一万組目のカップルに渡されたのは、ホテルのペア宿泊券だった。

インターコンチネンタルホテルという、みなとみらい地区屈指の豪華ホテルである。そこのオーシャンビューのスイートルーム。
横浜で丸一日遊び倒すにはもってこいだった。しかも、みなとみらいといえば、二人にとってある意味、思い出の地でもある。

ナインの心は弾んだ。
これぞまさしく天の配剤。ありがとう神様。
スリーと親密度を増して以来、早くも三ヶ月が過ぎた。ナインの誕生日という最大イベントでそうなったので、なんとなく「次」のきっかけを掴み損ね、何もないプラトニックな三ヶ月だった。
ナインとしては、特にそんなきっかけがなくとも後は自分たちの気持ち次第だと思っているのだが、それでも――スリーの気持ちを思うと急ぐ必要もないし、自分が我慢すればいいのだからと涙ぐましい努力を重ねてきた。
が、「次」の「イベント」とはいつの何だろうと思うにつけ、もしかしたらそれはクリスマスなのではないかとぞっとするのもまた事実であった。とてもそこまで待てる自信はない。が、今の状況であればそうなる確率が非常に高かった。だから、今回のような「イベント」に「宿泊」が含まれているのはまさに神様からのプレゼントといえるだろう。
宿泊券を受け取ってから、ナインの頭の中はその日のプランでいっぱいだった。
横浜で一日遊んで、夜はホテルで食事をして軽く飲んで、それからそれから――。
ナインが不謹慎だとか不埒だとか非難する者はいないだろう。彼はこれまで随分自制してきたのだから。
ただ。
そんなわけで、ずっと「その日」に気持ちを飛ばしていたがために、食事は全く上の空、スリーとの会話も気のない生返事になってしまっていた。
しかし、それには本人は全く気付いていない。
食事を終えてからも頬は緩み、傍から見れば豪く上機嫌な客だった。が、それも「一万組目のカップル」と思えば周囲もさもありなんと納得する。だからナインは誰憚ることなく有頂天になっていた。
ありがとう、神様。
口の中で呟く。
が、それだけでは足りなくて、膝を折って天を仰ぎ祈りを捧げたいくらいだった。否、これはもう捧げるしかない、捧げてしまおう――と思ったのだが、スリーを見て思い止まった。
どうも様子がおかしいのである。
困ったような顔をして、全然、嬉しそうではないのだ。

「え、っと・・・フランソワーズ?」

声を掛けるとびくんと顔を上げた。が、視線はナインと合うことはなくテーブルの上に漂う。

「どうかした?」

食後のデザートは、スリーが3種のアイスクリームとクレームブリュレのどちらにしようか迷っていたので、ナインは両方注文した。アイスクリームがスリーで、クレームブリュレはナインのという名目で。もちろん、どちらもスリーの腹におさまる予定である。
しかし。
楽しみにしていたデザートのはずなのに、つついただけで食べないのだ。およそいつもの彼女らしくない。

「別のが良かった?メニュー、もらおうか」

手を上げかけたナインに、

「違うの、そうじゃないの」

慌てて止める。

「そうじゃなくて・・・」

ちらりと見つめた先は、テーブルの端に置かれたペア宿泊券の入った封筒。

「――これがどうかした?」

ナインが封筒を引き寄せる。フランソワーズは横浜が好きだから良かったな、コスモロックも夜に乗れるじゃないかなどと言いながら。(注:コスモロックとは観覧車です)

「・・・ジョーは嬉しいの?」
「そりゃ、ね。景品だし」
「・・・そうよね」
「フランソワーズは嬉しくないのかい?」
「ううん、嬉しいわ。でも・・・」
「でも?」

口を閉じて、何か言いにくそうにしているスリー。
ナインはじっと待った。

「――あの、」
「なに?」
「それって・・・ペアでしょう」
「そうだね」
「だから。・・・つまり、それって」
「僕とフランソワーズが使うのでいいんじゃないか?」
「・・・それなんだけど」

ナインは少し首を傾げ――そうして、はっと何か思いついたように身体をまっすぐにした。

「そうか!きみ、博士とセブンに譲りたいんだね!?」

そうか、さすがだなあと言いながら、心は一気に海底に沈みこんだ。が、平静を装い封筒を見つめる。
かなり名残惜しいのは確かである。
しかし。

「いいよ。僕もそれで」

にっこり笑んだ。
そう、彼女の優しい気持ちを無にしてまで「次」にこだわるナインではないのだ。

しかし。

「ううん。違うの、もちろん、ジョーがそうしたいのなら、それでいいと思うわ。でも・・・そうじゃなくて」
「うん?」

そうしたくはない。それはもう、ちっとも。
自分は意外とケチで傲慢な人間だったんだなぁとナインはちょっとだけ自己嫌悪に陥った。

スリーは目の前のクレームブリュレをスプーンですくって数口食べた。が、いつものような「美味しい」という声もなければ笑顔もない。美味しくないのだろうかとナインが思い始めた頃に、やっと口を開いた。

「だって。――泊まるんでしょう」
「そうだね。宿泊券だし。・・・まぁ、帰りの時間を気にせず遊べるからいいんじゃないかな」
「そうだけど、――その」
「うん?」

クレームブリュレをしばらく見つめ、そして意を決したようにナインに目を向けた。

「だって・・・ジョーったら、夜のことばかり考えているでしょう?」