―13―

 

結局、ディナーには行かず、いつもの年と同じようにみんなでクリスマス会をした。
ナインはいつもの通り屈託がなくて、私の作ったケーキのイチゴをセブンと取り合った。
シャンパンの栓を抜くのに失敗して、自分のおでこに直撃弾を受けた事は別にして。

後片付けをすませ、博士もシックスもセブンも自室にさがった夜遅く。
私とナインはリビングにいた。
照明を落として、ツリーの電飾だけが光っている。
ナインの調達してきたもみの木は、やっぱり天井に届くほどで、いつもどこから持ってくるのか不思議でしょうがない。

私とナインは並んでソファに座り、ツリーを見ながらコーヒーを飲んでいた。
いつものように正面に座ろうとしたら、ナインが怖い顔をして自分の隣を指差した。だから私は、ナインの隣にいる。こぶしひとつぶん離れて。
正面に座る時は、いつもナインの顔を見れたけれど、隣だと横顔しか見られない。それがちょっと寂しい。
でも、手を伸ばせば届く距離にナインがいるのは安心できた。

ナインはずっと無言でツリーを見ている。そして、コーヒーを飲んで。

――何か話さなくちゃ。

そう思うものの、この沈黙が心地よくて、このままでもいいかなと思ってしまう。

「・・・ねえ、ジョー?」
「うん?何?」

こちらを見ないで、ツリーに目を向けたままナインが返事をする。

「せっかく予約してたのに、ごめんなさい」
「・・・うん」
「私、てっきり、その・・・ジョーは誰かと行くんじゃないかしらって思っていたから」

ナインの誘い方は私には難しくて、全然わからなかった。
今度からは、ちゃんとはっきり言って欲しいな。――次があるのなら、だけど。

ナインは答えず、大きく息を吐き出した。
そしてソファの背にもたれかかった。

「僕がフランソワーズ以外の誰と出掛けるって?」

怒ったようなその声に、思わずナインを見つめる。
目が合った。

「・・・全く、本当にきみは・・・」

ふっとナインの目が優しくなる。
そしてコーヒーを飲もうとして顔をしかめた。

「――空だ」
「あ。おかわりね?すぐ淹れるわ」
「うん。頼む」

ナインのカップを受け取り、席を立った。

「ジョーってほんとにコーヒーが好きね?」

くすくす笑いながら言うと、ナインも少し笑って、そして

「そうだね。コーヒーも好きだけど、きみも好きだよ」

と言った。

 

 

***

 

 

びっくりした。

心臓がばくばくいっている。

逃げるようにキッチンに飛び込んだ。
コーヒーの缶を持つ手が震えてうまく開けられない。
あっと思った時には、粉をそこらへんにぶちまけてしまっていた。

――もうっ。

屈んでこぼれたコーヒーの粉を拭こうとしたら、キッチンシンクの角におでこをぶつけた。
痛みに涙が滲んだ。
床を拭いてから、改めて新しい缶に手をかける。今度は慎重にゆっくりと。

いつもと同じ行程を踏んでいるだけなのに、なんだか全然うまくいかなかった。
一回目に淹れたコーヒーは薄かったし、そのあと淹れ直したものは逆に濃すぎた。
結局、三回目でいつものと同じようなのができた。

深呼吸する。

三度コーヒーを淹れ直しても、心臓は全然落ち着いてくれなかった。

――だって。

好き、って言ったの、ほんと?

私の聞き間違えじゃなく?

ほわんと心に温かいものが広がってゆく――けれど。
それは心のなか全部には行き渡らず、片隅でわだかまった。

だってナインには――恋人がいるじゃない。
この前、デートしているのを見たのだから確かだ。

それともナインは、私と彼女の両方を好きなのだろうか。
両方と付き合うつもりなの?

 

・・・ううん。
ナインにそんな器用なことができるとは思えない。

でも。
だったら、どういうこと?

それとも、あの恋人とは別れたから――だから、今日は私と出掛けるつもりだったのかもしれない。
それなら話が合う。

けれど。

つい数日前にデートしていた相手と別れて、そしてすぐに次の人・・・なんて、そんなことできるのだろうか?

私にはナインの気持ちが全然わからなかった。

 

 

***

 

 

「――そうだ。これ・・・クリスマスプレゼント」

脇に放ってあった上着のポケットからピンクのリボンのついた小さな箱を取り出してフランソワーズに渡す。

「・・・ありがとう」

あれ?

戸惑ったような顔をして受け取るフランソワーズ。僕としては、「まあなにかしら」って嬉しそうに笑うのを想像していただけに、彼女の反応は意外だった。

何で戸惑うんだろう?――それも、ちょっと困ったような。

コーヒーを飲みながら考える。さっきおかわりしたばかりのそれは、いつも彼女が淹れるより少しだけ濃かった。おかわりを淹れるのに随分かかったみたいだったけれど。

「あの、・・・これ」
「うん?」

いつもは「開けてもいい?」って可愛く笑うのに、今日はリボンをもじもじといじったまま開けようとしない。

「開けてみて。――きっと似合うと思うんだ」
「え、ええ・・・そうね」

それでもリボンを解こうとしない。

「フランソワーズ、いったい・・・」
どうしたというんだ。

「あの、・・・どうしても開けなくちゃダメ?」
「え?」

――僕からのプレゼントが苦痛なのだろうか。

「・・・嫌だったら無理しなくてもいいよ」
「違うの、そうじゃなくて」

フランソワーズは箱を両手で包むように持って、手元をじっと見つめた。きゅっと唇を噛んで。

「・・・そうじゃなくて」

いったいどうしたというのだろう?

