「知っているのはアヒルだけ」

 

 

「ねぇ、ジョー・・・こっち見ないでね?」
「うん、見ないよ。大丈夫」
「ほんとにほんとよ?絶対、見ちゃイヤよ?」
「うん。わかってる」

確かにその言葉通り、ナインは先刻からそっぽを向いたままだった。
いま一度彼の姿を確認してから、スリーはそうっと中に入った。
ゆらゆら浮かぶ二つのアヒル。
くっついているようで、くっつかない。絶妙な距離を保っている。

スリーは入浴剤の入ったお湯にそうっと爪先をつけた。
ほんの少し波立つ湯。ちらりと見た先のナインはさっきと同じようにそっぽを向いたままだった。
幾分、ほっとしてそのまま静かに湯に浸かった。
肩まで沈んでから大きく息を吐く。

「・・・もういいかい?」
「ええ」

くるりとナインがこちらを向く。
スリーは鼻先まで湯に埋まっていた。鼻の頭をアヒルがつんとつついて通り過ぎた。

「湯加減、どう?」
「ええ。大丈夫よ」
「熱くない?」
「ええ」
「そう?ならいいけど。僕は熱い方が好きだからどうかなって思ったけど」
「・・・大丈夫よ」

なんだか落ち着かなかった。
大体、どうしてこういう状況になってしまったのかもわからない。
ただ、「一緒にアヒルを見よう」と言われ「うん」と頷いただけなのに。
なのに、流れでこうなってしまった。

頬が熱い。

「フランソワーズ。顔が真っ赤だけど、本当に大丈夫?」
「ええ。大丈夫よ」

真っ赤な顔で湯に埋もれたままのスリーをナインが心配そうに覗き込む。
少しだけ湯が波立った。

「無理するなよ?」
「してないわ。平気・・・」

ほんの少し二人の距離が近付いただけで、ナインはスリーに触れてはいない。
いないけれど、スリーは早くもパニックに陥っていた。

何しろ、これから何をどうすればいいのかわからない。
いつまでも湯に浸かっているわけにはいかないから、いずれはここを出て――背中の流しっことかするのだろう。がしかし、そうなればお互いに裸を晒すわけで――
自分の裸体を見られるのは恥ずかしいけれど、それ以上にナインを見るのが恥ずかしかった。
今さら裸なんて、と思っていたものの、ここはメディカルルームでもなければミッション中でもない。ひどくプライベートな空間なのだ。しかも狭い。

どうしようどうしようと思っているうちに、視界がぐるぐる回りだした。

 

***

 

平気な顔をしていたけれど、実はナインも内心パニックに陥っていた。
ともかく、「見ちゃイヤ」と可愛く訴えられたならば、それはもう見るわけにはゆかない。
ナインは自身の意地とプライドに賭けて、スリーが湯に浸かるまで絶対に見るものかと頑張った。
ともすれば、脳裏に白い身体のスリーが浮かび、ついつい横目で確認したくなってしまったが、歯を食いしばって耐えた。

思えば、「アヒルを見てくる!」と言ったスリーに軽い気持ちで「じゃあ、一緒に見る?」と言ったのは自分だった。
がしかし、こんな展開になるなど本当に予想外だったのだ。

もちろん、いつかは二人でお風呂に入ったりもするだろうなと楽しく空想してはいた。が、それはまだもう少し先の話のはずだった。
とはいえ、こうなったからにはこの機会をみすみす逃すつもりもなかったから、別にこんなの何でもないさという態度を崩さず、あっさり風呂に入ってスリーの決心がつくのを待った。
湯に浮かべた二つのアヒルを見て、スリーは何て言うのだろうかとその反応を想像するのも楽しかった。
しかし。
実際にスリーが入ってきた途端、そんなものはどうでもよくなってしまったのだった。

ともかく、スリーに触れないようにしよう。と決心し、彼女が湯に浸かるまで――浸かった後も、身体を縮込ませ、ゆったり風呂に浸かるなどとは無縁の状況になった。
何故自分の家の自分の風呂で窮屈な姿勢でいなければならないのか、さっぱりわからなかったけれども。

目の前を横切る二つのアヒル。

務めてそれを見ていたつもりが、やはり視線はスリーに向かう。
が、彼女はすっぽり湯に浸かり、かろうじて瞳とおでこが見える程度。

「・・・フランソワーズ。そんなに浸かるとのぼせるぞ」
「大丈夫だもん」

いや、大丈夫ではないだろう。
今や目の前のスリーはどんどん赤くなっていっているのだから。

クリップで留めてアップにしてある髪がひとすじ落ちた。途端。
なんだかナインも熱くなってきた。決して風呂の温度のせいではない。

「本当に、だいじょう・・・」

言いかけたナインの視界がぐらりと揺れた。

 

***

***

 

数分後。

真っ赤に茹で上がった二人は脱衣所にいた。
お互いにバスタオルをぐるぐる巻きにして、濡れたタオルを額にあてて。

いったいどうやって脱出したのか。

それは、湯に浮かんだ二つのアヒルだけが知っている。

 

 

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