―12―

 

「準備って・・・何の」
「これから出掛けるんだから」
「どこに?」
「ディナーに」
「誰と?」
「僕とさ。もちろん」

にこにこしているナインを呆然と見つめる。
だって、ナインと出掛けるなんて聞いてない。約束なんかしていない。
大体、ナインは恋人と過ごすって言っていたのだし。

――恋人。

そこまで思った時、嫌な思い出が頭をよぎった。

――恋人にキャンセルされたから、私はその身代わり?

確かワインを飲みに行った時もそうだった。
あまりにも急な誘い。
だから私は、ナインの本当に一緒に行く予定だった相手の都合が突然悪くなったから、ナインが困って、それで・・・とあたりをつけた。ナインは何も言わなかったし、私も訊かなかったから本当の事はわからないけれど、でも、おそらくそういうことだったのだろうと思う。
あの時と似てる。

「――イヤ。行かないわ」

気付いたら口走っていた。

「えっ、スリー?」
「行かない」

誰かの代わりなんて。

「――それは困るな。もう予約してあるんだし」
「行きたくないの」
「うーん。そりゃ、クリスマス会を楽しみにしていたのはわかるけど・・・」
コドモだなぁ。と苦笑混じりに言われた。

いつものナインのひとこと。すぐ私を子供扱いする。そのたびに私は、自分がナインにとって「妹」でしかないのだと思い知らされる。そんなの慣れているはずなのに、今日は胸に刺さる。

「そんなに行きたいなら、ナインがひとりで行けばいいじゃない」

無理に私を誘わなくても、ナインなら代わりに一緒に行ってくれるひとくらいいくらでも見つかるだろう。

「えっ?」

途端にナインの顔から笑みがすうっと消えた。

「スリー・・・フランソワーズ?一体、何を言って」
「イヤなの!ナインと一緒になんか行きたくない」

勢いで言って、そしてすぐに後悔した。

違う。
ナインと一緒に行くのがイヤなんじゃない。
ナインと出掛けるのに、私は誰かの代わりにすぎないというのがイヤだった。

「・・・フランソワーズ」

私は誰かの代わりじゃないわ。

「参ったな。――しょうがない。予約はキャンセルするよ」

ポケットから携帯電話を取り出す。

「きみがみんなと一緒のクリスマス会をそんなに楽しみにしてたなんて思ってなくてさ。――ゴメン」
「ちがっ・・・待って!」

思わずナインの腕に飛びついていた。

「フランソワーズ?」
「だって、キャンセルしなくてもいいじゃない。他の人と行けば」

私は誰かの代わりなのだから、私以外にも誰か代わりになるひとはいくらでもいるはずでしょう?

「他の人?」

ナインは携帯電話を閉じると眉を寄せた。

「そうよ。私じゃなくても、誰か他の人と一緒に」
「ちょっと待てよ。何なんだよ、他の人って」
「だって」

そうなんでしょう?
私はナインの恋人が一緒に行けなくなったその代わりなのだから。

――もう、ヤだ。
どうしてこうなっちゃうの?

私はナインと一緒にいたいだけだったのに。

「だってじゃないよ。何だって?」
「――だから、」
「どうして僕が他の人とメシ食わなきゃなんないんだよ、全く」
冗談はよしてくれよ、とナインは胸の前で腕を組んだ。

「大体、フランソワーズの代わりに誰か、なんて、考えた事もない」

急に009の顔になって、きっぱりと宣言する。

「・・・でも、」

私はナインの恋人の代わりなんでしょう?
恋人がダメなら、妹でいいか・・・って思ったんでしょう?

「フランソワーズの代わりなんているわけがないんだよ。――ああ、もうっ」

頭をがしがしと掻く。

「せっかく、色々と予定を立てていたのになあ!クリスマス会に負けるとは」

そうしてやっと顔を上げた。

「フランソワーズがこっちの方がいいって言うなら、僕もそうするよ」
「えっ、でも・・・」

ディナーはどうするの?

「結局、去年と一緒だな」

そうしてネクタイを緩め、上着を脱いで脇に放った。

「――さて!シックスの手伝いでもしてくるか」

袖を巻くり上げ、立ち上がる。

「あの、ナイン」
「んっ?」
「・・・出掛けないの?」
「だって、行きたくないんだろう?」
「・・・うん」

ナインが一緒にいてくれるのは嬉しい。
でもやっぱり、ディナーに行く約束をしていたそもそもの相手である恋人に何も言わないで、ここで――クリスマス会に参加して大丈夫なのだろうか?
もし、彼女が病気か何かだったら、そばについていてあげないと。
私が彼女だったらそう思うし、ナインもそうして欲しかった。
大好きなナイン。
一緒にいてくれるのは嬉しい。ナインが私の事をどう思っていても関係ない。
大好き。
だけど。

