お昼ごはんのあと、ふたりは近くの神社へ散歩に来ていた。
初詣は既に済んでいたけれども、ふたりでのんびり歩く境内は落ち着くものだった。
風は冷たいけれど空は晴れて気持ちが良い。
「ねぇ、ジョー?」
繋いだ手をゆらゆらさせながら、スリーが満面の笑みでナインを見る。
「うん?」
「もしもの話、してもいい?」
「もしもの話?」
なんだそれ、とナインは訝しげに眉を寄せた。
「あのね。女の子同士でちょっと流行ってるの。バレエのレッスンの帰りとか、そういう話をするのよ」
「ふうん…」
気のない返事のナインに取り合わず、スリーはにこにこと続けた。
「もしもこうだったらどうする?っていうたとえ話なんだけど、けっこうみんな真剣に考えちゃったりして」
ナインはじっと前方を見たままである。彼は例え話などに興味は無かった。現実的な男なのである。
「でね、考えたんだけど…」
スリーは探るようにナインの顔をちらりと見て続けた。
「もしも、私に実は婚約者がいたらどうする?」
「はあ?」
「例えば、小さい頃から決められた相手がいた、とか」
「…いないだろ」
「だから例えばの話。でね、そのひとが迎えに来たら、ジョーはどうする?」
「どうする、って…」
***
ナインは心の裡でため息をついた。
まったく、平気な顔して爆弾を投げ込んでくれる。
いったい君は僕をなんだと思ってるんだ。
平気な顔をしているものの、ナインの心中は複雑だった。
もちろんこれは、例え話であり事実ではない。が、こんなことは例え話であっても嘘であってもナインにとっては不愉快極まりないものだった。
思わず握った手に力がこもる。
しかし、スリーはそんな彼に気がつかないのかにこにこと続けた。
「ね、ジョーはどうするの?」
「どうする、って…」
「女の子同士で話す場合は、彼氏に婚約者がいたらどうする?っていう話になるんだけど、けっこう色々な意見が出るのよね。絶対渡さないとか、戦うとか」
「…フランソワーズはどうするんだい?」
「私?私はやっぱり、…ジョーが幸せになるんだったらいいかなって思ったりもするんだけど、でも…やっぱり、ジョーがいなくなるのは寂しいし、悲しいから…」
ちょっと俯いて、小さく言う。
「ジョーを連れて行かないで、ってそのひとに言うわ。ジョーにも」
「ふうん…」
「ジョーは?」
「え」
「ジョーは何て言うの?」
「…そうだなぁ…僕だったら」
***
「――身を引く、かな」
「えっ?」
スリーの足が止まった。
手を繋いだままだったから、一緒にナインの足も止まる。
「ど、どうして?」
「どうして、って、小さい頃に決められた婚約者なんだろう?ソイツの方が約束が先だし」
「そんなこと訊いてないわ」
「同じことだろ。最初に約束したほうを守るのが正しい人間のあり方だ」
「でも、そういうのって順番じゃないでしょう?」
「そうかな。わざわざ迎えに来たってことは思いの強さを示していると思うが」
スリーは言葉もなかった。
まさかこんな答えが返ってくるとは、全く予想していなかったのだ。
「――ま、例えばの話だろ」
ナインが怒ったように言う。が、スリーには聞こえていなかった。
「…ジョーはそれでいいのね」
「ん?」
「私のことなんか、あっさり誰かに渡せちゃうんだ」
「そうは言ってないよ」
「だってそういうことじゃない。身を引くなんて」
「距離をおくってことだよ」
「同じことよっ」
スリーは繋いだ手を振り払った。
否。
振り払おうと大きく振った。
が。
ナインはがっちりと手を握り締めたまま離そうとはしなかった。
***
スリーが期待していた展開はこうだった。
「ねぇ、そうしたらジョーはどうする?」
「うーん。そうだなぁ。きみは僕のだから駄目って言うかな」
「ま、やあね、ジョーったら」
「なんだよ、本当のことだろ」
こんな風なほのぼのした恋人同士の会話で終わるはずだったのだ。
天地神明に誓って他意は無い。
なのに。
ナインは本気か嘘かわからないけれど、身を引くだの距離を置くだの言った。
それはつまり、彼は自分に対して執着してないのだ――と、スリーは思った。
はからずも明らかになった彼の本音。…なのかもしれない。
と、思ったのだけれど。
――ううん。そんなはずない!
だって、だって…手が痛いもの!
そう。
先刻まで優しく握られていた手が、今や009のちからでがっちりと握り締められているのである。
怒ってる。
そう思ってナインの顔を見るけれど、彼は全くの無表情だった。
怒ってない。
けれども手の痛さは尋常ではない。
「あの、ジョー?」
***
「――自分で言ったんだろ?例えばの話だ、って」
「…そうだけど」
「だったら何で泣くんだ」
「…手が痛くて」
「手?」
ああそうか、とナインは握り締めた手に目をやり少しだけちからを緩めた。
「こんなの痛いうちに入らないだろ」
「…」
「泣くほどのことじゃない」
「ううん。違うの」
スリーは鼻をすすると、涙声で言った。
「あの、…嬉しく、て…」
本当に「例えばの話」である。
が、身を引くなんてあっさり言ったくせに、実際には絶対に手を離してくれないナイン。
そう、彼は――彼の言葉だけを信じてはいけないひとだった。
スリーは改めてそれを思い出したのだった。
「ふん。手が痛いのが嬉しいなんてどうかしてるぞ」
呆れたように鼻を鳴らすナイン。でも、そんな彼の態度も嬉しかった。
「うん。そうね。…ごめんね、変な話をして」
「まったくだ」
笑ったスリーにナインも笑みを返した。
手を繋いだまま再び歩き始める。
しばらくして、
「――こういう話は例え話でもやめてくれ。心臓に悪い」
ぼそりと言われた。
|