「甘さと苦さ」
〜とまどいも愛おしさ〜

 

 

バレエ教室の正面にある、カフェ。
レッスンの後、ここのケーキをお友達と食べるのがいつもの楽しみだった。

ちらりと正面を見ると――怒ったような顔のナインがこちらに気付いた。

「なに?フランソワーズ」
「・・・ううん、なんでもないわ」

軽く首を傾げ、再びナインは外を見つめる。

ここにナインを連れてくるのは初めてだった。
もちろん、今までに何度もナインはこの店に来ている。が、それは全て私を迎えに来た時だけで、こうして腰を落ち着けたことはなかった。
今日は、ナインにおねだりして一緒にお茶を飲んでもらっている。

おねだり――というより、本当はお詫びのはずだったけれど、こうして居心地悪そうなナインを見ると、なんだか返って申し訳ないような気持ちになった。
考えてみれば、ここはケーキがメインのお店だから、お客さんも当然の如く女性が多い。
もちろん、男性もいるのだけれど、それは数組のカップルだけだった。

――私たちもこうしているとカップルのように見えるかしら?

そう思うと何だか落ち着かなかった。
だって、ナインは――きっとそう見られるのは不本意だろうから。
ナインには決まった相手がいる。だから、こうして私に付き合ってくれているのは「妹」に頼まれたからで、仕方なくなのに違いない。

・・・ゴメンね。

ナインの横顔に小さく言ってみる。
でも私は、それでも――ナインと一緒にこうしてカフェでお茶を飲むのは凄く嬉しかった。
こういう平和な時間を過ごすことが、ナインがそばにいることが、嬉しくて幸せだった。

「お決まりですか?」

注文をとりにきたのは、いつものウエイターの彼。

「あ、えっと・・・私はこのチーズケーキにするわ。・・・ジョーは?」
「うん?――ああ、そうだな・・・」

初めて気付いたかのようにメニューを見つめるナイン。何だか時間がかかりそう。

「あ、ごめんなさい。まだ決まってないみたい」

そう言うと、ウエイターの彼は優しく微笑んだ。

「いいですよ、またあとで伺います。――フランソワーズさんのは先に承って良いですよね?」
「ええ。えっと、セットで・・・」
「アイスミルクティーですね?いつもの」
「はい。いつものアールグレイで」
「ちょっと濃い目の」
「ええ。濃い目の」

一礼して奥へ戻ってゆく大地くんを見送り、視線をナインに戻すと――ナインはじっと私を見ていた。

「えっ・・・なに?」

にこりともしないでただ見つめるナイン。落ち着かないどころか、何だか不安になる。
だってナインはいつも――私を見つめる時は、もうちょっと優しい感じで、・・・そう、「妹」に接するお兄ちゃんみたいなのに。
なのに今は「お兄ちゃん」ではないみたい。
なんだか一人の男の人みたいに。

「ジョー?・・・どうしたの」

ナインは黙ってメニューを閉じると、背もたれによりかかって胸の前で腕を組んだ。

「――紅茶、好きなんだ?」
「え?ええ」
「普段、飲んでるの見たことないけど」
「・・・それは」

ナインがコーヒー派だから。
彼が来るときはいつもコーヒーを淹れる。昼間でも夜中でも、うちに来た時はいつもそれを飲みたがるから。
嘘かホントかわからないけれど、私の淹れたコーヒーを一日一回は飲まないと落ち着かないと言う。
夜にやって来るときは、大抵デートの後だったけれど、それでも、一日の最後にそれを飲まないと眠れないと言って。

「さっきの彼、随分良く知ってるみたいだったけど」
「あ、ええ。ここでお茶することが多いから・・・」

私の好みだけじゃなく、他のみんなのも彼は把握しているはず。

「私だけが特別扱いされているわけじゃないわ」

そう言うと、ナインは一瞬視線を外し鼻を鳴らした。

「そうかな。普通の客は名前を呼ばれたりなんかしないと思うけど?」
「名前?」
「・・・呼んでただろ。フランソワーズって」
「だって私はフランソワーズだもの」
「・・・そういう意味じゃない」