「フランソワーズ、いったい・・・」

言いかけた僕は、彼女の手にぽつりと何かが落ちたのを見て驚いた。

「フランソワーズ?」

彼女の目には、あとからあとから涙の粒が盛り上がって、手元の箱とリボンを濡らしていく。

「・・・ごめんなさい。やっぱり受け取れない。これ・・・」

――泣くほど迷惑だったのだろうか。

「――わかった」
けれども、返してくれと手を差し出しても、ぎゅっと箱を握りしめたまま放す気配はなかった。

「フランソワーズ。いったいどうしたんだい?」

真っ赤な顔をしてぽろぽろ泣いている彼女に、僕はどうしたらいいのか全くわからなかった。
そうっと髪を撫でてみる。――泣き止まない。

それ以上は成す術もなく、僕はただじっと彼女を見守っているだけだった。

 

しばらくして、やっと彼女の感情が収まってきたのか雨が止んだ。

「・・・ごめんなさい」

小さな声で言われる。

「これ、・・・知ってるの。私に買ったんじゃない、ってこと」
「――え?」

何を言ってるんだ?

「・・・ごめんなさい。この前、見ちゃったの。・・・みなとみらいで」

――気付いてたのか。僕のことを。

途端に全身がかあっと熱くなった。
あんな、ストーカーまがいの行動をしていた僕のことを――わかっていた?

「いや、あれはその」
「・・・デートしてたのよね?」
「え!?」

デート?
誰と誰が?

「ごめんなさい。・・・見ちゃったの。でも、偶然なのよ?」

それは偶然ではないのだ。

「・・・彼女と一緒に歩いてた。腕を組んで仲良さそうに」
「彼女?」

そんな覚えはない。

「だから、気になってつい・・・目で追ってしまって」

――気になった?

「そうしたら、ジョーがアクセサリーショップに入るのを見て、・・・ああ、彼女のクリスマスプレゼントを買うんだな、って」

語尾が揺れる。鼻をすすって。

「いったいジョーはどんなのを選んだんだろう、って、気になって気になって、どうしても知りたくて、見ちゃったの。――とっても時間をかけて選んでいたから、本当に彼女のことを、・・・・だ、大好きなんだな、って思ってそれで」

ああ、くそっ。ダメだ。
もう我慢しないぞ、驚いて怖がって泣いたって――知るもんかっ。

「ジョー?」

僕はそれでも理性を総動員して、ぎゅうっと抱き締めて壊してしまいたい衝動を抑え、壊れ物を扱うようにゆっくりとフランソワーズの肩を抱き寄せて、胸の中に抱き締めた。
フランソワーズの身体がびくんと揺れて、一瞬僕を押し退けようとした。でも、離さない。

「――デートなんかしてないよ。あれは、たまたま会った知り合いで」
「嘘」
「嘘なもんか。全然、関係ないよ。大体、彼女にはちゃんとカレシがいるんだ」
「――そうなの?」

顔を上げたフランソワーズ。
なんて可愛いんだろう。
涙に濡れた瞳が、きょとんと大きく見開かれている。

「うん。それに、これは――フランソワーズのために選んだんだよ?」
「・・・だって、ずいぶん時間をかけていたわ」
「うん。フランソワーズに似合うのはどれかなってずうっと考えていたから」

言ってる自分が恥ずかしい。
あの姿を見られていたかと思うと顔から火が出そうだった。
どうしてこんなにぺらぺらしゃべっているんだろう、僕は。

そう考えて、そして――ああ、嬉しいからだ。とわかった。

今まで、デートの帰りと言ってもちっとも妬いてくれなかったフランソワーズ。
僕が合コンに行くといってもにっこり笑うだけで、気にも留めてくれなかった。
そんな彼女が、僕が誰かとデートしているのが気になって、しかも「彼女」に何を買ったのか気になった、って?
妬いてくれたのが嬉しくて、そしてそれを気にして泣いてしまった彼女が可愛かった。
本当に、どうしてこんなにきみは可愛いんだろう?

どうして僕は、こんなにきみが好きなんだろう?

 

「・・・じゃあ、本当に私がもらっても、いいの?」
「もちろん」
「・・・開けても、いい?」
「ドウゾ」

そうして震える指でゆっくり開けて箱の中を見つめ、

「・・・可愛い」

そう言ってにっこり笑った。

僕のフランソワーズ。大事な、大切なきみ。

まだ目尻に残る涙が可愛くて、愛しくて、僕はそれを拭おうと指を伸ばした。

「あ、私もジョーにプレゼントがあるの」

しかし、無情にもフランソワーズはさっと立ち上がって部屋を出て行ってしまった。