「ねえナイン、あなたはやっぱりここにいちゃいけないわ」
「何故?」
「だって、今日はクリスマスイブよ?」
「そうだね」
「日本では恋人同士で過ごすのがふつうなのよ?」
「うん、知ってる」
「だったら、恋人のそばにいてあげて」
「うん。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・え!?」

必死の思いで、勇気を掻き集めて言ったのに。
ナインは驚いたような、怒っているような、呆れたような、ヘンな顔をしてこっちを見た。

「イヤ、だから、・・・・・・・・・ええっ?」

私はじっとナインを見つめた。

ナインもじっと私を見つめる。

そのナインの頬が少しずつ朱に染まっていって、最後には耳まで赤くなっていた。

「・・・・ええと、その、・・・」

コホンと咳払いをするナイン。

「日本では恋人同士で過ごすっていうの、知ってるんだよね?」
「ええ。テレビで言ってたわ」
「で、・・・・・・・?」
「だからナインは恋人とディナーの約束をしていたのに、その相手が行けなくなったから、代わりに私を誘ったんでしょう?」
「・・・・・・代わり?」
「ええ」
「誰が誰の」
「私がナインの恋人の」

ナインは眉間に皺を寄せると、額に右手の人差し指をあてて黙り込んだ。
しばらくそのままのポーズで何か考え込んで――そうして、絞り出すように言った。

「・・・・フランソワーズ。この前僕が来た時、何て言ったか憶えてる?」
「ええ。えーと、確か・・・『クリスマス会には出られない』って」
「その前」
「『24日は予定があるから』?」
「・・・・その前」
「『コーヒーごちそうさま』って」
「・・・・その後」
「・・・・?」

ナインは額から指を離すと、大きく大きく息をついた。
そして私の顔をじっと見つめた。

「『24日、空けておいて』って言ったんだよ」
「ええ、言ってたわ。でもその日はクリスマス会のためにとっくに空けてあるのに、今頃何言ってるのかしら、って・・・」

――そういえば。
クリスマス会があるのって言った時、ナインは何か言いたそうだったような気がする。

「・・・・誘ったつもりだったんだけど」

小さい小さいナインの声。

「――えっ?」
「・・・だから、」

怒ったみたいにこちらを見る。ナインの顔は赤いままだ。
少し声を大きくして、再び言う。

「誘ったつもりだったんだけど」
「誰を?」
「フランソワーズを、24日に」
「・・・私?」
「そう」

私はちょっと混乱した。
だってナインはその日、恋人とデートの予定があって、私はクリスマス会があって。お互い予定があるのを知っていたのに。

「だって、そんなのおかしいわ。日本ではクリスマスイブは恋人と過ごすのがふつうだ、って」

「うん。・・・だから誘ったんだけど」

 

 

 

***

 

リビングのドアがばたんと開いて、七面鳥がやってきた。

「ほらほら、そこのお二人さん。そろそろ始めるアルヨ」

シックスが七面鳥の載った盆を捧げ持っている。
その後ろからはちょこちょことセブン。シャンパンを両手に持って。

「アニキ!シャンパンの栓はアニキが抜いてくれよ」

でも、私もナインも何も言わなかった。

 

ナインは私の顔をじっと見守っている。赤い顔をして、怒っているみたいでちょっと怖い。
まるで、私が答えを――正解を――言うのを待っているみたいに。

だけど私は、考えをまとめるのに必死だった。
だって一体、どういう意味?

ナインには恋人がいるのに。
まるで、自分の恋人は私――みたいな言い方をされても、どうしたらいいのかわからない。

「――あの、ナイン?」
「うん?」
「その、今の、って・・・」

言いかけると、ナインはますます顔を赤くして口早に言った。

「だから、そういうことだよ!全く、きみときたら何にもわかっちゃいないんだからな!」

フン!と偉そうに言い切って、そうして私の手をぐっと握った。

「――ホラ!シックスが呼んでるだろう?料理が冷めちまう」

そのまま手を引かれる。私は引き摺られるように後に続く。

「あの、」
「何だ」
「――ううん、何でもない」
「何だ、言えよ」

怒ってるみたいなナイン。
握られた手が熱い。
耳まで赤いナインの横顔。

私はナインが好き。

だから、ナインの言葉の意味がよくわからなくて混乱していたけれど、でもこうして一緒にいられるのは凄く嬉しかった。
だって今日はクリスマスイブ。大事なひとと過ごす日。
私にとってナインは誰よりも大切なひとだから。
いま、彼の恋人はどこかにひとりぼっちでいるのだとしても。
それでも私は、ナインがここにいるのを嬉しく思う自分を否定したりはしない。