「ケンカ」

 

 

 

あんなこと、言うつもりじゃなかったのになぁ・・・。

僕はギルモア邸を後にした車内で、ハンドルに向かって深い深いため息をついた。

浮かんでくるのは
びっくりしたように大きく見開かれた瞳。
そして、涙の粒が盛り上がって。

売り言葉に買い言葉。
その勢いで、言うつもりのなかった言葉が口から飛び出した。

――本当に、その場の勢いだったんだ。本気でそんなこと、思っていない。

かといって、今から戻ってそう言ったところで言い訳じみているし、何より格好悪いことこの上ない。

・・・全く。どうしてこう、うまくいかないんだろう?

 

 

***

 

 

あんなこと、言うつもりじゃなかったのに。

ギルモア邸から去ってゆく車を見つめ、思わずため息をついていた。

さっきの彼の顔が脳裏をよぎる。
黒い瞳が一瞬翳り、いつもの――自信満々な強い視線が揺らいだ。

言った後ですぐに後悔した。
だけど、謝る隙も与えず、彼は立ち去った。

――どうしよう。
電話する?彼が家に着いた頃を見計らって。
それとも、メールがいい?ひとこと、ゴメンナサイって書いて。

だけど、どれも彼の心には届かないように思えた。

・・・あんな顔するなんて思わなかったんだもの。

 

 

 

***

 

***

 

 

まっすぐ帰る気になんか到底なれやしなかった。
このまま帰ったところで、落ち込むことは目に見えている。
そして、絶対――電話しようか、メールしようか悩むんだ。だけどおそらく、そのどちらも出来ずに過ごしてしまう。そしてまた後悔する。

だったら。
このまま帰らず、車を飛ばしていたほうがいい。

そうしているうちに、きっとどうすればいいのか答えが見つかるはずだから。

 

「全く、可愛くないな!生意気な女は嫌いだ」

 

つるっと出てきてしまった言葉。
そんなこと――嫌いだなんて――そんなこと、一度でも思ったことないんだよ。フランソワーズ。

 

 

***

 

 

このまま家でじっとしていても、事態は何も進展しない。
私はリビングを落ち着かなく行ったり来たりしながら考えていた。

電話もメールも駄目なら、やっぱりちゃんと会って謝るべきだわ。
ちゃんと顔を見て。

そう思って、支度した。

 

「何よ、いっつも命令ばっかり!ナインなんか知らないっもう来ないで!」

 

あんな酷いこと、言うつもりはなかった。
もう来ないでなんて――ナインがここに来なくなったら、きっと私は寂しくて病気になってしまう。
今だって、こんなに――会いたいのに。

 

 

 

***

 

***

 

 

何時間、車を走らせていただろうか。

結局僕は、ギルモア邸に戻って来ていた。
車を止めて中から様子を窺う。――が、別段変わった所があるはずもなく、いつものギルモア邸だった。

――カッコ悪くてもいい。ちゃんと言わなければ。
あれは本心ではないのだから。

 

 

***

 

 

私はナインの部屋のドアの前で途方に暮れていた。
部屋の中のどこにも、彼の姿は見えなかった。

きっと、あのままどこかに行ってしまったのだろう。
私が酷い事を言ったばっかりに。

途方に暮れてはいたけれど、かといって帰るつもりは全くなかった。
こんなケンカは、さっさと謝って終わりにしたかった。

けれど。

一時間が過ぎても、ナインはまだ帰って来なかった。こちらに向かっているような気配もない。
普通だったら、諦めて帰るところだろう。

でも――帰らない。ナインに会うまでは。

彼の部屋のドアの前に成す術もなくぼうっと立っていると、思い切り不審者になってしまうので――私はマンションのエントランスに移動した。
仕事から帰ってきたひとたちが通り過ぎてゆく。
人待ち顔の私は、ちらちらと探るように見られていた。まるで不審者がマンション内に入ろうと画策しているかのように。
いたたまれなかった。
だけど負けない。
ナインに会うまでは、絶対に帰らない。

もう来ないでと言ってしまった手前、彼がギルモア邸に顔を出すことはない。
だったら、ここで待っているしかないじゃない。

黙って邸を出てからかれこれ数時間が経っていたので、私はセブンに電話をした。
行き先も告げずに出てきてしまったから、きっと心配しているだろう。
「――もしもし?・・・セブン?・・・ごめんなさい、今日はちょっと遅くなるから、――え?!」

もう少しで携帯を落とすところだった。
慌てて握り直す。

「本当なの?ジョーがそこにいた、って」
「でも今はもういないよ。アニキってば突然入ってきて、でもまたすぐに出て行っちゃったんだ」
「・・・どうして」
「さあ?忘れ物かなんかしたんじゃない?変なカオしてたから」

 

 

***

 

 

スリーは一体どこに行ったんだ?

