(6)
ナインが動くなと言ったので、スリーはトイレの前の廊下にぽつねんと立っていた。
「フランソワーズ!」
ナインが息せき切って駆けて来る。
「――どうかした?腹でも壊したのかい」
「・・・ううん」
「じゃあ、いったい・・・」
様子がおかしいスリーを険しい瞳で見つめ、ナインは少し怒ったようだった。
「――控え室に行くって言ってたくせに来ないから、何かあったのかと思ったよ」
「ごめんなさい」
「まあ、無事で良かったけど。――それより今日はとんだサプライズだったよ。迎えに行くわってまさかああいうつもりだったとはね」
ナインはちょっと言葉を切ってスリーの様子を探ったけれど、何も言わないので続けた。
「・・・来るなら来るって言ってくれないと。僕がどれだけ驚いたか、きみ、わかってないだろ」
「――嘘よ」
「嘘って何が」
「全然、驚かなかったくせに」
「驚いたさ!だってフランソワーズが目の前にいるんだぜ?いやあ、あんなに驚いたことなかったよ」
「嘘よ」
「ほんとだって」
「・・・平気な顔してたじゃない。まるで初めて会うひとみたいに」
「うん?・・・ああ、それは、まあ・・・」
「そうよね。たくさんいるファンの子のひとりだもの」
少しいじけたような物言いにナインは冷たく答えた。
「当たり前だろう?ファンは平等なんだから、誰も特別扱いなんてしない。それが例えきみでもね。もしもそれを僕に求めるのなら、残念だけど」
「違うの、そうじゃないの」
スリーは顔を上げるとナインの言葉を遮った。
「そんなこと求めてないわ。――ううん。違うわ。「ファン」なのに特別扱いしてもらえるって期待していた私がバカだったの。それが今日わかったの」
いつでもどんな時でも特別扱いしてもらえるはずだ――そう思っていた。根拠もなく。
けれどもそれは、自分の甘えに他ならなかった。
いくら恋人同士とはいっても、常に甘やかして特別扱いしてもらえるわけでもなければ、それを要求してもいいわけではない。
「ごめんなさい。――もう二度としないわ」
驚いてくれると思った。怒るかしら笑うかしらと考えるのも楽しかった。
けれど。
待っていたのは「誰に対しても平等な彼」だった。仕事とプライベートをごっちゃにした自分が悪い。
ナインはあくまでも「ハリケーン・ジョー」としての仕事を全うしただけであって、スリーに意地悪をしたわけではないのだ。
あまりにも子供っぽい自分をスリーは深く嫌悪し反省しているのであった。
「――まったく」
ナインはスリーの頬にてのひらで触れると耳元に唇を近づけた。
「大変だったんだぞ。僕の苦労なんか知らないだろ」
「苦労?」
「そうさ。僕が完璧な009だからできたけれど、普通のヤツだったら無理だったね。完璧なポーカーフェイス」
「・・・そうね。まるで知らないひとみたいだったわ」
「うん。もうしたくないね。絶対にイヤだ」
「ごめんなさい」
「今度やったら怒るぞ」
「わかったわ」
「まったく、きみを目の前にして知らないふりをするのがどんなに大変なのか、本当にわかってる?」
えっ?と顔を上げたら頬にキスされた。
「・・・仕事でキスするのと同じのをフランソワーズにするなんて」
そして鼻先にキス。
「こんな屈辱はないよ。絶対にイヤだ。だからもうするな」
額にキス。
「特別なんだから。――特別扱いしかしたくない」
「ん、ジョー、待って」
「イヤだ待てない」
「でも」
ナインは有無を言わさず唇にキスをした。
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