―5― 

 

数分後。

「コーヒーでも淹れるわね」とリビングを去ったスリーを待つ間、ナインはここしばらく感じていなかった、心が温かくなってゆく感覚に身を浸していた。やっぱり自分は、彼女がいないとダメだ。彼女じゃないと――ダメだ。

「お待たせ」

キッチンから戻ってきた彼女は、コーヒーだけではなく他のものも一緒に持って来ていた。
盆からカップ類を置いて、そして。

「・・・はい。ジョー」

ブルーのリボンがかかった小さな箱。

「えっ・・・なに?」
「今日は何の日だったでしょう?」
「――あ」

チョコレートか。

隣で自分を見つめているスリーを気にしながら、ゆっくり箱を開けてみる。そこにはひとくち大の小さなハート型のチョコレートが詰まっていた。

「・・・ありがとう」

カードも何もついてなくて。もちろん、プレゼントなども添えられてはいない――けれど。
明らかに手作り風のそのチョコレートがナインは嬉しかった。

「・・・あのね。ジョー」

繋ぐともなく繋いだ手元に視線を落とし、ゆっくりとスリーが言う。

「私、思ったんだけど、・・・確かジョーにまだ言ってなかったわよね?」
「えっ」

何を?とは訊かない。

「言わなくてもいいかなって思っていたの。だって、ジョーはとっくにそんなの知ってるよって顔をしてたし。・・・だから」

そう。
無理して言うことなんかない。
そう伝えるつもりで、握った指に微かに力を入れたのだけど。
スリーは同じくらいの強さで握り返すと、覚悟を決めたかのように顔を上げてナインの目をしっかり見つめて言った。

「・・・好き」

しかし、ナインは微笑むと繋いでないほうの手を持ち上げ、指先でスリーの唇を封じた。

「言わなくてもいいよ」
「でも」
「わかってるから」

スリーもにっこり微笑むと彼の指をそっと除けた。

「だけど、知ってる?今日はそれを言う日なのよ」
だから言うの。と、続ける。

「私はジョーが」
「ストップ」
「嫌よ。言うって決めたんだから」
「いいよ」
「ダメよ、聞いて」
「いい、ってば」

言う事をきこうとしないスリーを持て余し――ナインはそのまま彼女の唇を唇で塞いだ。そうして少し考えて――

「・・・・っ!」

繋いだスリーの指に力がこもる。
それをしっかり握り締めて、ナインはキスを続ける。

そもそもの発端は、このキスだったんだよなあ・・・と思いながら。

 

 

 

イチゴ狩りに行ったあの日。

イチゴ畑で初めてスリーとキスをした。
彼女はすっかり照れて動揺していたけれど、それもすぐおさまった。
その後は仲良く手を繋いで、イチゴを採って、楽しくその日は終わった――終わるはずだった。

帰りの車の中でもお互いに楽しく話した。
いつも通りにギルモア邸に着いて、コーヒーでも・・・と彼女が言いかけたその時。
その日三度目のキスを交わした・・・の、だけど。

三度目はちょっと違った。

ナインとしては、昼間のイチゴ畑のキスでじゅうぶんに満足していた。――つもりだった。
けれど、その後もスリーと一緒にゴハンを食べたり散歩したり、アイスを食べたりしている時も、ずうっとすっきりしない思いでいっぱいだった。
大事な大事なスリー。
可愛くて、誰よりも大切で、守って守ってそばにいて――
そんな彼女をもっと近くで感じたかったし、何より「ちゃんとしたキス」をしたかった。
御挨拶のような、唇を合わせただけのものが「恋人同士のキス」だなんて思って欲しくなかったのだ。

だから。

三度目のキスは、恋人同士のキスになった。

驚いて、ナインから離れようとしたスリー。
キスのあとは、涙を溜めてそのまま車から降りて行った。コーヒーのことも、おやすみのキスのことも忘れて。

それからだった。
彼女がナインを避けるようになったのは。

 

今思えば、彼女はそういったことの知識はあっても、慣れてはいないんだから、もう少しゆっくりでも良かったのかもしれない。同じ日にキスのステップアップをしなくても良かったのかもしれない。だけど。
ナインは「ちゃんとしたキス」というのをしたかったのだ。

 

 

 

いま、二度目の「ちゃんとしたキス」を受けるスリーは、前回よりも平静な自分に驚いていた。

前回は、突然のことにどうしたらいいのかわからなかったし、何より未知の世界へ導くナインがとても怖かったのだ。
怖い――けれど、世界中の誰よりも好きなひと。

彼とそうなるなら、怖くないわという結論に達するまで、ずいぶん時間がかかってしまった。
それまで随分と彼を傷つけたのだろう、きっと。
自分の態度は彼を嫌いになったとしか思えないものだったから。

いったい自分はどうしたいのか、考えて考えて、そして。
ある一点を重視することに決めたのだ。
それは、

ナインとそういうキスをしても嫌ではなかった

という事実。
むしろ、恥ずかしいという思いでいっぱいで、だから顔を見られなかった。
「ちゃんとしたキス」を交わすのが嫌じゃないと知られたら嫌われてしまうのではないだろうか、そうも思った。

でも。

ナインの目を見たらわかった。
大丈夫なんだ、と。

 

 

そんなキスの後、ナインはスリーの両頬にそれぞれ唇をつけた。
さっきスリーがずるいと言った頬へのキス。それをふたつ。

「・・・特別だからなっ。ふだんはいっぺんに両方なんてしないんだぞっ」

そう言う顔は赤く染まっていた。