「――ちょっと待って」

 

車は小高い丘の上に停まっていた。
目の前に広がるのは、宝石箱のように瞬く夜景。
今までに見たことがないくらい綺麗で、ここに連れてきてくれた彼に感謝した。
世の中には、まだまだ私の知らない景色や場所がたくさんある。いつも同じ場所、同じひとばかりと一緒にいたからわからなかった。これが外の世界。
私は、今まで狭い世界しか知らなかった。
新しいひとと出会って、お付き合いしてみるのも自分の世界を広げるためには必要なのかもしれない。
だから、ナインはいろんなひとと付き合っているのかもしれない。
・・・私ったら、また。今はナインのことを考えるのはやめなければ。

会話が途切れて、私はそんな事を考えていた。ひとりの世界に浸ってしまっていた。
だから、隣の彼の行動に反応するのが遅れた。

肩を抱かれた。

そうして、頬を寄せてきて――

思わず彼の顎を手で押し返していた。

「ごめんなさい、私、そんなつもりじゃ・・・」
「えっ。だって、ここまで一緒に来たんだから、てっきり――」

そんなつもりじゃなかった。

そんな意味があるとは思わなかった。

「――参ったな」

そう言いつつも、じっと見つめてくる目が何だか怖くなって――慌ててシートベルトを外そうとしたけれど、手が震えてうまく外せなかった。

「・・・降りる気?――いいけど、ここで降りたってひとりで帰るのは無理だと思うよ?」

そうだった。
ここはいったい――どこなのだろう?

初めて来た場所。
初めて見る景色。

夜景を見るひとのために作られたであろう駐車場は広かったけれど、どうみても山の中だった。
周囲に民家はなく、街灯なんかももちろん無い。

ひとけがなく、寂しい場所だった。

「ちゃんと送るからさ。――ね?」

さっきと寸分違わぬ笑みだった。
けれど。

私は急に怖くなった。

だって、よく考えてみたら――私はこのひとの事を何にも知らないのだ。
今日初めて会ったひと。
彼が話す彼自身の事は、すべて「自称」であり、それを信じるしかなくて――本当に、自分で言う通りの素性のひとなのか確かめる術はなかった。

私は今更ながら、自分の軽率さに唇を噛んだ。

ナインの言う通りだ。
私は――コドモだ。

後悔しても遅かった。

 

そうっと手を握られた。
もう片方の手は私の肩を抱いたまま。

「離してください」
「どうして?きみも僕を気に入ったから、ここまで一緒に来たんだろう?」

――それは、確かにそうだったけれど。

でも。

「ごめんなさい。私、そんなつもりじゃ」
「・・・傷つくなぁ。いいけどさ、せめて――キスくらいしようよ」

えっ?

キス「くらい」?

くらい、って・・・
キスってそんなに軽いものじゃないはず。

「そんなに驚かなくてもいいだろう?きみの国では挨拶代わりなんだしさ」

それはそうだけど、でも。

「――ごめんなさい」

どうしよう。

何も考えず、ここまで一緒に来てしまった私が悪いことはわかっていた。
そもそも、車で送ると言われても乗るべきではなかったのだ。
他のみんなと一緒に帰れば良かったのだ。
真夜中に男のひとの車に乗る――それがどんな事を意味するのか、知らないわけじゃなかった。
――このひとは、私を家まで送ってくれるタクシーの運転手さんではないのに。

期待させるような行動をとってしまった私が悪い。

このひとは何にも悪くない。
だから、ここまで来て拒否されるのは、おそらく不本意に違いないだろう。

――このひとは何にも悪くないのに。
悪いのは私なのに。

だから、彼の言う通りキスくらい・・・

そのくらい、大した事じゃないわ。――そう、大した事では・・・

だってこのままでは、ここまで連れてきてくれて、綺麗な夜景を見せてくれたこのひとに申し訳ない。
思わせぶりな態度をとった私が悪いのに。

このまま、このひとの言う通りにするのが筋なのかもしれない。

 

 

 

 

だけど。

 

 

ナイン。

 

 

ジョー。

 

 

頭の中に彼の顔が浮かんだ。

ナインの笑顔でいっぱいになった。