目が覚めたら、そこは知らない場所だった。
薄暗い部屋。見た事のない天井。いったいここはどこだろう。私はまた誰かに攫われてしまったのかしら。
どうしよう。またジョーに迷惑をかけてしまう……
そっと起き上がったら何だか頭が重かった。視界がゆらゆら揺れている。揺れている中に見える赤い色。いやだ、怪我してるの私?
と思ったけれど違った。私が着ている服の色だった――服?
両手を広げてみる。長袖で袖口に白い縁取り。胸には大きな白い飾りボタン。背中にあるファスナーで脱ぎ着できるみたい。
ワンピースで、丈は――ありえないくらい短かった。いやだ、なにこの格好。
そっとベッドから足を下ろし立ってみる。裸足だった。靴はどうしたんだろうと頭の隅で考える。
その間に記憶が戻ってきた。
ここはジョーの部屋だ。そして昨夜はクリスマス会で、この服装は――サンタクロース。余興で女子はサンタに男子はトナカイになったのだった。
思い出した。そして、帰りはジョーが迎えに来てくれて、で……
私、眠っちゃったの?
ああ。
思わず足から力が抜けて、その場にへたり込んでしまう。
あああもう。あくまでも寝たフリだったのに。ジョーが眠っている私にキスしてくるのかどうか知りたかったのに。
なのに、その前に本当に眠ってしまったなんて。
もう、バカバカ。フランソワーズのバカ。せっかくのクリスマスイブだったのに。ジョーと二人っきりの夜だったのに。
もっともっとジョーに甘えたかったのに(ううん、そんなこと言うから君はお子様だなんて言われちゃうんだわ)。
気持ちは地の底まで沈んだ。
私って酷い女の子だ。クリスマスイブにジョーと一緒に過ごさず、迎えに来てもらったのにありがとうって言う前に眠っちゃうし。
いくら酔っ払っていたからって、ジョーだってあきれちゃったに違いない。だって。
だって、ジョーがここにいないんだもの。
そうよ。
ジョーはどこにいるの?
私は顔を上げた。周囲を見回すが、もちろんジョーの姿はない。私はジョーのベッドを独り占めしていたのだ。
ジョーはどこ?
私に呆れて、どこかに行っちゃった?
ゆっくり立ち上がった。ああ、頭がくらくらする。
部屋を出てリビングに向かう。まだ陽が昇ってないせいかどこも薄暗い。そして寒い(こんな丈の短い服を着ているからよ)。
そうっとリビングを覗くと、そこには――ソファに横になっているジョーがいた。眠っているみたいだった。
テーブルにはワインボトルとグラスがあって、ボトルは空になっていた。
独りで飲んだんだ。
そう思うと泣きそうになった。
きっとジョーのなかでは、私を迎えに行って帰ってきたら一緒にワインを飲もうと決めていたに違いない。
なのに私ったらあっという間に眠っちゃってジョーを独りぼっちにした。ジョーのベッドを占領して。
――もう、最低。
しかもどうやら二日酔いだし。最低の彼女だわ。
涙が滲んできたので慌てて袖で拭った。赤い服。そうだった。私はサンタの姿のままだった。
ジョーが起きる前にそうっと帰りたい。とても会わせる顔がない。でも。この姿のまま外に出る勇気は……あるかな私。
わからない。大体、靴だってあるのかわからないし、それに――ああ、バッグもないんだった。確か宴会場におきっぱなし。
携帯も鍵もお財布も何もかもバッグの中。これじゃあ帰るに帰れない。かといって、ジョーに会う勇気もない。
途方に暮れていたら、キッチンテーブルの上に私のバッグがあるのを見つけた。え、どうして。
バッグのそばには着て行った服が畳んで置いてあった。
私、昨夜は手ぶらで帰ってきちゃったのに、どうして。――まさか。
思わずジョーを振り返る。
私が眠ったあとに、取りに戻ってくれた…?
ひとの気配がして僕は覚醒した。が、動かない。危険はないからだ。
とはいえ、完全に覚醒してしまうのはゼロゼロナインとしての使命なのだろうか。
そうっと部屋に入って来たのはフランソワーズだった。もちろん、想定内だ。少しふらついているのはきっと二日酔いのせいだろう。
一瞬立ち止まり、こちらを凝視する。僕は眠ったままを貫いた。突然起きたら驚かせてしまう。
フランソワーズはそのままじっと何かを考えているようで――あれ?
もしかして、泣いてる?
いや、まさか。
どうして泣くんだ。僕は何もしてないし、彼女だってどこか怪我したりもしてないはずだ。腹でも痛いのか。
うむ。そうだろう。あんなミニスカートでいたら腹も冷える。早く着替えるんだ、フランソワーズ。服はそこにあるぞ。
とはいえ。
短い丈の裾からのぞくすんなり伸びた白い脚は、なかなかに目の保養だった。
いや本当に、かなり――可愛い。
あんまり可愛くて、昨夜は抱き締めて眠りたくなったけれど我慢した。
眠っている彼女に何かするなんてそんなの駄目だ。そんなのは卑劣漢がすることだ。
――でも、今は起きているんだよな。ミニスカサンタの格好で。そして今日は25日だ。つまりクリスマス。
確かクリスマスの朝って枕元にプレゼントが置いてあるんだよな?ってことは……サンタなフランソワーズがプレゼントってことでいいんだよな。
なんて勝手なことを考えていたら、嘘だろう!本当にそばにフランソワーズがやってきた。いやいやまさか。いったいなんで。
フランソワーズは床に座り込むと僕の顔を覗きこむようにじっとしている。
いやだから、いったいなんだ?本当に僕へのプレゼントになりに来たのか?僕の願いが通じたのか?そんなまさか。
しかし本当にそうだったら、こんな楽しいクリスマスはない。サンタの格好も可愛いし。けっこう気に入っているのだ。
するとフランソワーズは何やら思いつめた様子で言った。
「ジョー、ごめんなさい……」
え?
