「抱っこ」

 

 

だっこして。


と、思ったものの、スリーはそれをなかなか口にできずにいた。

なにしろ相手はナインである。

普通の恋人同士なら、ただの甘い時間になるだけの簡単なひとことであろう。
が、自分たちは違う。

確実にナインに言われるだろう。


君は本当にお子様だな


と。

もうそのせりふは聞きたくないし、卒業したと思っているのだ。
だから、お子様ではなく大人っぽく言わなければならない。
それがスリーには難題だった。

 
「あの、ジョー?」
「ん?」
「だ」
「だ?」
「だ、だんだん寒くなってきたわね」
「そうか?今日は夏日になるらしいが」
「そ、そうだったかしら。ところでジョー」
「うん?」
「だ」
「だ?」
「だ・・・ダンガードAのパイロットって誰だったかしら」
「一文字タクマ」
「あ、そう、そうだったわね」


駄目だ。
全く言い出せない。
このハードルは高く、きっと一生越えられないのだ。だから自分たちは、他のカップルのように用もなくだっこしたりされたりなど永遠にしないのだ。

スリーは諦めに似た気持ちで窓から外を見た。
ギルモア邸とここナインのマンションでは随分景色が違う。


「フランソワーズ、ちょっと来て」

新聞を読んでいたはずのナインから声がかかった。

「なあに?どうしたの」

何か事件でもあったのかと気をひきしめてナインの元へ来たのだが、ナインは既に新聞を読んではいなかった。

「座って」
「え、あ、はい」

ソファの隣に座ろうとしたら、

「そっちじゃない」

むすっとした声が聞こえた。

「・・・ここだ」

ナインが示したのは彼の膝だった。

「えっ?」

心臓が跳ねた。

「たまにはいいだろう、だっこしたって」

ナインの顔が赤い。

「ほら、あっちだとセブンがうるさいし」
「あ、そ、そうね」
「うん」
「じ、じゃあ・・・」

と、腰かけようとして、

「あっ、でも私、意外と重いから」

腰を浮かせたところを捕まえられた。そのままナインの膝の上で抱き締められる。

ナインは何も言わない。
ただ鼓動だけが妙に響いた。

「も、もうっ、ジョーったら、私そんなにオコサマじゃないわ」

だっこされたかったものの、されたらされたでなんだか落ち着かない。

「・・・ウン。そうだね」

静かで低い声のナイン。

他人のような。

でもよく知っているような。

いつもと違うような気がするナインにスリーはますます落ち着かなくなった。
二人きりなんて幾度も経験しているのに、いつもと違う状況は妙に緊張してしまう。

「フランソワーズ。じっとして」
「え、あ、そ、そう・・・ね」

ナインの膝の上。
落ち着くような落ち着かないような、なんとも不思議な気持ちだった。
他の恋人同士はこういう時、どんな会話をしているのだろう?

泣きそうな思いでスリーはつくづく思った。
自分たちはまだまだ未熟だなあと。否、それを言うならおそらく自分だけが未熟なのだ。きっとナインにはどうってことないに違いない。

――もっと大人にならなくちゃ。

スリーは健気にも心に決めた。

ちょっとしたことでドギマギしたりしないような、余裕のある女性。ナインはそういうひとが好きなのだから。だから自分もそうなるのだ。

とりえあず、ちょっと深呼吸してみることにした。
ナインに抱き締められているので、悟られないよう少しずつ息を吸って。吐いて。
けれどもすぐにばれてしまったようで、黙っていたナインがくすくす笑い出した。
スリーの頬がかあっと熱くなった。落ち着こうと努力した結果がむしろ子供の証明のようになってしまったのだ。恥ずかしいったらない。


「まったく、君は本当に・・・」


けれども泣きそうな思いでいたスリーの耳に聞こえたのは、


「・・・可愛いな」


小さなナインの声だった。

 

もう少し、オコサマでいてもいいのかもしれない。