乱暴にコップを掴み水を飲むナインに、私はいったいどうして彼は急に不機嫌になったのか思い巡らせた。
いま何か彼が怒るようなことをしてしまったのだろうか。それとは気付かずに。
けれども、考えてみても――ナインがオーダーを決める前に先に注文してしまったことくらいしか思い浮かばなかった。

「ごめんなさい」
「――え?」
「先に決めちゃって」
「先に、って何が・・・ああ」

そうじゃないんだけどな、と小さく呟きながら腕組みを解き、メニューを広げる。
そこへ紅茶とケーキを持った大地くんがやってきた。
無言のままテーブルに並べ、そうして――目が合ったときにちらっと笑んだ。

「――お決まりでしょうか?」

彼が来てからずっとメニューから顔を上げなかったナインは、やっぱり目を上げずにぼそりと呟いた。

「・・・彼女と同じもので」
「はい、かしこまり」
「ええっ!?」

私の声にウエイターの彼とナインがびっくりしたようにこちらを見る。

「同じのなんかつまらないわ!いっぱい悩んでソレっておかしいわよ」
「つまらない、って。別にいいじゃないか」
「いや!同じケーキにするなんて信じられない」
「・・・チーズケーキが食べたいだけだ」
「だったら、これあげるわ!」

目の前のチーズケーキをナインの方へ押し遣る。

「私はこのミックスフルーツゼリーにするわ!」
「・・・はぁ」
「で、このひとにはコーヒー。紅茶なんて嘘よ」
「紅茶でいい」
「コーヒーでしょう?」
「紅茶でいい」
「いつもコーヒーじゃない」
「たまには紅茶を飲みたいんだっ」
「そんなの、今まで一言も言わなかったじゃない」
「えぇと、・・・紅茶でいいんですよね・・・?」

私を無視して勝手に決めるウエイター。
ナインはフンと横を向いたまま何も言わない。
ウエイターの彼はそうっと後ずさりをして逃げるように去って行った。

「・・・もうっ。どうしてさっきから機嫌が悪いの?」
「別に。いつもと変わらないよ」
「嘘。だってケーキを選ぶのも適当じゃない」
「そんなことないよ」
「そんなことあるでしょう?来る途中で言ったじゃない。違うケーキを頼んで半分こしようね、って」
「そんなの、きみが勝手に」

勝手に決めたんじゃないわ。だってナインは「いいよ」って言ったもの。

ふいっと横を向いたままのナインに、何だか悲しくなってきた。
ナインと初めて一緒に来たのに、どうしてこんな――ケンカになってしまうの?