ギルモア邸を出て車を走らせながら、僕は言いようのない不安に襲われていた。
僕が酷いことを言ったから、スリーは――フランソワーズは。

彼女の目に浮かんだ涙を思い出す。

泣かせるつもりじゃなかった。
だけど、もしかしたら今もどこかで――ひとりで泣いているのかもしれない。

――くそっ。

そんなつもりじゃなかったのに。

 

 

***

 

 

――ナインはギルモア邸に戻っていた。私があんな酷いことを言ったのに。

エントランスを行ったり来たりしながら、考える。

落ち着かない。

結局、通りに出て耳をすませた。
耳慣れたエンジン音を探す。

もしもナインがこちらに向かっているのなら、絶対に捉えることができるはず。私は003だもの。
意識を集中して――聞こえるはずのエンジン音を待った。と同時に、携帯電話が鳴り出した。
もうっ。まだナインの車を探している途中なのに。
切ってしまおうかと思いつつ、仕方なくフラップを開いて耳にあてた。

「もしもし?」
「フランソワーズ?いまどこにいる?」

ナイン?

どうして?

何で?

「どこ、って・・・」

 

 

***

 

 

口ごもって答えないスリーにイライラしながら車を降りる。

僕は気を落ち着けるために、いったん自分の部屋へ戻ることにした。
――落ち着け。
あてもなく彼女を探したって時間の無駄だ。落ち着いて――彼女の行きそうなところを考えなくては。

とはいえ。

もしも、どこかでひとりで泣いているのなら一刻も早く連れて来なくてはいけない。
彼女がひとりで見知らぬところにいるなどと、考えただけでも逆上した。

絶対、泣いて無防備になっている。そんなの、――カモネギ以外の何者でもないじゃないか。
可愛いスリー。
彼女を見たら、放っておけるわけがない。それが野郎なら尚更だ。

ともかく、素直に電話に出てくれた彼女に安堵しつつ――本当は着信拒否されているんじゃないかと思っていたから――

「フランソワーズ、いったいいまどこに――」

駐車場から建物をぐるりと回ったところで、僕は立ち止まった。

 

 

***

 

 

「――あなたの目の前だけど」

 

携帯電話を耳にあてたまま、びっくりしたようにこちらを見ているナイン。

びっくりしたのはこっちよ。
どうしてナインがここにいるの?

いつの間に?

 

 

***

 

 

「あ。フランソワーズ、その・・・」

ちゃんと訂正しなければ。
嫌いだなどと思ったことは無いと。その逆だと。
自分の気持ちを口にするのは照れくさかったけれど、今はそんな事を言っていられない。

と思っていたけれど、スリーの無事な姿を見ると安心したのやほっとした気持ちが混ざってしまい、結局僕は声を荒げてしまっていた。

「――いったい、どこに行ってたんだ」
「どこ、って・・・ここだけど」
「ここ、って」

どうしてギルモア邸で大人しくしていないんだ。
どうしていつも僕のいう事をきかないんだ。
どうして君はいつも――

僕が二の句を告げられずに黙り込むと、スリーは手提げ袋から箱を取り出した。
満面の笑みで僕にそれを差し出す。

「――なに?」
「プリンよ。ナインの注文通りのプレーンの」

途中で作るのをやめたのではなかったか。

「だって、・・・ずっとケンカしてるのなんか嫌だったし、私があんなことを言ったせいで、ナインは来にくくなってしまうと思って、だから」

差し出されたそれをそのまま受け取る。

「――チョコレート味は?」
「ん。この次にしたわ。やっぱりプリンはナインの言う通りプレーンが基本よね」

しばしの沈黙のあと、僕はここにいるのも何だからとスリーを部屋へ誘った。

「えっ・・・いいの?」
「いいさ。どうして?」
「だって・・・急に来ちゃったから」
「部屋が汚れているって心配してるのかい?――酷いなあ。そんなに汚れてないぞ」

 

***

 

そうじゃなくて。

と言う声はナインの耳には届かなかった。
何しろさっさとドアを開けて中に入って行ってしまったから。

――ナインの部屋に入るのは久しぶりだった。

この前は私の誕生日の時で。

そして今日は、そんな大義名分もない。

ナインはわかってない。
男のひとの部屋に入るのに、女の子には勇気が要るってことを。

 

だけど。

 

「スリー?どうしたんだい?」
「・・・今、行くわ」

こんな風に自然に招かれるのに慣れてゆくのだろうか。
だって、私たちは――

けれども今は――ナインのために作ったプリン。
チョコレート味にするかプレーンにするかでケンカした。

「スリーの作ったのが一番合うみたいだ」

そう言ってにっこり笑ったナイン。
その笑顔が好き。

私は大きく深呼吸するとナインが待っている場所へ一歩踏み出した。