って来たのだけど。 ナインとセブンを探すのに目と耳の両方をフル稼働させていた私は、立っているのもやっとの状態だった。 「大丈夫か?」 よろけたところをナインが支えてくれる。 「ありがとう。・・・ちょっと疲れたわ。ごめんなさい、先に休むわね」 君はいつも無理ばっかりする。それに我慢もしすぎだ。女の子なんだから、もっとおとなしくしていればいいのに僕が何度言ってもきかないんだからな・・・・・ 部屋まで肩を貸してくれながらも、延々と説教をするナイン。 どうにか部屋に辿りつき、ドアを開けた途端に目の前が真っ暗になった。世界が揺れる。 そうっとベッドに腰かける。 「――そうだわ。五目ちらし」 上掛けの縁からナインを見つめ・・・涙が滲んできてしまった。 「――ごめんなさい」 身体を起こして受け取り、開けてみた。 「ピアスしかなかったのに」 「本当は今日、それを渡すために来たんだ」 ――今日が『耳の日』っていうの、最初から知ってたのね。だから、予定よりも早くやって来て・・・ 「ありがとう。嬉しい・・・」 満足そうに、オヤスミと言って出て行こうとするナインの赤いマフラーが翻る。 困ったな、それを聞くの?と、頭を掻きながらためらうこと数秒。 『まったく、君もしつこいね。いったいどうしてそんなに熱心にやって来るんだい?』 結局、五目ちらしは全てセブンが食べてしまっていた。 というのは、博士から聞いた話。 数日後、博士から最終チェックを受けて私は元通りになった。 あの日以来、ナインは姿を見せない。 私は鏡の前でイヤリングをつけてみた。そして、鏡の中の自分に微笑んでみる。 『僕の大事な女の子に渡したいから――って言ったんだよ』 彼の言う「大事な女の子」というのが「003である私」が仲間として大事。という意味なのはわかってる。 でも――それでいいわよね? イヤリングをつけた自分が鏡の向こうから微笑み返していた。
「ふーん。今日は『耳の日』なんだ。知ってた?」
リビングでひとりテレビを見ているのにも飽きたらしい。
けれどもナインはどういう訳か、お昼にはまだ随分と早い時間にやって来たのだった。
まだ全然、準備もできていないのに。
「アニキ。せっかく早く来たんだから手伝ってよ」
視界がぼやけて焦点が合わない。
「全く。無茶するからだ」
その声が遠く近く聞こえる。
どうやら聴覚も限界に近いらしい。めまいもひどい。
「フランソワーズ!」
すぐに力強い腕に抱きとめられた。
「・・・ごめんなさい」
うっすらと、視界に色彩が戻ってくる。
「やっぱり、アナタの言う通り、少し無理しちゃったのかも」
ナインは私の両肩に手をかけたまま、じっと顔を覗き込んでいる。
「・・・そうだよ。君は頑張りすぎる。女の子なんだから、もっと僕に――僕たちに頼ってくれていいんだ」
怒っているような、それでいて泣いているみたいなナインの顔。
ごめんなさい。心配かけてるわね私。
再び襲ってくるめまいにぎゅっと目を瞑る。
「・・・大丈夫かい?」
「――ええ」
ゆっくりと目を開く。
心配そうなナインの顔が見える。
「え?」
「せっかく作ったのに」
結局、長時間放置されたままになってしまった。
「大丈夫。あとでちゃんと食べるよ」
「え!?駄目よ、時間が経ちすぎているわ。悪くなってるのに決まってる」
「平気だよ。僕を誰だと思ってるんだい?」
「だけど・・・」
「いいから。ホラ、あとのことは心配しないで早く寝た寝た」
テキパキとベッドに寝かしつけられてしまう。
本当に私ったら、ナインの言う通りかもしれない。頑張り過ぎて、無茶をして、みんなに心配をかけている。
ナインは身体をかがめて、そうっと私の髪を撫でてくれた。
「次からはもっと僕に頼れ。いいな?」
「・・・ハイ」
小さく頷いた私に、ヨシ、と頷くと
「あ。そうだ」
と言って、防護服のポケットをさぐっている。あちこち探してやっと取り出したのは小さな包み。
「――コレ」
「え?」
そっぽ向いたまま、ぶっきらぼうに目の前に差し出してくる。
「私に?」
「うん」
何だろう?
手のひらに出てきたのは小さなイヤリング。
「ジョー、これって」
確か、ずうっと前にドライブした時、偶然立ち寄った店で見つけたもの。だけど、そこにはピアスしかなくて、ピアスをしない私は諦めるしかなかった。でも、とっても綺麗で目を奪われてしまって、名残惜しくてずっと見てた。
だけど、そんな事があったのもすっかり忘れてしまっていたのに。
「あのあと行って、イヤリングに加工してもらったんだ」
かすかに頬を染めて、私とは目を合わせずあさっての方向を見ながら言う。
「――大変だったんだぞ。職人気質のオヤジが出てきてさ、俺はピアスしか作らないって言うから。何回行っても駄目で、事情を話してやっと口説き落としたんだ」
「事情?」
それには答えず、ちらりと一瞬こちらを見る。
「そうなの?」
「うん。何しろ今日は『君の日』だからね」
「だから、ゆっくり休んで、元気になったらそれをつけて出かけよう」
「うん。早く良くならなくちゃ」
「あ、待って」
思わずマフラーの先を握り締めていた。
「わっ。――何?」
「うん・・・ねぇ、『事情』って」
「え・・・」
じっと見つめ続ける私に根負けしたのか、やや早口で言って逃げるように部屋から出て行ってしまった。
『実は、以前ここに来た時にこのピアスをとても気に入った子がいて、だけど彼女はイヤリングしかつけないから』
『そんなもの、ピアスの穴を開ければすむことじゃないか。みんなそうしとるぞ』
『彼女の身体に傷をつけたくないんです――もう、これ以上は』
『――ふむ。なにかわけがありそうだな』
『ともかく、僕は彼女にこれをプレゼントしたいんです』
『その子は君の恋人なのかな』
『違います』
『だったら別にこれじゃなくても、どこか他の場所で見繕って買ったらいい』
『恋人なんかじゃなくて・・・もっと、大事な子なんです。――僕の何よりも』
リビングに戻ったナインはそれを見て、セブンと一触即発の事態だったらしい。
でも、ただ照れているだけって私にはちゃんとわかっている。
きっと、あと数日も経てば、何事もなかったように「やあ」ってやって来るのに違いない。
彼のなかで、私が大事に思われていることに違いはないのだから。