「3月9日だから」
今日のフランソワーズはいつもと違う。 *** 「ジョー、どうしたの?」 それはきみのせいだろう? 「変なの」 くすくす笑う。が、僕としては非常に不本意だった。 隣にぴったりくっつくようにしてフランソワーズが座っている。それはいい。いつものことだ。 「はい、あーん」 って、おいおい。僕は自分で食事くらいできる。 「ジョー。口あけて」 聞く耳持たないとはこのことだろうか。 明らかにいつもと違う。 「ジョー?」 困ったように眉根を寄せるので、僕はしぶしぶ口を開いた。 「美味しい?」 もちろん不味いわけがないから、僕は非常に不本意ながらフランソワーズに食べさせられるに任せた。 それにしても今日はなんだかずっと彼女に押されっぱなしのような気がする。 朝、いつものようにギルモア邸に行こうとしたら、フランソワーズが僕の部屋にやって来た。 それに、……明らかに泊まる用意をしてきている。 そして朝から僕のそばにぴったりくっついて離れない。 なんなんだ、一体。 どこへ行くでもない、ただ二人でこうしてくっついて過ごしていたいのだという。 「ジョー。どうかした?」 どうして今日はそうしたいのか、そのわけを知りたい。が。 だから僕はただ黙ってフランソワーズの姿を愛でることにした。 *** 翌日。 「じゃあ、ジョー。またね」 「えっ?……う、うん……?」 僕は慌てて後を追ったけれど、部屋を飛び出しても既にエレベーターは下がっておりフランソワーズの姿はない。ならばと階段でエントランスまで降りた――が、フランソワーズは通りでタクシーを止めていた。 それはそうだろう。と、ぼんやり思った。 何しろギルモア邸では博士とセブンが待っているのだ。たぶん。お腹を空かせて(?) 僕は妙にがらんとした部屋でひとり朝食をつついた。 そもそも昨日(と昨夜)、いったい彼女はどうしたのかと疑問に思うところではあった(そしてその謎は解明されていない)。 あったのだけど。 うん。 きっとそうだ。 *** 「あら、ジョー。どうしたの?」 朝食に添えられていたのは緑茶だったのだ。 「だから飲みに来た」 何か言いたそうなフランソワーズだったけれど、僕は有無を言わせずそのまま歩み寄った。 「それに」 そしてそのままぎゅうっと抱き締めた。 だって今日は朝起きてから一度もこうしてぎゅってしてないんだ。 「ジョー?」 大体だな、さっさと帰ってしまうからこういうことになる。昨日はあれほど熱烈だったくせに今日はあっさりって、それは作戦か何かなのか? そうなのか?
僕は確かに朝からそう思っていたんだ。
そしてそれは正しかった。
今日のフランソワーズは、いつもとは違う。
まっすぐ碧い瞳が僕を射る。
「え?」
「なんだか今日は落ち着かないのね?」
「そ――」
何故って、――明らかにおかしいだろ、これ。
しかし、いつもとは違う点がひとつある。
それはいま、昼ごはんの最中だということだ。非常に食べにくいし、何ゆえこうしてくっついて食事をしなければならないのかわからない。
しかも、
「……フランソワーズ。僕は自分で」
「はい、あーん」
「……」
僕が何を言っても、フランソワーズはにっこり笑って聞き流すのだ。
そこへフランソワーズがスプーンを滑り込ませる。
「うん……」
それで彼女の機嫌がいいなら――まぁ、それでいい。
こんなことは一年のうちにそうそうあるもんじゃない。
もちろん、それはイヤではなくむしろ嬉しいことなのだが。
もちろん、それだってイヤではなくむしろ嬉しいのではあるけれども。
――まぁ、それは悪くはないけどな。
「ん?……いや、別に」
「そう?」
くっついていたいという恋人にその理由を問うのは不粋というものではなかろうか。
いずれにせよ、視界に彼女がいるというのは――それだけで楽しくて嬉しくて、落ち着くのだから。
ぽかんとする僕をよそに、フランソワーズは荷物をまとめると軽く手をあげ帰って行った。
……。
いや、ちょっと待て。
いくらなんでも車で送るくらいする、って――
なんてタイミングの良い――って、あれは迎えの車じゃないか!既に待機させていたとは用意周到な。
……。
…………。
僕は降りたついでに新聞を取り出すとそのままエレベーターに乗った。
……なんというか、……ウン……
部屋に戻ると、妙に広く見えた。
テーブルには朝食が準備されていた。ひとりぶん。つまり彼女は朝食を食べて行くつもりはなかった、ということだ。
だからこんな朝早くに帰って行ったわけで……
……。
ま、いいや。
とりあえず食べよう。
――それにしても……あんな熱い夜を過ごした翌日だというのに、ずいぶんあっさりしてないだろうか。
しかも昨日、あれほどくっついていたのに。
いや、別にそれがよかったというわけではないぞ。なにしろ食べにくかったし、そう、なにかにつけくっつかれたからメンドクサイといえばめんどくさかったし、邪魔といえば邪魔だったし、暑苦しいといえば暑苦しかった。
うん。それがナイというのは別にいつもの姿に戻っただけの話で、要は昨日だけが異常事態だったのだし。
妙に寒いのは何故だろう。
……たぶん、今日は曇っていて気温が低いせいだろう。春にしては。
僕はひとつ頷くと、朝食をたいらげた。
僕がギルモア邸のリビングに行くとフランソワーズが驚いたように言った。
「フランソワーズ。きみ、コーヒーを淹れていかなかっただろ」
そう。
僕が毎朝コーヒーを飲むというのは知っているはずなのに。わざとか?
たぶん、博士やセブンもいただろう――けど関係無い。
そんなの、我慢できるわけないだろう!
だとしたら。
「……フランソワーズ」
だとしたら。
「………勝手に帰るな、全く」
僕の敗北は確実だった。