―4― 

 

ゆっくりとナインが立ち上がる。
スリーは思わず一歩後退する。
それを見て、ナインは嗤った。

「・・・やっぱりそうやって僕を避けるんだな」

一歩スリーの方へ近付く。
同じく一歩下がるスリー。

「どこまで僕を避けられるかやってみようか?」

スリーはナインの顔を見ない。ずっと手元に視線を落としたままだ。
その様子を見て、ナインは頭に血が昇った。

「・・・スリー!いい加減に僕を見ろ!」
「・・・っ」

それでも顔を上げず、大きく首を横に振るスリー。

「――!」

ナインはかっとすると、大股であっという間に二人の距離を縮め、スリーの腕を掴んでいた。

「スリー!」
「・・・っ」

腕を掴まれたものの、頑なにナインの方は見ない。

「スリー!こっちを向けと言ってるだろう!?」
「いやっ・・・!」

スリーの顎に手をかけ、無理矢理こちらを向かせたナインは、けれども彼女の顔を見て一瞬で怒りが解けた。

「・・・スリー?」
「いやっ・・・見ないで、ジョー」
「いや、・・・でも」

冷たい態度に冷たい言葉。やはり自分は嫌われてしまったのだと、ここ数日ずっと落ち込んでいたナイン。それでも、ずうっと前に、バレンタインデーはデートしようねと決めてあったから、勇気を出してやって来た。が、やはり思った通りの冷たくそっけないスリーの態度に、いよいよ我慢の限界だった。嫌いになったなら、そう言ってもらったほうがマシだった。が、はっきりそう言われるのも怖かった。だから、そのジレンマとストレスをスリーにそのままぶつけてしまった。
手を上げたわけではないけれど、言葉の暴力を振るってしまった。
今度こそ、本当に嫌われた。そう、思った。だから彼女は自分を見ないんだ。・・・と。
しかし。
いま、こちらを見返すスリーは、彼の想像とは全く違っていた。
きっと、冷たく蔑んだような目で自分を見ているのだろう・・・と思っていた彼女の目は、目尻に涙をためているものの、以前と変わらぬ愛情を湛えているように温かかった。そして何より、頬から耳まで真っ赤に染まっているのだ。

「え・・・と、スリー?」

拍子抜けしたとはこういう事を言うのだろう。

「痛いわ。離して、ジョー」
「あっ・・・ゴメン」

慌てて手を離す。掴まれていた部分を痛そうにさするその姿に胸が詰まった。

「・・・スリー、その」
「・・・酷いわ」
「いや、その・・・」

てっきり嫌われていると思っていたのに。なのに・・・そうじゃない?

「・・・ゴメン」

それきり黙った。――混乱していた。

一方、スリーもまた混乱していた。
何しろ、事の発端は自分がナインを避けてしまったことにある。事あるごとに彼を避けてしまうものだから、とうとう愛想をつかされたのかナインはずっとここには来なかった。だから、嫌われてしまったと思っていた。
本当は14日にはデートしようねって約束していたのに、ナインは忘れてしまったのだ。そう思うのは悲しくて辛かった。
どうしてこうなってしまったんだろうと思うたびに、それでも結局は自分が悪いのだという結論に結びつく。かといって、どうすればいいのかもよくわからなかった。
だから、ナインが今日、ここへ自分に会うために来たと聞いて――嬉しかったのだ。
しかし、やっぱり彼の顔を見られず、避けてしまい怒らせてしまった。本当は、会いたくて声が聞きたくて、仕方なかったのに。

「・・・ごめんなさい」

鼻の奥がつんとする。泣くつもりはなかったのに。
泣いたらダメ。泣いたら、ナインが困る。

涙が絡まったその声を聞いて、ナインは抱き締めようとする自分を抑えるのに必死だった。
いま抱き締めてしまったら、きっとスリーは。

「・・・泣かないで、フランソワーズ」

ともかく、手を伸ばして何とか髪を撫でるだけにおさめる。
それでさえ、スリーの身体には一瞬緊張が走ったのがわかる。

そうっとそうっと。優しく。ゆっくりと。

心の中で言いながら、髪を撫でる。
けれども、やっぱりスリーは泣いてしまった。

「・・・泣かないで」
「ご、ごめんなさい・・・。だって、やっと名前を呼んでくれた、からっ・・・」
「――え?」
「だって。ずっとスリーって」
「・・・そうだった?」

こくんと頷く。

別に深い意味はなかったのに、そんなことを気にしてたのか。
やっぱりスリーは――可愛い。

「それに、・・・ほっぺにちゅうって、・・・」
「んっ?」
「さっき、ファンの子にそうしてる、って」
「――ああ」

スリーの態度に腹が立って、言わなくてもいいことまで言ってしまった。もちろん、彼女を傷つける目的で。

「――してる。けど、仕事の一部だから」
「・・・やなの」

小さく小さく聞こえる声。

「でも、仕事だからさ」
「だって、・・・・・・・ずるいわ」
「ん?」
「私には、してくれないのに」
「・・・え」

それとこれとは、意味が違う――のに。

「・・・ええと」

参ったな、どう説明すればわかってくれるのだろう・・・と天を仰いだナイン。
すると、ずっと下を向いていたスリーの顔が上がり、こちらを見つめた。

涙で頬は濡れ、瞼も赤く腫れている。顔は真っ赤で首まで赤い。
普段の彼女よりは随分と不細工になってしまった。

「・・・っ」

ナインは思わず噴出しそうになり、慌てて堪えた。

「!!酷いわ、ジョーったら!いま私の顔を見て笑ったでしょう!?」
「い、いや、笑ってないよ」
「嘘。声が笑ってるもの!」
「笑ってないってば」
「笑ったわ!」

いつもより不細工な顔で怒るスリー。それが、なんとも可愛くて――可愛くて、ナインはとうとう笑いだしてしまった。

「いやっ・・・、きみ、鏡見てきたら?酷いぞっ・・・・」
「酷いわ、そんなに笑わなくてもいいじゃない!」
「いやあ、・・・・・っ」

くつくつ笑うナインにスリーは横を向く。が、今度は身体を引こうとはしない。

「・・・顔を見られたくない?」
「ええ。失礼だわ!」
「だったら、こうすれば僕には見えない」

そうっと腕を取り、引き寄せる。
今度は身体を固くすることもなく、されるがままにナインの腕のなかにおさまった。
そうっと頭を撫で、自分の胸に押し付ける。

「・・・見えないだろう?」

 

スリーはナインの腕に優しく抱き締められ、だんだん落ち着いてきた。
もっとドキドキして胸が痛くなると思っていたけれどそんな事はなかった。髪を撫でるナインの手が心地よい。

ずっと、彼のことが怖かった。と、同時にもっと近くにいたいという気持ちが湧きあがってきて、こんなに好きになってしまっていいのだろうかという思いと、そんな気持ちがもしも彼に伝わってしまったらという恥ずかしさがあった。それでつい、避けてしまっていた。
ナインを見るのが恥ずかしかった。目を見られたら、どんなに好きなのかばれてしまう。それも怖かった。
鬱陶しいなあ、とか、重いなあ、とか、思われたくない。嫌われたくない。
だから、先刻のナインの言葉はひとつひとつが胸に刺さった。

でも、ナインの笑顔でそんなものは全部消えてしまった。

こんなに好きなのに、どうして避けていたんだろう?