ナインの不機嫌のわけがわからず、私はただ悲しかった。

無言でテーブルに置かれたミックスフルーツゼリーのムース重ね。
その端っこをちょこっとつつく。
楽しいはずのナインとのお茶の時間が重苦しくて辛かった。

「・・・食べないの?」

チーズケーキを食べたいって言ったくせに、ナインは全く手をつけなかった。
頼んだ紅茶も申し訳程度に口をつけるだけ。
全然楽しそうじゃないナイン。

「ん。・・・フランソワーズにあげる」

そう言ってお皿をこちらに押し遣る。

「――要らない」

フォークを置いた私を不思議そうに見つめる。

「食べたいって言ってたくせに。我慢しなくてもいいんだぞ?」
「・・・食べたくなくなったの」

だってこんなの、全然楽しくない。
口にしたムースも味なんてわからなかった。
胸が詰まって、心が重くて――

「遠慮するなよ」
「してないもん」
「フランソワーズ。・・・しょうがないな」

ナインは身を乗り出すと、チーズケーキをひとくち大に切り取り、それを載せたフォークをこちらに差し出した。

「・・・ほら。ん?」

知らない。ナインなんか。

「要らないなら僕が食べちゃうよ?」

ひょいっと自分の口に持っていこうとするから、

「――ちょっと待って」

思わずナインの手首を掴んで、フォークをこちらに向かせチーズケーキをひとくち食べた。

「ん。・・・おいしいっ」
「本当?」
「うんっ」
「じゃあ、僕も」

そう言って、同じフォークで――

・・・・・・・・・・ナインのばか。

顔から火が出そう。
慌ててアイスティーをごくごく飲む。

「――おかわりはどうしますか?フランソワーズさん」

飲み干したグラスを置く前に、声がかかる。

「あ、お願いするわ」

いつもタイミングがいい彼は、他のお友達にも人気がある。
かしこまりましたと言って去っていこうとする彼の背に、妙に明るい声がかけられた。

「きみ、ちょっと待って」

見ると、にこにこしたナインがそこにいた。さっきの不機嫌は嘘のように消えて――るように見えるけれど、目は笑っていない。つまり、表面上は愛想が良さそうだけどまだまだ不機嫌なナインなのだ。

「はい?」

彼が明るく振り返る。

「――きみにちょっとお願いがあるんだけど」
「なんでしょう?」
「うん――」

ちらりと私の顔を見てから、

「――フランソワーズの名前を呼ぶのはやめてくれるかな」
「え?」

えっ?

「あの、でも」
「きみは日本人だろう?だったら苗字を呼べばいいじゃないか。――彼女はフランソワーズ・アルヌール。つまり、アルヌールさん、だ」

アルヌールさん?

「ファーストネームを呼ぶのは親しい者と決まっている」
「ジョー、彼は私以外の子も名前で呼ぶわ」
「きみは黙ってて。――わかったかい?」
「・・・はぁ」
「そんな、いいのよ。私は気にしないわ」
「いや、でも・・・」

ナインと私を見比べながらどうしたものかと困っている。

「――僕は気にする。だからやめてもらえないかな」

静かに言ってじっと彼を見つめるナイン。

気にする、って・・・どうして?
今までそんな事言ったことなかったのに。

 

***

 

お会計をする時に、奥からパティシエが顔を見せた。

ナインにケーキの箱を渡している。彼の耳になにやら囁いて。
それを聞いたナインは頬を微かに染めて小さく頷いた。

外に出てからナインに聞いてみたけれど、何を話していたのか教えてくれなかった。

「ねぇ、何を貰ったの?」
「うん・・・紅茶のケーキらしい」
「紅茶?」
「常連さんにサービスって言ってたな」
「サービス?」

今までそんなサービスはなかったのに。
やっぱり、ナインとパティシエは何か――耳のスイッチを入れておけばよかったと軽く後悔する。

「そういえば、ナインって本当は紅茶が好きだったの?」
「えっ?」
「だってさっき」
「――ああ。あれは」
「全然知らなかったからびっくりしたわ。今度から紅茶も用意しておくわね?」
「いいよ」
「でも」
「いいんだって」

そう言うと私の手を掴んで駐車場まですたすた歩き出す。

「でも、ナイン」
「いいんだ。僕はコーヒーは他では飲まないから」
「飲まない、って・・・」

だって、一日一回飲まないと落ち着かない、って言ってたのに。

ナインは不思議そうな私を見つめ、小さく笑った。

「――僕はスリーの淹れたのしか」
飲まないんだよ――という声は風に流れて、本当にそう言ったのかどうか聞き取れなかった。

 

***

 

帰り道、ナインは隣にスリーを乗せて無言で運転をしていた。
スリーの膝の上には紅茶のケーキ。

パティシエに言われた言葉が頭をよぎる。

『このケーキをどうしても渡したくなってね。――がんばれよ』

がんばれよ、っていったいどういう意味だろう?

『この紅茶のケーキは思いいれがあるんだ。恋人同士になる前のカップルに、ってね。帰ったら今度は仲良く食べてくれ』

今度は仲良く――

ナインは小さく息をつくと、そっと隣のスリーを見つめた。
さっきはどう見ても彼女に気があるとしか思えないウエイターにはらはらし通しだった。何しろ、彼女は全然それに気付いていないのだから。気軽に彼女の名を呼ぶのも気に入らなかった。
しかし、そうして不機嫌だったためにスリーに悲しい思いをさせてしまった――ような気がする。

だから、このあとは。

スリーの淹れたコーヒーで一緒にケーキを食べよう。
僕はやっぱり――彼女の淹れたコーヒーを一日一度は飲まないと落ち着かないのだから。

 

 


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