車の窓がノックされた。

 

「――何だ?」

私のほうへ身を寄せていた彼は、怪訝そうに身体を起こした。
こんなひとけのない所で、いったい・・・とブツブツ言いながら。

私は反対の窓の方へ身を引いて、精一杯彼から離れた。
シートベルトはまだ外れない。

運転席側の窓がほんの少し下げられる。

「――なんだ、一体・・・」

彼の声が途中で止まる。

「――悪いな。彼女は僕のツレなんだ。――返してもらうよ」

あまりに聞き覚えのある声だった。
でも――そんなわけがない。

「ツレだって?オマエ、いきなり何を」
「――聞こえなかったか?」

冷気が漂ってくるようなその声に、心臓をぎゅっと掴まれたかのように胸が痛んだ。

「何だよ、妙な格好しやがって。――フランソワーズ、怪しい奴がいるから外に出ちゃ駄目だよ」

シートベルトをがちゃがちゃやっている私に、心配そうな声がかかる。

「――その名を呼ぶな」
「何だよオマエ、いったい・・・」

赤いマフラーが風になびく。

「もう一度言う。彼女は僕のツレだ。返してもらうよ。――いいね?」

地を這うような低い声に、隣の彼は息を呑んだ。
そうして呆然と身を引いて運転席にもたれ――震える手がギアをバックに入れた。

その瞬間。
シートベルトが外れ、私はドアを開けた。

外に転がるように出るのと、車が猛スピードでバックするのとがほぼ同時だった。

勢いで私はアスファルトに嫌というほど膝をぶつけた。
痛みに声も出ない。

車は、そんな私に全く構わず――方向転換すると凄いスピードで山を下って行った。

車の音が聞こえなくなるまで、私は立ち上がれずにいた。
膝が痛い。
見ると、ストッキングは破れて無惨な姿になっており、膝からは血が滲んでいた。

 

静寂が戻る。

 

灯りの全くないここは、真の闇に包まれていた。