「3月9日だから」

 

 

今日のフランソワーズはいつもと違う。


僕は確かに朝からそう思っていたんだ。
そしてそれは正しかった。


今日のフランソワーズは、いつもとは違う。

 

 

***

 

 

「ジョー、どうしたの?」


まっすぐ碧い瞳が僕を射る。


「え?」
「なんだか今日は落ち着かないのね?」
「そ――」

それはきみのせいだろう?

「変なの」

くすくす笑う。が、僕としては非常に不本意だった。
何故って、――明らかにおかしいだろ、これ。

隣にぴったりくっつくようにしてフランソワーズが座っている。それはいい。いつものことだ。
しかし、いつもとは違う点がひとつある。
それはいま、昼ごはんの最中だということだ。非常に食べにくいし、何ゆえこうしてくっついて食事をしなければならないのかわからない。
しかも、

「はい、あーん」

って、おいおい。僕は自分で食事くらいできる。

「ジョー。口あけて」
「……フランソワーズ。僕は自分で」
「はい、あーん」
「……」

聞く耳持たないとはこのことだろうか。
僕が何を言っても、フランソワーズはにっこり笑って聞き流すのだ。

明らかにいつもと違う。

「ジョー?」

困ったように眉根を寄せるので、僕はしぶしぶ口を開いた。
そこへフランソワーズがスプーンを滑り込ませる。

「美味しい?」
「うん……」

もちろん不味いわけがないから、僕は非常に不本意ながらフランソワーズに食べさせられるに任せた。
それで彼女の機嫌がいいなら――まぁ、それでいい。

それにしても今日はなんだかずっと彼女に押されっぱなしのような気がする。

朝、いつものようにギルモア邸に行こうとしたら、フランソワーズが僕の部屋にやって来た。
こんなことは一年のうちにそうそうあるもんじゃない。

それに、……明らかに泊まる用意をしてきている。
もちろん、それはイヤではなくむしろ嬉しいことなのだが。

そして朝から僕のそばにぴったりくっついて離れない。
もちろん、それだってイヤではなくむしろ嬉しいのではあるけれども。

なんなんだ、一体。

どこへ行くでもない、ただ二人でこうしてくっついて過ごしていたいのだという。
――まぁ、それは悪くはないけどな。

「ジョー。どうかした?」
「ん?……いや、別に」
「そう?」

どうして今日はそうしたいのか、そのわけを知りたい。が。
くっついていたいという恋人にその理由を問うのは不粋というものではなかろうか。

だから僕はただ黙ってフランソワーズの姿を愛でることにした。
いずれにせよ、視界に彼女がいるというのは――それだけで楽しくて嬉しくて、落ち着くのだから。

 

 

***

 

 

翌日。

 

「じゃあ、ジョー。またね」

「えっ?……う、うん……?」


ぽかんとする僕をよそに、フランソワーズは荷物をまとめると軽く手をあげ帰って行った。


……。


いや、ちょっと待て。
いくらなんでも車で送るくらいする、って――

僕は慌てて後を追ったけれど、部屋を飛び出しても既にエレベーターは下がっておりフランソワーズの姿はない。ならばと階段でエントランスまで降りた――が、フランソワーズは通りでタクシーを止めていた。
なんてタイミングの良い――って、あれは迎えの車じゃないか!既に待機させていたとは用意周到な。


……。


…………。


僕は降りたついでに新聞を取り出すとそのままエレベーターに乗った。


……なんというか、……ウン……


部屋に戻ると、妙に広く見えた。
テーブルには朝食が準備されていた。ひとりぶん。つまり彼女は朝食を食べて行くつもりはなかった、ということだ。

それはそうだろう。と、ぼんやり思った。

何しろギルモア邸では博士とセブンが待っているのだ。たぶん。お腹を空かせて(?)
だからこんな朝早くに帰って行ったわけで……


……。


ま、いいや。
とりあえず食べよう。

僕は妙にがらんとした部屋でひとり朝食をつついた。


――それにしても……あんな熱い夜を過ごした翌日だというのに、ずいぶんあっさりしてないだろうか。
しかも昨日、あれほどくっついていたのに。
いや、別にそれがよかったというわけではないぞ。なにしろ食べにくかったし、そう、なにかにつけくっつかれたからメンドクサイといえばめんどくさかったし、邪魔といえば邪魔だったし、暑苦しいといえば暑苦しかった。
うん。それがナイというのは別にいつもの姿に戻っただけの話で、要は昨日だけが異常事態だったのだし。

そもそも昨日(と昨夜)、いったい彼女はどうしたのかと疑問に思うところではあった(そしてその謎は解明されていない)。

あったのだけど。


妙に寒いのは何故だろう。


……たぶん、今日は曇っていて気温が低いせいだろう。春にしては。

うん。

きっとそうだ。


僕はひとつ頷くと、朝食をたいらげた。

 

 

***

 

 

「あら、ジョー。どうしたの?」


僕がギルモア邸のリビングに行くとフランソワーズが驚いたように言った。


「フランソワーズ。きみ、コーヒーを淹れていかなかっただろ」


そう。

朝食に添えられていたのは緑茶だったのだ。
僕が毎朝コーヒーを飲むというのは知っているはずなのに。わざとか?

「だから飲みに来た」

何か言いたそうなフランソワーズだったけれど、僕は有無を言わせずそのまま歩み寄った。

「それに」

そしてそのままぎゅうっと抱き締めた。
たぶん、博士やセブンもいただろう――けど関係無い。

だって今日は朝起きてから一度もこうしてぎゅってしてないんだ。
そんなの、我慢できるわけないだろう!

「ジョー?」

大体だな、さっさと帰ってしまうからこういうことになる。昨日はあれほど熱烈だったくせに今日はあっさりって、それは作戦か何かなのか?

そうなのか?


だとしたら。


「……フランソワーズ」


だとしたら。


「………勝手に帰るな、全く」


僕の敗北は確実だった。