「甘さと苦さ」
〜とまどいも愛おしさ〜
バレエ教室の正面にある、カフェ。 ちらりと正面を見ると――怒ったような顔のナインがこちらに気付いた。 「なに?フランソワーズ」 軽く首を傾げ、再びナインは外を見つめる。 ここにナインを連れてくるのは初めてだった。 おねだり――というより、本当はお詫びのはずだったけれど、こうして居心地悪そうなナインを見ると、なんだか返って申し訳ないような気持ちになった。 ――私たちもこうしているとカップルのように見えるかしら? そう思うと何だか落ち着かなかった。 ・・・ゴメンね。 ナインの横顔に小さく言ってみる。 「お決まりですか?」 注文をとりにきたのは、いつものウエイターの彼。 「あ、えっと・・・私はこのチーズケーキにするわ。・・・ジョーは?」 初めて気付いたかのようにメニューを見つめるナイン。何だか時間がかかりそう。 「あ、ごめんなさい。まだ決まってないみたい」 そう言うと、ウエイターの彼は優しく微笑んだ。 「いいですよ、またあとで伺います。――フランソワーズさんのは先に承って良いですよね?」 一礼して奥へ戻ってゆく大地くんを見送り、視線をナインに戻すと――ナインはじっと私を見ていた。 「えっ・・・なに?」 にこりともしないでただ見つめるナイン。落ち着かないどころか、何だか不安になる。 「ジョー?・・・どうしたの」 ナインは黙ってメニューを閉じると、背もたれによりかかって胸の前で腕を組んだ。 「――紅茶、好きなんだ?」 ナインがコーヒー派だから。 「さっきの彼、随分良く知ってるみたいだったけど」 私の好みだけじゃなく、他のみんなのも彼は把握しているはず。 「私だけが特別扱いされているわけじゃないわ」 そう言うと、ナインは一瞬視線を外し鼻を鳴らした。 「そうかな。普通の客は名前を呼ばれたりなんかしないと思うけど?」 乱暴にコップを掴み水を飲むナインに、私はいったいどうして彼は急に不機嫌になったのか思い巡らせた。 「ごめんなさい」 そうじゃないんだけどな、と小さく呟きながら腕組みを解き、メニューを広げる。 「――お決まりでしょうか?」 彼が来てからずっとメニューから顔を上げなかったナインは、やっぱり目を上げずにぼそりと呟いた。 「・・・彼女と同じもので」 私の声にウエイターの彼とナインがびっくりしたようにこちらを見る。 「同じのなんかつまらないわ!いっぱい悩んでソレっておかしいわよ」 目の前のチーズケーキをナインの方へ押し遣る。 「私はこのミックスフルーツゼリーにするわ!」 私を無視して勝手に決めるウエイター。 「・・・もうっ。どうしてさっきから機嫌が悪いの?」 勝手に決めたんじゃないわ。だってナインは「いいよ」って言ったもの。 ふいっと横を向いたままのナインに、何だか悲しくなってきた。 ナインの不機嫌のわけがわからず、私はただ悲しかった。 無言でテーブルに置かれたミックスフルーツゼリーのムース重ね。 「・・・食べないの?」 チーズケーキを食べたいって言ったくせに、ナインは全く手をつけなかった。 「ん。・・・フランソワーズにあげる」 そう言ってお皿をこちらに押し遣る。 「――要らない」 フォークを置いた私を不思議そうに見つめる。 「食べたいって言ってたくせに。我慢しなくてもいいんだぞ?」 だってこんなの、全然楽しくない。 「遠慮するなよ」 ナインは身を乗り出すと、チーズケーキをひとくち大に切り取り、それを載せたフォークをこちらに差し出した。 「・・・ほら。ん?」 知らない。ナインなんか。 「要らないなら僕が食べちゃうよ?」 ひょいっと自分の口に持っていこうとするから、 「――ちょっと待って」 思わずナインの手首を掴んで、フォークをこちらに向かせチーズケーキをひとくち食べた。 「ん。・・・おいしいっ」 そう言って、同じフォークで―― ・・・・・・・・・・ナインのばか。 顔から火が出そう。 「――おかわりはどうしますか?フランソワーズさん」 飲み干したグラスを置く前に、声がかかる。 「あ、お願いするわ」 いつもタイミングがいい彼は、他のお友達にも人気がある。 「きみ、ちょっと待って」 見ると、にこにこしたナインがそこにいた。さっきの不機嫌は嘘のように消えて――るように見えるけれど、目は笑っていない。つまり、表面上は愛想が良さそうだけどまだまだ不機嫌なナインなのだ。 「はい?」 彼が明るく振り返る。 「――きみにちょっとお願いがあるんだけど」 ちらりと私の顔を見てから、 「――フランソワーズの名前を呼ぶのはやめてくれるかな」 えっ? 「あの、でも」 アルヌールさん? 「ファーストネームを呼ぶのは親しい者と決まっている」 ナインと私を見比べながらどうしたものかと困っている。 「――僕は気にする。だからやめてもらえないかな」 静かに言ってじっと彼を見つめるナイン。 気にする、って・・・どうして?
***
お会計をする時に、奥からパティシエが顔を見せた。 ナインにケーキの箱を渡している。彼の耳になにやら囁いて。 外に出てからナインに聞いてみたけれど、何を話していたのか教えてくれなかった。 「ねぇ、何を貰ったの?」 今までそんなサービスはなかったのに。 「そういえば、ナインって本当は紅茶が好きだったの?」 そう言うと私の手を掴んで駐車場まですたすた歩き出す。 「でも、ナイン」 だって、一日一回飲まないと落ち着かない、って言ってたのに。 ナインは不思議そうな私を見つめ、小さく笑った。 「――僕はスリーの淹れたのしか」
***
帰り道、ナインは隣にスリーを乗せて無言で運転をしていた。 パティシエに言われた言葉が頭をよぎる。 『このケーキをどうしても渡したくなってね。――がんばれよ』 がんばれよ、っていったいどういう意味だろう? 『この紅茶のケーキは思いいれがあるんだ。恋人同士になる前のカップルに、ってね。帰ったら今度は仲良く食べてくれ』 今度は仲良く―― ナインは小さく息をつくと、そっと隣のスリーを見つめた。 だから、このあとは。 スリーの淹れたコーヒーで一緒にケーキを食べよう。
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