なにが?
ごめんなさいって何がだろう。
至近距離にフランソワーズがいるのを感じながらも僕は高速で考えた。
僕に謝るってことは、何か彼女に非があるということだろう。僕には思いつかないが、彼女には思い当たる事があるということだ。
だが、いったいなんだ?全然思いつかないんだけど。だって実際のところ、謝るって言ったら……それはむしろ僕のほうだろう。
いや、決してやましいことはしていない。誓って恥じるようなことはやっていない。
ただ、もし。もしも昨夜フランソワーズが実は眠っていなくて起きていたのだとしたら――僕は怒られても仕方がないのだ。
いや、指いっぽん触れてないよ?眠っている女の子に勝手に触るのなんて駄目だ。だから触ってない。
触ってない――けど。
その。
ミニスカサンタ姿があんまり可愛くて、ちょっと写メを撮った。
うう、やっぱり駄目かなあ。怒るかな、フランソワーズ。消してくれって言うかな。
でも本当に物凄く可愛かったんだ。だからその、記念にとっておきたいんだけど……無理かな。土下座してお願いしても駄目だろうか。
いや。いやいや駄目だ。ゼロゼロナインともあろう者が土下座だなんて絶対に駄目だ。
つまり、言わなければいんんだよな?現時点でフランソワーズは知らないんだから。そう。黙っていればいい。永遠に。
……でもそれは、卑怯なことかもしれなくて。
僕はこの一瞬一瞬に様々なことを同時に考えていた。そして出た結論は。
いや、謝るのは僕のほうだよフランソワーズ。
ってこと。なんだけど。
――眠ったフリをしたままだから、どのタイミングで目覚める演技をしたらいいのかわからない。
何しろフランソワーズはずっと僕を凝視しているから。ああ、そんなに見ないでくれ。変な汗が出てくるじゃないか。
こういうのは別の機会だったら凄く楽しいはずなのに。どうしてこうなった。
ともかく、僕はフランソワーズに見つめられながら眠ったフリを続けるという謎の苦境に陥っていた。
突然起き上がるのも変だし。わざとらしく唸って目をこするというのもあからさまな気がしないでもないし。いや困った。
かといって、いつまでも永遠に目覚めないわけにもいかない。
フランソワーズ。僕の顔を見ているの、楽しいかい?
いったい何が楽しいのか皆目わからないが、とりあえず着替えたらどうかな?
昨夜、あのあとすぐ戻って取って来たんだから。じゃないと今日、二人で出かける時に困るかなと思ってさ。
だから、きみが着替えに行ったらその隙に僕はすっきり目覚めて、何事もなかったみたいに「やあおはよう」っていう事ができる。
そして二人で一緒に朝ごはんを食べに出かけるんだ。そのままドライブしてもいいし、どこかぶらぶら歩くのもいい。
ともかくそうしてクリスマスを過ごすことができる。
だからさ。着替えようか。フランソワーズ。僕を見るより着替えることを思い出すんだ。さあ。
さあ、フランソワーズ。その格好はもう写メに撮ってあるから大丈夫だ。
しかし、フランソワーズはいっこうに動かない。ぴくりともしない。
僕に視線をロックオンしてどうする気なのかいい加減気になってきたので、そうっと……片目を開けた。
うわ。
寝てるよ、フランソワーズ。
はっ。
ソファで眠っているジョーの顔を見ていたら、いつの間にか眠っていたみたい。
ヤダ、私ったら。なんだか頭がくらくらしていたからそのせいかしら。いっぱい眠ったと思っていたのにそうでもなかったのかな。
ん――まだ眠い。
ジョーは?
ジョーは……まだ眠っていた。
ふふ。ジョーの寝顔見るのって好き。もちろん、起きているほうがずっとずっと好きだけど。
でも――そうね。ジョーに謝りたかったけれど、起こして伝えるのってどうかしら。こんなにぐっすり眠っているのに。
だから私は、とりあえず着替えてそうっと帰って、改めて――ジョーに謝ることにした。
うん。それがいい。それがいい――んだけど。
立ち上がれなかった。
だって。
ジョーの手が私の頭の上にあるから。
え、どうして?
だってジョーは眠ってるんでしょ?
……眠ってるわよね?
うん。確かに眠っているわ。でも――だったらどうして。
一瞬そう思ったけれど。
ジョーの手のひらがあったかくて、また眠くなってきた。
だって、ジョーの手はまるで――頭を撫でているみたいで。
泣いていた私を優しく許してくれているみたいで。